入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「冬」(19)

2021年11月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 上に行ってきた。今回はオオダオ(芝平峠)直下の崩落で芝平側からの道が塞がれ、千代田湖経由で行くしかなかった。
 藤沢の集落辺りから谷の左側の落葉した雑木林に雪が目立つようになって、国道を離れ林道に入るとさらに雪は深くなってきた。軽トラのタイヤは泥・雪対応のはずだが、結構尻を振る。千代田湖を過ぎると道路は勾配が増すため舗装路を嫌って、金鶏金山を東に巻く、千軒平経由の未舗装の山道を選んだ。
 オオダオからは通行止めになっているという情報を市や猟友会、それに山奥氏からまで得ていて、それで上まで行けるかを案じながら車を走らせた。積雪は千軒平辺りで3センチくらいになり、走行はより安定した。
 峠に達した所で確かに道は通行止めになっていたが、車では物理的に無理なら歩いても行くと、行政側には伝えておいた。馬(通行止めの柵)をどけて車を通して、また元の通りにして、踏み跡のない純白の舗装道路に自重の軽い車を乗り入れた。
 


 崩落した斜面は、最初に目にした時よりかさらに広がっていた。「急な斜面」でもなければ、「崩落しやすい場所」とも思えないのだが、溢れ出た汚泥は多量の水と一緒に流れ出たようだった。雪崩でも「あんな所が」、と思うことがあるが、まさしくそういう場所だった。

 上に着くと、4カ所あるキャンプ場の「C」に仕掛けてあった罠に鹿が1頭掛かっていた。今さら、という気持ちがして、鹿を無視してやるべきことを急いだ。戸締りをする際に氷結していて意外と困難な箇所もあり、手を焼いた。昨日、夜になって雨から雪に変わったのだろう。
 火元、電気、ガス、防犯装置などを確認し、持ち帰る物をまとめ、さて囚われの鹿をどうするかという段になったわけだが、昏倒させ、刺し、解体し、その上穴を掘って骸を埋却するとなると、雪も積もっているしかなりの時間がかかりそうだった。
 思案の末、逃がすことにした。駆除にはならずも、キャンプ場へ侵入することは危険なことだと学習したはずだし、その方法は知らないが、仲間にも恐怖の体験を知らせるだろう。それだけでも、キャンプ場へ罠を仕掛けた意味はある。
 左の後ろ足に掛かった罠を外してやろうとすると鳴き声を上げて逃げ回り、最後には"天晴れ"にも跳びかかって来た。雄鹿なら何度かこういうことも経験したが、角のない雌鹿の反撃は思いがけなかった。

 帰る途中で、富士見町役場から入笠へ通ずる道路を閉鎖したとの連絡が入り、これで春まで一般車ではどこからも入笠へ来ることはできなくなったわけだ。雪に閉ざされ、冬の眠りに就いた山の中の、人気のない古道を歩いて登る姿を想像して、悪い気はしなかった。
 本日はこの辺で。
 
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     ’21年「冬」(18)

2021年11月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 入笠の最もいい時季の一つが今だと思う。木々は葉を落ち尽くし、放牧地からは緑の色が消えた。周囲の自然は大方が活動するのを止め、そういう淡く枯れた情景に重要な役割を果たしているのが、深い静けさだと思う。少しでも歩けば誰もが、初冬の山の物言わぬ品の良さを至る所で感じるだろう。

 一昨日に里へ帰り、しかし昨日も上に行った。囲い罠に9頭の鹿が入っていて、その始末をしなければならなかったからだ。それに猟期になると、他所からも狩猟目当ての人たちが来て厄介なことも起こる。鹿も捕獲されて数も減るからいいだろうと思うかも知れないが、銃ではあれだけに増えてしまった鹿の数を減らすことなど到底無理だ、できない。
 捕獲した9頭の鹿も、4頭は逃げられてしまった。死に物狂いになって、2重の金網に激突してみたり、右前足の先を失った鹿が死にきれずにもがいたりと、いつものことながらしばらくは凄惨な場面が続いた。逃げた鹿は、自分たちが入ってきた入り口が、上から落ちてきたゲートで塞がれてしまったため、そのわずかな隙間をこじ開けて逃げたらしかった。こういう手抜かりをすると鹿は学習し、当分罠には近付かなくなるだろう。
 今が最もいい時季のようなことを言っておいて、その平穏をぶち壊すような殺生に手を貸すのは何だと非難もされよう。確かにそうだ。それに、何頭かの鹿は犠牲になったが、有害駆除にどれほどの効果があったのかと思えば、あまりにも道遠しである。
 その意味からも、前にも呟いたように、一日も早く避妊薬を使った鹿対策が行われるようになって欲しい。報償費の出る有害駆除を半ば職業にしている猟師の中には、これに反対する人もいるだろう。それも分かる。また、鹿を屠ることを動物愛護の観点から批判する人のいることも知っている。その意見も無視はしない。が、今はその辺の難しい問題について呟くのは控えておく。
 農水省もだが、環境省が、こうした獣害問題をどんなふうに考えているか知りたいものだ。

 昨日上に行って気付いていたが、オオダオ(芝平峠)の手前約10㍍で右から崩落があり、側溝が多量の汚泥で埋まってしまっていた。それで、またしても芝平からの市道は通行止めになるという連絡が入った。あれだけ何日も好天が続いても、土中では行き場を失った水が溜まり、あんな結果を招いてしまったのだろう。
 きょうは午後から雨、さらに被害が大きくなりそうで心配になる。(11月22日記)

 これから5か月、どうやって過ごすのかとよく聞かれる。まだしばらくは不定期ながら上に行くつもりだし、それ以外の日は、朝寝、朝酒、朝湯の幾日かを過ごす。温泉にも行くし、旅も考えている。そして、小原庄助サンになる前に、里での日常を回復させたい。
 本日はこの辺で。

 
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     ’21年「冬」(17)

2021年11月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                                  Photo by かんと氏

「『部分月食』 かろうじてすばるがわかるかなと言う月食写真送りました」と、かんとさん。画像処理して、さらに良くなればまた送ってくれるとのこと。しかし、期待するなとも。
 
 昨日、4時15分ごろだったと思う、「5分後に月蝕が始まります」という連絡が、星関連の情報発信元からいきなり携帯電話に入った。少し慌てたが、その時間ではどこからも月が見えるはずがなかったし、かんとさんからは牧場からだと6時5分ぐらいに見えるようになるとの詳しい情報を貰っていたから、思い直してまた落日を見に第1牧区へ行った。



 昨夜の夕焼けも、日没後東の空からベールのような薄い雲が赤く染まり、それが八ヶ岳の天狗にまで及んだ。やがて太陽が西山に沈んでからしばらくして、今度はその稜線の上空を中心にして天が燃えだした。頭上の広大な夕空の色彩の変化を、まるで音楽でも聴くような気分で眺めていた。

 そして月蝕。6時5分ごろ小入笠、入笠へと続く尾根の上に月が浮かぶように現れた。薄い輪郭を見せながら、その下方には反りの大きな細い刀のような鋭い光が見え、月蝕がほぼ最大まで進んだ姿だと思って見た。
 肉眼でははっきりしなかったが、カールツアイスの双眼鏡では昴も、6,7個冷たい光の粒を月の左上にしっかりと見ることができた。共演は間違いなく行われたわけだ。携帯でも何枚かその様子を撮ってみたが、昴はもとより、明確に月蝕と分かるような写真はやはり無理だった。
 部屋に戻ったら、窓からちょうど月蝕が終盤に入っていく様子を見ることができ、しばらく灯を消して眺め入った。そして、次第に明るさを取り戻し始めた月の光に誘われて、暗い森の中へ出掛けることにした。
 夜の暗さにはそれほどの抵抗はない。乏しい光を頼りに歩いていると、あちこちから鹿の鋭い警戒音がしてきた。そしてそれに抗うよう過ぎていった7か月が次々と思い出され、いい時が過ぎていった。
 帰ってきたら「素晴らしいラストナイトですね!」という言葉が届いていた。

 昨日の夕方、入笠へ通ずる千代田湖経由の林道「タカミネ線」開通の報あり。本日はこの辺で、明日は沈黙いたします。

 





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     ’21年「冬」(16)

2021年11月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 牧を閉じ、里の暮らしに戻る日が来た。牧守として、実際の仕事はきょうで終わる。いろいろな感慨が湧いてくるのは例年と変わらず、昨日も夕暮れの牧から、日が西山の向こうに落ちていくのをいつもよりか長く眺めていた。人との別れもそうだが、何かが終わる、ということを深く、重く感じていた。

 ただ牧は閉じても、雪のために一般車輛が上がってこれなくなり、ここら一帯が外部から閉ざされる1月の半ばまでは、何度となく来るつもりでいる。これまでもそうしてきたし、同じようにその後も、必要があれば歩いてでも登ってくる。
 先程も国有林の方から銃声がしたが、猟期が始まったばかりで、猟師が上がってくるようになり、いつの間にか小黒川林道のゲートには森林管理署の鍵に加え、新しく別の鍵が付いていた。この鍵を開けることができる人間は、閉鎖されている林道へも車で自由に出入りができるようになったわけで、しかしそのことに関する連絡はどこからも来ていない。まさかとは思うが、一部の人の手による勝手な仕業だと考えられなくもない、ムー。
 とにかく冬の間、牧がしばし休息し、安眠ができるように守り続け、狼藉が行われないよう見回りも怠るわけにはいかないと考えている。
 ついでながら、例年通り越年もここで、細々とやるつもりでいる。



「来春に」と言う囁きも聞いたが、第1牧区の倒木は切り払った枝を片付け、太い幹も伐ってタマにした。チェーンソーは来春まで使用することなく、燃料もオイルも抜いた。水道は落とし、取水場には豊富な水が流れてきている。もう少し小屋の片付けをして不要な物は燃やし、酒壜やビール缶は産廃業者へ持ち込むつもりでいる。
 で、きょう里に下りるかというと、そうしない。今夜、部分月蝕があり、暗くなった夜空に昴が煌くという天体の珍しい場面を、ここ入笠牧場に拘って見てみたいと思っているからだ。
 昨夜、日が落ちた後、大きな満月を大沢山まで行って見た。そして寝る前の9時過ぎ、中天に眩いばかりの月を眺め、それでも目が慣れてきたらオリオン座が見えてきた。しかし、昴の位置と月が近過ぎたのか、あの高貴な幾つもの光の粒を見ることはできなかった。それだけに、月蝕による月と昴・プレアデス星団の共演を目にしたい。

 牧を閉じる前に、初冬の日を浴びながら、全牧区を見回ってきた。澄み切った空、広大な大地、そして小さ過ぎる一人の存在、それ故の湧いてくる感謝。
 赤羽さん、通信多謝。所謂「自分史」ですか。拝見したいものです。本日はこの辺で。

 


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     ’21年「冬」(15)

2021年11月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                                     Photo by Ume氏

 きょうの写真、遠く雪を被った山々の連なりが中央アルプス、よく見れば御嶽山も乗鞍も見えている。中央の深い谷が「初の沢」で、左の少し急な尾根を古道・法華道が通っている。
 初の沢をトウセンボするようにその向こうに低い山並みが見えるが、沢の流れは山室川と合流しさらに数キロ下ってここでほぼ直角に折れる。その辺りに小豆坂トンネルがあり、ここを抜けると「杖突街道」とも呼ばれる国道152号線が走り、国道は北上すれば杖突峠へ、南下すれば高遠、長谷に至る。
 
 この写真を眺めていて、つい、通勤路の長さを思ってしまった。一口に片道38キロとは言え文字通り山あり谷ありで、山に入れば一部ではあるが舗装路でない悪路も走らなければならない。
 それでも、激しく降る雨の日であれ、強い風の日でも、この長い通勤を嫌った記憶は殆どと言っていいほどない。自分でも不思議に思うが、激しい、と当時は思っていた山行から距離を置くようになって、山そのものが本当に好きだったのだと分かったように、自然が見せてくれる細やかで多様な季節毎の変化、姿を毎年のように眺めながら通い、中級山岳の良さに次第に取り込まれていったのだろう。
 
 古女房が年齢を重ねるに従い美しく見える、という話など聞いたことはないが、愛情や信頼が深まるということは耳にするし、充分に納得できる。生まれ故郷は、古女房との強固な結び付きになぞらえるだけでなく、それに加え、年々美貌が磨かれていくように見え、この時季は特に美しい。
 
 友人に不幸があり、昨日里に下った。きょう葬儀に出席し、また上に来たが、帰りに用事のついでに遠回りして、冬の間に夜の散歩に使った道路の一部を通ってきた。畑中を走る道路の周囲には落葉前の渋い秋が遠くまで拡がっていて、静まった雑木林やヒノキの林、果樹畑の中に見えた農家の佇まいなども含めて、まだ白秋の中の風景だった。
 古女房を故郷に譬えたのが適切だったかは分からないが、「ふるさとは遠くにありて思ふもの」というのはあの人の場合で、近くで思う幸いも言っておきたい。
 本日はこの辺で。
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