「お母さんもこの家に住んでいたときの、お母さんの使っていた部屋はどこ?」
とめずらしく長い文章を、真剣な顔で(お父さんが)喋った。
父が、著者である娘の自宅に久しぶりに寄った時に言った言葉。‘お母さん’(父は死別した自分の連れ合いのことを‘お母さん’と呼んでいる。)は実は、娘宅で同居したことはなかった。数回遊びに来たことがあったことを父は記憶違いしている。なのにその記憶違いの内容を口にする彼の文章は、めずらしく長いのだ。内容は的外れなのに発語レベルは取り戻されたように上がっている。その同時性の衝撃度。
「準備しておかなくてもいいの。デイ(サービス)に送り出す支度をするヘルパーさんというのもあるの」
とケアマネさんが言い、姉も私も驚いた。よく考えられている!
「よく考えられている!」そういうものがどれくらいあるのだろう。介護そのものが奥深いのにその奥深さをカバーするものが更にあるわけだ。なにかその広がりの大きさに圧倒されてしまい、先のページが読みにくくなっていった。少し休んで、いつか続きを読めるかな。