入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     24年「冬」(20)

2024年01月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 誤って、独り言を消してしまった。もう、やり直す気力がない。

 この写真に写る干し草を丸めたヘイキューブ、前回ここを通った時はなかった。この近くに牛を飼う人がいるのだろう。しかしたった2個、1頭の牛を放牧だけで育てるとしたら1ヘクタールの土地が必要だと言われた。これでどれほどの牛の役に立つのだろうか。
 
 酪農の現状も厳しいと聞いている。わが入笠牧場も乳牛よりか肉牛が増えた。牛乳の値段がパック1本あたりで10円上がっても大騒ぎになる。やる気を失う気持も分かる。といって、肉牛だって楽観はできないだろう。
 食の大切さはよく話題にされても、酪農ばかりか農業は効率が悪い。ここら辺りでは高齢者の仕事になってしまって、後を継ぐ人も減っているのが現状だ。また、継ぎたい人が現れても、おいそれと技術、知識は身に付かないだろう。

 捨て置かれたような2個のヘイキューブを見ながら歩いていたら、いつの間にか峠が間近に見えてきた。西山は吹雪いて見えない。
 昨年で辞めるつもりでいた牧守業も、来年まで続けることになるかも知れない。
 本日はこの辺で。
 

 
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     24年「冬」(19)

2024年01月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 風の強い日だった。久しぶりに散歩に出たが、途中で気が変わっていつもの道を逸れて、子供のころに遊んだ里山の中にある山道を訪ねてみたくなった。「ニジュウデラ」、ここでは橇遊びをよくしたし、もっと大きくなった高校生のころ、鶏を丸焼きにして酒を飲んだこともある。
 
 山道はわずかながら昔しの面影を残していた。ただ、道幅が里山整備で拡幅されたようだが、このままだとやがては手を入れる人もいなくなり、また昔の山道に戻るしかないだろう。
 昔しは声を上げて遊んだ橇遊びのあの坂、あのゆるやかな勾配でよく橇が滑ったものだと思ったりしたが、アカシヤとかナラの木を用い、さらには竹を滑走面にはり付けたり して颯爽と滑った。
 いや、記憶に間違いはない、当時はわれわれ子供の知る橇遊びのできる坂は他に「アレザカ」そして「コウコウザカ」、他に2カ所だけだった。

 坂の下にある親戚の墓地へ寄った。知っている人が7人も埋葬されていたが、多分今後、墓参りをする者などおらず、せいぜいあの日のように気紛れを起こした遠縁の自分と、姉が立ち寄るだけだろう。
 その日は、すでに友人父子と、もう一人の友人の墓を訪れた後で、さらに自分の家の墓にも行くつもりでいた。どうもそうしないと、先祖の誹りを招くことになりはしまいかと案じたのだ。
 
 最近、というかいずれの墓も長いこと夜ばかり訪れ、昼間に行く機会がなかった。暗くて読めるはずのない墓誌など、改めて目を向けることもなかったが、幸いその日は昼間だったから、注意して読むことができた。
 祖父の記憶はなかったが、それも当然で、39歳で没したことを初めて知った。うろ覚えに記憶していた先祖の名前は祖父でなく曾祖父のもので、今ごろになって墓誌が語るわが家の家系を複雑な思いで辿った
 郷土史や入笠山の歴史については多少は知っている。関心もある。ところが、関心がなかったとは思わないが、不思議なことに先祖のことは知らなかった。祖母だと思っていた人はそうでなく、祖母の名は墓誌には刻されていなかった。

 里山の裾野を少し巻くと「アレザカ」があったはずだと、行ってみた。茨や灌木が邪魔をしていたが、構わず進んだ。この坂は名の通りの急坂で、上から下まで一気に滑り下るのは難しく、途中のコブに橇に乗ったまま跳ね飛ばされた記憶もある。50年どころか60年、いやもっと昔しのことだ。
 
 今の子供たちはこの坂の名前も、こんな坂で昔しは子供たちが橇遊びをしたことも知らない。きっと彼らは坂の名前を誰からも教えられぬままに年を取ってしまうだろう。
 
 本日はこの辺で。

 
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     24年「冬」(18)

2024年01月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 入笠と関係のないことについては、この独り言はできるだけ関わらないようにしてきた。そういう役割はもとより分を超えているし、世の事柄について考えを呟き、主張をするとなれば、知識も要れば、それなりに調べたり、学ばなければならない。
 乗馬の経験がない者がいきなり馬に乗れば振り落とされるに決まっている。今さらそんな物に乗れなくてもいいとしてきたが、かつて内モンゴルのシラムレン大草原でいささかだが乗馬の経験がある。そんなことを思い出したら、きょうは禁を破り、少々危険を冒すことにした。

 あの政治家たち、偉そうに天下国家を論じ、あるいはそういったふうをして、さあ今回のような金に関わる不祥事が発生すると、あまりにも情けない。あの醜態、「選良」の名が泣きはしないか。
 以下、名前こそ控えるが、何人かの政治家の振る舞い、物言い、そして顔相を思い浮かべながら感情丸出しで呟く。
 
 そもそも、あの面相たるやどうだろう。他人のことを言うのは控えるべきだが、それにしてもあまりにヒドイ、ひどすぎる。政治家というより、さながらXXX人だ。
「目は口ほどにものを言う」とか「目は心の窓」とか言われるが、こちらも実に良くない、悪い。昔し、ある人がああいう顔を「顔相違反」と言ってたが、その伝でいけば即刻免許停止になりそうな顔が目立つ、多い。
 人心収攬、権謀術数に秀で、利権、金権に敏く、それでいて政治経済、法律についてはどうか、首を傾けたくなる。
 ハイ、あなたのことです。いや、あなたたちもそうです。知らぬふりは駄目ですゾ、いつも三つ揃いを着た、口先上手な、短軀小太りのあなたも同じです。
 それにしても、またしても罪を被せられた「秘書」と言われる人たちの中から、一人として内部告発をする者が出てこないというのは、不思議だ。それほど待遇がいいとは思えないが、朱に染まれば赤くなる?
 
 今回の件、いろいろな人がいろいろな場所でいろいろなことを言っている。結局は選挙で審判を下すしかないかも知れないが、無党派層が多く、投票率も低い。
 外国でも、80歳を超えた老人がまだ国際政治の中心に居座ろうとしている。あの人が身を引けばもっと若くて有能な人材が現れるだろうし、彼の進退は一国の問題では済まないだろうに。「老人の元気春の雪」、自戒を込めて。
 本日はこの辺で

 

 
 
 
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     24年「冬」(17)

2024年01月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 冬の雨には気持ちが塞ぐ。週末の夜から昨日まで、そんな雨が続いた。特に夜中、降り続ける単調な雨音を聞きながら、その執拗さに気がつまった。
 ところが昨夜、寝る前に外へ出てみたら、雲のない夜空に凍れる月と冬の星々が輝いていて、久しくやっていない夜の散歩のことを思い出した。
 冬の夜の里山周辺を歩き、足元の瀬を流れる冷たい水音を聞き、見上げる冬の夜空、眼下に広がる夜景・・・、こんなことを呟いているときょうにも再開したくなる。あれも一種の心のラジオ体操に繋がる部分があるに違いない。

 入笠、牧場、そして周辺とも、細い糸とはいえ繋がっている。きょうも、大幅に遅れていたが、昨夏7月に観客を入れて開催した平澤真希さんのピアノコンサートの録画編集がようやく仕上がり、その検討を行うことになっている。
 
 一応、「ネイチャーピアノチーム」という支援者の集まりがあるようだが、あくまでも牧場管理人の立場で参加していた。裏方でいるつもりだった。
 ところが、乏しい予算のやりくりを目にし、何やかやと手を貸し足を貸すようになると、口も出るし、文句も言いたくなる。友人、知人も巻き込み、ついにはキャンプの馴染客や、初めて来て翌週も駆けつけてくれたS髭さんのような人もその中にいた。
 牛の尻を追っている者が、もっと言えば高校時代の音楽「1」の評価を下された者が、タイスがどうした、ブラームスがこうだと言うのだから、この企画の信用問題になったかも知れない。それでも結構の好評を博した。

 前々から、入笠の伊那側は牧場も含めて、個人的には過度の観光地化には積極的になれないと発言してきた。だからと言って、そんな一管理人の思いなど、いざとなれば通用しないことも承知している。すでに充分にそういうことを経験したと言ってもいい。
 もう、あまり時間が残っていない。望むこと、できることは、少しでも牧場を存続させることによりここの環境守ることで、「混雑させないキャンプ場」も、撮影も、そしてコンサートも、あくまでもそのためだと思ってやっている。
 本日はこの辺で。
 
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     24年「冬」(16)

2024年01月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 天気予報によれば、きょうは雨らしい。早ければ昼前から降り出すようだし、夜は雪に変わる可能性もありそうだ。いや、外を覗いたらもう降り出した雨に、白い物が混ざっている。
 こういう天気の日、カーテンを閉じたまま炬燵に入り、冬眠中のクマよろしく何もしないでじっとしていたくなる。きょう一日、何の予定もなく、また作る気もない。朝風呂は済ませたが、ついつい朝食を抜いた。
 このままゆっくりと時間が経ってくれれば、それで一日が終わる。ただ、さすがに、それを待つためだけに息をしていてもいいのかと、どこかからそんな声に責められているような気もする。

 先程、椋鳥の声が聞えていた。庭にリンゴを置いてやってあるから、それをつつきに来たのかも知れない。しかしすぐにどこかへ飛び去ったらしく、もうしない。今はストーブの燃える音だけだ。
 
 冬の山の中で、一人で過ごしたこともそれなりにある。あの時はそうしているだけでも良かったと、当時を思い返して今は思うが、実際はどうであったかは分からない。
 時間を持て余し、何でこんな所にいるのだろうとテントから顔を覗かせ、降りやまぬ雪を恨めしく思い、腹を立てたこともあったような気がする。そして「オレは本当に山が好きなのだろうか」と、よくそんな自問を繰り返したものだ。
 
 冬山の夜は長い。少しでも荷物を軽減しなければと思いながらも、短波も聞ける小さなラジオを持っていったこともあるし、こうやって今PCに独り言ちているように、ノートにいろいろと書き残したこともある。
 そうそう、雪山で快眠、安眠したことは一度もない。羽毛の半シュラフに入り、羽毛服を着て、さらに二重のシュラフカバーの中に入って寝ても、決まって夜半に目が覚め、そのまま朝まで震えっぱなしでいた。
 ストーブを空焚きすることもできたのに、そういう発想がなかった。燃料は量を抑え、それだけに貴重だったのだろう。

 山行についての記録は、残念なことに東京を引き上げる時にすべてをなくしてしまった。訪れた山のことや、あの極寒の夜の寒さのことばかりか、連れ合いがよく持たせてくれた豚ロースの味噌漬けの味についても、もう、読み返すことはできない。
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。
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