
Photo by Ume氏
雪掻きに出ろという連絡がまだ来ない。今朝はそれが気になって4時過ぎには目を覚まして、5時半ごろからすでに昨夜のうちに誰かが雪掻きしてあった家の北側の坂道を、もう一度手を加えておいた。今冬はすでに1回やっている。やはり、雪の多い年ということだろう。
たまにする雪掻き、これは相当の体力が要る。連日のように悪戦苦闘を続ける雪国の人々をテレビなどで目にすると、本当に同情するし、その根気強さに頭が下がる。しかも、年配の人、高齢者が多い。
かつて、その勁い滑り方に憧れ、毎冬通った白馬地域のスキーの指導員Sさんも、何年か前に雪下ろし作業中に屋根から転落して死亡した。あれだけ小さいころから雪に親しみ、雪下ろしもずっと続けてきたはずなのに、それでも、そういう事故が起こる。
以前に、やはり北信の豪雪地へ行って、周囲の山ばかりかどこもかしこも雪に埋もれてしまった集落を見て、言う言葉をなくした。ポツンポツンとある家々の屋根が、まるで雪の原に浮いいるかのように見えていた。そこに暮らす人々は、生まれてからずっとそういう冬を過ごしてきたわけで、それが何代も続くその集落の歴史でもある。
恐らく、冬眠さながらの暮らしに耐えていたのだろう。それでも、車のない時代は歩けさえすれば良かったのだから、かんじきを履いて移動できる細い雪道を確保できれば、それ以上の必要はなかったのではないだろうかと、雪掻きに関しては皮肉なことを考えてしまう。
半世紀以上も前、毎冬よく行ったスキー場のある麓の集落内の道も除雪などしてなかった。スキー場までは皆が1㌔近くをスキーを担ぎゾロゾロ歩いた。それが当たり前だった。スキー場ばかりか雪山も、ツボ足で深雪に耐えた。
今の社会では、たまに降る20㌢程度の雪でも、車が走れなければ何も始まらない。だから、まず除雪車が出動する。雪に対してはそれだけ人も社会も脆弱であり、「記録的な大雪」などが都会に降ると、大ニュースになる。
そうそう、信じられないような話だが宿のおばさんが、雪の中をスキー場まで電話の取次ぎに歩いて来てくれたこともある。あのころは、それくらい人々は雪と暮らす生活に勁かったし、受容していた、と言ってもいいのか・・・、とにかく今からすれば実に思い出すこと多く、懐かしい時代だった。
雪掻きの連絡は来なかった。今週掲載の写真はどれもPhoto by Ume氏です。お楽しみに。本日はこの辺で。