★これからのこと
今日は第2回岐阜新聞テスト。また今週は岐阜清流国体の障害者の部でもあり先日は京都大学の山中教授がノーベル賞を受賞した週でもありました。その点学習塾におきましては冬期講習の戦略を練る時間でもありました。
私共におきましても色々と考えることが多く今からの学習塾はどこへ向かっていくのだろうか・・・。もっと云えば個別指導は何処に行くのだろうか・・・。北斗七星は何処にあるのだろうか。広い暗闇の海の中で北斗七星が見えなければ漂流するしかなく能力、知識が無ければただ流されてしまうだけになります・・・怖いことです。その点FCの場合は指標は明確に出してくれますから楽でもありますが一概に個人の塾としては怖いところでもあります。ですから結論から言えば自分の店は自分で守るしかないのです。
さて、今日はこれからのことについて書いてみたいと思います。タイトルは『仲間たち』ということにしましたが私の仲間について少しお話したいと思います。
私の仲間は一つは幼馴染達。もう一つは会社時代の仲間達。そして文学仲間達(学生時代含み)になります。凡そこの三つのパターンかと思います。一般的に考えても同じかもしれません。文学のところを趣味におきかえればいいだけのことです。
実はこの20日(土)から四国の実家に帰ります。今回は永年の悩みを解決する人生でも大きな私ごとでは一大事業なのです。つまらないといわれるかもしれませんが私にしては人生の大事業です。つまり先祖の墓地の移転なのです。私の両親は四国の実家の近くの墓地に眠っています。しかし今の時代を象徴するように墓地の管理をして頂く人がいません。永代供養をすればいいのですがそれでは先祖に申しわけが無くその都度帰るのも不便ですので正直頑張っていい墓石に致しました。しかし、問題は実の母が私が高校1年の時に交通事故で亡くなり当時は火葬はなく土葬だったのです。これがネックで今まで来ましたがやっと5月に実家に帰り解決しましてこの10月に掘り起こしが出来るようになりました。ついては実家の石材店さんや岐阜の石材店さんやお寺の住職さんには本当にお世話になりました。
で、帰るについては私の仲間幼馴染が同窓会をして頂けるそうで嬉しい、感謝の一言です。幼馴染は保育園から中学を卒業するまで60人ほどでみんな家を行き来した仲間です。ですから何でも話せますし私の部屋は別棟にありましたので溜まり場でした。逢えばもう40年近くの空白がなくなるのです。不思議なことです。しかしこれが最後のお別れかもしれません。後は実家の不動産の処分だけですので売れなければ寄付をしようかと考えていますので本当のお別れかもしれません。
そして会社の仲間はこの際スル―しまして20日(土)から大学の部活のOB会があります。2年毎に逢うようにしていますがその年周りになっています。大学時代名古屋のT文学、H文学に籍を置きました。社会人になっても四国のS文学の同人誌に入り発表をしましたが雑誌「文学界」の巻末にあります同人誌評で当時著名な評論家久保田万太郎氏が私の作品『明日の流行』を絶賛?していただいたのですがそれが皮肉にも筆を折ることになってしまったのです。つまり私は純文学を目指していましたが彼は中間小説として絶賛をしてくれたのです。私はその時点で才能の限界を知って書けなくなったのです。それから40年程経ちました。
今、私は小説(あれが小説といえるのであれば)を書こうと思っています。いえ書かなくてはいけないことがあるのです。数年前岐阜の有名高校の進路指導の先生が定例学習相談会にお見えになりました。その時その方は演劇をやっているとのことでしたが私は『芸術家は不幸では無くては出来ません』といってお話をしたことを覚えています。芸術が幸福の中では生まれない・・・それは私の持論です。
今私は精神的に不幸だと思っています。それは我が人生や先祖の思いが一気に背中にのしかかって来ているからなのですがどうしても書いておきたいことが沢山あります。その為に私は来年からは教室の運営のスタイルを変える積りでいます。そのことは生徒達もうすうす感じてはいるようですが来月11月12日(月)から二週間定例学習相談会においてお話をするつもりですし、また書簡でも出します。
晩節はゆっくり自分との戦いをしたいと考えています。私の学生時代は70年安保の時代になります。ですから60年安保の時は安田講堂に立てこもり自衛隊まで出動をした時代でした。70年安保の時はアメリカの原子力潜水艦が九州の佐世保に寄港するということで私の友達も当時のプレイボーイに大きく写真に掲載されました。今はどうしているんでしょうか・・・。ビリーバンバンの『いちご白書』の歌を聞くたびに胸が痛みます。
そんなことで当時の文学仲間と逢ってまた火花を散らしたいと考えているわけです。ですから私の仲間はそう云ったどちらかと云いますと根暗な方が多いのかもしれません。ただ言えることは野球が好きで甲子園で優勝もしました。準優勝も致しました。私の学校は四国の東予地区でかなり古く松山東中学の分校でして(夏目漱石の坊っちゃんで有名です)商業科が1クラスあります。ですから有名な先人も出ているのですが野球部では巨人の藤田監督はじめ沢山の方が出ています。しかし、私は甲子園はスタンドで国体の時は優勝はしましたがその時はもうすでに退部していました。というのも勉強が忙しく・・・?野球部はほとんど商業科ですので普通科は私一人だったのです。今では心残りの一つです。
まあそんなことで日は経ち何時しか大学受験となった訳ですが見事にみんな落ちてしまいました。当時はセンター試験はなく受けることは出来ましたが何故か英語が弱く足切り点にすべて掛ってしまいました(名誉のために云いますが合格点は全てありました(笑)。受けた学校は2校、学部は4学部でしたがもう行くところがなかったのですが後期で受けるところがありましたので何とか行けたということです。しかしいい友達には恵まれました。私が英語が嫌いになったのは日本文学に傾注したことは歴然としています。その為文学の仲間に恵まれたことは幸せでした。世の中捨てるものもあれば拾うものもあります。私は正直浪人をしたかったのですが我が家の家庭環境が許してくれませんでしたので家出同然に飛び出しました。その時の仲間、幼馴染や学生時代の同人誌の仲間と逢う機会が今月なのです。
会社時代についてはまた後日にしたいと思いますがこの不景気の中で何を信じて生きていけばいいのか・・・?
もう泣きたくなるほど気が弱っていますが元来おとなしいのですが敵が牙を剥けばこちらも絶対に牙を剥きます。それは性分ですから今更直りそうもないです(笑)。
今少々明光義塾のエリアの件でトラぶっています。トラぶっているというよりかまきこまれたという方があってるかもしれませんが自分の城は必ず自分で守る!仮に私の店が倒産するようであれば誰も助けてくれません。ですから自分で守るしかない。自己責任なのですから仕方がないことです。ですが私には仲間がいます。一番忘れてはいけないことですが生徒の皆さんは私の一番大事な仲間です。仲間というより同志なのです。一緒に店を作ってくれた仲間なのです。ですからこれから私が表舞台で何時までいる事が出来るか分かりませんが現役を出来るだけ続けたいと考えています。『次代のエース』を作るために私はこれからも頑張っていきたいと考えています。
今日のYoutubeは松山千春の『初恋』を選びました。
http://www.youtube.com/watch?v=w1KyKVZrpDo&feature=related
<今週の言葉>
『幸運は偉大な教師である。不幸はそれ以上に偉大な教師である』
ハズリット 英国の批評家
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