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これどうしようかな・・・どうしようか考えてみます。

三枚目のはがき ―「その姿の消し方」からのタビ―

2018-12-23 | _よむ__

二度目の奇跡、つまりは
三枚目のはがきの出現。
それは三つ目の消印の出
現でもあり。一九三八年
九月二日。その消印と同
じ日付の書簡があって、
それはそうだろういくつ
もあるだろう、けれど後
に書簡集として出版され
るという立ち位置の手紙

 

ぴったり十行 アンドレ・ルーシェ。まねをしてみると えーと ややこしいのですが 「その姿の消し方」の「私」のまねをしてみると 11字詰めは 日本語に見える。前回 6字詰めは 暗号みたいに見える。日本語に見える限界改行字数、は何字くらいなのだろう。
えーと それは置いといて、書こうとしているのは 「ボーヴォワールへの手紙」。

“後に書簡集として出版されるという立ち位置の手紙”をボーヴォワールに書いたのは、サルトル。
本にまとめられている、その中の最初の日付と 一九三八年九月二日 が同日なのは 偶然らしい。(「波」でのインタビューに寄ると。)

「ボーヴォワールへの手紙」 サルトル書簡集 Ⅱ 人文書院 1988
を見に行った。
同じなのは日付部分で、年は違っていた。
サルトルがボーヴォワールへ送った第一信の日付は 一九三九年九月二日 だった。

巻末の「訳者あとがき」のなかに この本の背景説明があって、
一九三九年九月一日、ナチス・ドイツはポーランドに侵入…
と出てくる。(世界史のそんなに細かい日付までは覚えていなかったな。それとも覚えた時はあって 今は忘れてしまっていた、ということか。そもそも そんなに細かい日付、という置き位置の日付なのか。)

確認するだけのつもりだったが 少し読んでみることにした。
「愛する人…」と始まる、シモーヌ・ド・ボーヴォワール宛 一九三九年九月二日 土曜日 日付の手紙。

愛する人
前出の「訳者あとがき」の中には 「サルトルの恋文に――また多くのフランス人の恋文に――特徴的と言えるいささかオーバーな表現」という説明もあって、私信、もっと踏み込めば恋文というものを久しく受け取っていない身の、そしてニッポン文化圏に生息してきた読み手である2018年の私としては 愛する人 その一言からいきなりどぎまぎしてしまうではないか。タイムトラベル!ポンッ!と20代くらいに自分旅行して そんな時に「愛する人」と始まる手紙をもしもらったとしたら その時点の私はどう感じるのだろうか。(ん?「感じた」だろうか、かな?)(なんでタイムトラベル?なんで20代?それはですな、それくらい遡らないと 自分のもとに恋文がやってくるという設定を とても想像することが出来ないもので。。。)
どんな旅やねん?の 「その姿の消し方」からのタビ。

 

 

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