入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「冬」(38)

2022年02月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 西側の屋根にはまだ雪が残っていたのだろうか、その融けて流れ落ちる音がずっとしていた。今はもう止んでいる。明るい青空が半分ほど見えていて、窓を開けても寒くない。鳥の声もしている。西山は雪雲に隠れたままだが、それさえ厳冬期の寒さを感じさせない。
 気が付いて数えてみたら、きょうで冬ごもりが3ヶ月過ぎたことになる。「もう」と思うか、それとも「まだ」と思うか迷うところだが、そうであれば冬が逝き、春が来ることをただ手放しで喜んでいるばかりではない、ということだろうか。
 ある時のことを振り返れば、例えば越年の入笠でもいいが、もう遠い記憶になってしまっている。しかし、そのことも含めても、ひと冬を思えば何とも呆気なかったような気がする。

 とりあえず、1年ぶりに立ち寄ってくれた友を迎え、2合の燗酒とビールを飲み歓談した。そして不覚にも、いつの間にかうたた寝をしたようだった。目が覚めたら旧友は姿を消し、身体がゾクゾクとした。
 夕飯は副菜だけにして桜餅を3個も食べ、アルコールも控え風呂にも入らず、9時には床に就いた。その日覚醒していた時間は、たった12時間にも満たなかったことになる。(2月20日記)

 もうここにも、雪景色はいいだろうと昨年撮った春らしい写真を探してみた。それがこのピンボケ写真で、花もついでながらボケの花。何かの間違いではないかと思ったほどだが、撮影日を見て昨年はこの時季、ボケの花だけでなくすでに梅の花も咲いていたと知った。今朝の室内気温は零度だったから、今年はまだとてもそんな陽気ではない。

 昨夜は念のため羽毛服を着て寝た。多少寝づらかったが、雪山での窮屈なテント生活を考えて我慢したら、どうやらそれで今朝は風気味だった調子が元に戻った。けれども季節も冬に戻ってしまい、昨夜は粉雪も待ったようで、窓ガラスをヒューヒューと寒風が鳴らしている。
 きょうはcovid-19の3回目のワクチン接種がある。場所は往復でも車で15分ほどの距離でどうということはないのだが、外すことができない用事ができると、済むまではそのことに縛られて落ち着かない。今の平凡な暮らしを概ね受け入れてはいても、何もなければなくて物足りず、あればあったで落ち着かず、あっちへ揺れ、こっちへ揺れて、冬ごもりの日々がまだしばらくは続く。
 本日はこの辺で。

 
 

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     ’22年「冬」(37)

2022年02月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨夜9時を大分過ぎ、気になって外へ出てみた。夕方、雪が舞い、時折強い風の音がしていたから気になっていたのだ。天気予報も、確かあまりいいことを言っていなかった。
 ところが、気温は低かったが夜空は澄み渡り、凍れる月の光は地上を照らし輝かせ、近隣の家々の屋根が厳冬の月の光を浴びて濡れたように光っていた。
 そんな見事な「お月夜」に呼ばれているような気がして、すでに10時近く、少し遅いと思ったが、散歩に出ることにした。
 
 案じていた雪は洞口の坂に少し残っていた程度で道路は乾き、凍てついていた。いつもの山道を抜け、開田に出ると、まさに月の光が強力過ぎて、薄墨色の夜空には星々の出る幕はなかった。
 一面広大な雪原を見渡せば、西山には薄い帯状の雲が中腹を隠し、反対側の奥まった暗い一画では、仙丈岳が雪雲を集め格闘中らしかった。
 東の山際に、ひとつだけ赤黄色の星が目に付いた。牛飼座の主星だろうと目を空の中央に移動させていくと、柄杓の形を作る7個の頼りない星の光がそうだと教えてくれた。これから季節の進むのを待ちながら、アルクトゥールスは本物の牛飼が牧場へ上がるのを待っていてくれるだろう。

 瀬澤川に架かる大橋を渡る手前で、手にしたヘッドランプの灯りに気付いてくれたのか、1台の車が後方からきて、大きく迂回しながら通り過ぎて行った。
 二つの橋を渡ると、そこから緩やかな上りとなり、段丘の高台へと至る。視界が段々と下方へも、上方へも広がっていき、いつもの雰囲気を一変させた雪の原の先に、天竜川に沿った夥しい街の灯り、さらに山裾にまで続く人家の灯りが目に入ってくる。そして、うっすらとその背後に灰色の山並みが見え、その先は星のない夜空に譲っている。
 まるでその夜景を、老成した人の穏やかな朗読を聞くようにそこで眺めた。無限の時間とその一瞬を感じた。
 
 福与の集落で折り返し、寝静まった卯ノ木の村中を通り、天竜川の土手に出た。天竜川の川音が、新鮮な響きとなって耳に飛び込んでくる。そこも小さいころから親しんだ懐かしい場所である。
 集落へ続く分かれ道まで来て振り返ったら、西に傾いたオリオンがいつになく弱々しく、疲れたような姿で見送ってくれた。

 家に帰って、散歩の間ずっと考えていた通りワインを暖め、ゆっくりと味わった。昨夜が満月だったことを知り、それも納得した。(2月18日記)
 
 本日はこの辺で。明日は沈黙します。
 かんとさん、そうですか。それでもこれで一安心じゃないですか。
 

 


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     ’22年「冬」(36)

2022年02月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

   Photo by Ume氏

「下條偵察。アジフライ自作、美味至極」。これが昨日1日暮らした上での総括。「下條」は来週の月曜日、ようやくcovid-19の第3回目のワクチン接種の順番が回ってきて、それを受けることになった医院。行ったことがなかったので、暇つぶしも兼ねて所要時間と場所の確認に行ってきた。
 フライの類とか天婦羅もそうだが、普段はあまりしない。油を使うと後の処理が面倒だからだが、それが先日、到来物のイカを天婦羅にして、ついでに大皿に溢れるほど野菜、魚、肉、と試した。肉はソテー用の豚、これらすべてが自己評価では合格。天つゆは、もちろん5・1・1。
 それで気を良くして、昨夜はアジフライに挑んだという次第。アジフライは、たまに近くのスーパーの賄いで買うこともあったが、いつも失望するだけ。ならば、ということでやってみた。その結果、あんなサクサクの美味いアジフライが、あんな薄っぺらの天婦羅鍋で揚がるとは、大驚き。
 たったそれだけのことを特筆するくらいだから、巣ごもりの日々はいたって単調極まりない。
 
 古来稀なる年齢を過ぎると、運動、何かに興味を持つこと、そして会話が大事だと本で読んだ。運動と興味に関してはまずまずながら、会話の機会はあまりない。飲酒、食事のことを省けば、呆けている間に本を読むか、ここで独り言ちるか、風呂に入るくらいだ。散歩は、天気のせいでしばらく中止している。
 それで、無聊をかこつ日々かというと、そうでもない。何の予定もない暮らしに慣れると安気なもので、たまに予定ができると気が急いて落ち着けず、さらに段取り通りに事が進まないと血圧を上げることにもなる。朝起きて、寝るまでほぼ自由に淡々と、呆気なく過ぎていく方がいいのだ。
 こんなことを呟くと余生かと聞かれそうだが、そうとも思わない。健康診断を久しく受けていないから分からないが、身体的には苦痛はないし、頭の中は遠い昔に成長を止めているから気持ちはそれほど老いていない。食に対する関心は衰え知らずで、それに雪の入笠牧場が呼んでいるし、他にも呼ばれている所は幾つかある。会いたいと思う人もいる。

 covid-19のことも、ウクライナのことも、塩気のない政治家のことも、深く掘ろうとはしないし、ここでは呟かないようにしている。五輪も、秘かに応援している選手の試合をテレビで見ると、意外な結果に終わることが多く、遠慮して見ない。
 相変わらず、1日に何度か法華道や入笠を気遣い、過ぎ去れば次々と消えていく列車の景色のような頼りない空想の旅を、まだしばらくは続けていく。それで不満はないかって、ナイ、ナイ。
 本日はこの辺で。
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     ’22年「冬」(35)

2022年02月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

  Photo by Ume氏

 雪が降ってもすぐに融ける。「大寒波だ」、「何十年に一度だ」、「記録的な大雪だ」と、気象予報は警報に使う修飾語がさらに熱くなる。つい先ほども「真冬の寒さ」と言っていた。では、もう真冬ではないのかと思ってしまったら、別の気象予報は「今季一番の寒さ」と警告している。
 色々聞かされても、やはり温暖化は間違いなく進んでいるのが、今積もっている雪を見ても分かる。昔は一度雪が降れば、幾日も残った。それが、ここから見える屋根の上には、たった1日前に積もった雪ですらすでに残っていない。何より古い世代には、盛んだった天然氷の上で滑るスケートができなくなったことが、一番温暖化を感じさせる。諏訪湖の神渡りなど、今冬はかなり期待されたが、今に話題にもならなくなるだろう。

 予報通り、「今季一番の寒気」が到来したとしたら、しかしどうだと言うのだろう。凍死者がたくさん出るのだろうか。生活機能が失われてしまうのだろうか。まずそんなことはないだろう。交通に多少の影響は出ても、この国は素早く、したたかに回復するはずだ。
 大体、北海道の寒さが沖縄を襲い、積雪30センチなどというようなことが起これば話は別だが、まずそんな心配はない。逆に、北海道で2月に雪が融けて桜の花が咲けば、これまた穏やかではいられないだろうが、将来は分からないが、当面そんなことも起こらない。地方ちほうで寒さの捉え方は違うし、その対処の方法はそれぞれの地方で暮らす人の方が、気象予報に携わる人たちよりかもよく知っている。
 それに、寒い地方で暮らす人たちは寒気の襲来よりか、灯油の値上がりの方が多分より切実な問題だと思っているはずだ。その恐れの方が、多少の、と言って良いか分からないが、気温の変化よりも大きいだろう。

 covid-19の患者を守り、支え、日夜必死で看護に取り組んでくれている医療従事者もいれば、テレビに出演しケラケラ笑って、高額な出演料を手にする人もいる。いろいろな人がいる。日々変わる気象状況も、受け止め方はいろいろだろう。防災の重要性を軽んずるつもりはないが、あまり不安を煽るような言い方でなく、客観的に伝えてもらえれば、その方が有難いと思う人はいるはずだ。少なくも、ここに一人いる。
 本日はこの辺で。
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     ’22年「冬」(34)

2022年02月15日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

  Photo by Ume氏

 上伊那郷土史研究会が毎月発行している「伊那路」という40頁ほどの冊子がある。最近届いた今月号に諏訪の御柱(おんばしら)についての興味のある記事が載っていた。題して「高遠藩上伊那郷『諏訪御柱大引廻し記録』」。
 今年は7年に1度の御柱年である。その「天下の奇祭」、諏訪人たちは今からすでに熱く燃えているだろう。大の大人たちが、熱狂、狂乱、正気の沙汰とは思えないほどに御神木に群がり取り付き、担ぎ、吠え、坂を下り、川を渡り、市中を引き回す。木遣りを唄うことになっているある人は、いい声を出すためにわざわざ喉を壊してその日に備えるのだと誇らし気に、そして嬉しそうに語ってくれたものだ。地元の企業は当然休みになり、御柱の通過する周囲の家々は一生懸命接待に励むと聞いている。
 ところがその御柱の祭りに江戸時代、驚くなかれ高遠藩の城主や藩士、そして上伊那郷の住民も人足として多数参加していたことを、先述した「伊那路」によって初めて知った。思えばその以前の鎌倉の時代から、諏訪と高遠は血縁で繋がっていたこともあり、そういう付き合いがあったとしても不思議ではない。
 面白いのは、3代将軍家光の腹違いの保科正之までは、異を唱えずにこの祭礼に参加していたようだが、1636年城主が鳥居氏に代わるとそれまでの慣例を拒否しようとし、そのために時の幕府が裁定し、続けることになったという。次の内藤氏では参加者の人数は半分に減って、それでも86人とあるから、高遠城主の率いる騎馬行列が祭りに華やかさを添えたようだ。



 話はまたいつものように飛躍するが、そもそも諏訪の祭神タケミナカタが諏訪大社に祀られるようになったのは一体いつのことだろう。と思うのも、どうも信州一之宮・諏訪大社は、接ぎ木された木のようなもので、元の木は古事記に登場するタケミナカタなどとはまったく無縁の、もっと土俗的な宗教だったような気がする。ミシャグジ信仰などはその例で、特定の人格神に対する信仰というよりもっと原始的で、自然崇拝に近いものではなかったかと思う。あるいは狩猟と関係するかも知れない。
 円忠という人がいた。鎌倉から室町時代にかけての役人で、諏訪明神の化身と言われた大祝(おおほうり)の家系に連なり、彼は古事記も「旧事本紀」も読めた。「諏訪明神絵詞」作成の中心人物で、この人が、"接ぎ木"に大きく関わったのではないかということだ。
  
 呟き足りないことが多いが、本日はこの辺で。
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