市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

タゴ事件103年ローンで安中市財政の帰趨を制する群銀の戦略

2008-11-10 01:27:00 | 土地開発公社51億円横領事件
■地方自治体ではおそらく史上最大級の巨悪横領事件に位置付けられている安中市土地開発公社51億円事件。1998年(平成10年)12月9日に安中市・公社と群馬銀行との間で交わされた和解条項によれば、安中市は西暦2102年まで、毎年2000万円ずつ(最終の2102年だけは1000万円)元職員の多胡邦夫の尻拭いとして、群馬銀行に支払を続けることになっています。

裁判所が提示した超法規的な和解条件とはいえ、タゴ事件で群銀が被ったとされる33億円余の損害額を全額認めさせられた安中市に対して、約9億円+数億円を棒引きしてやった群馬銀行にとっては、タゴ事件後も、安中市のメーンバンクとして君臨し続けており、安中市の財政運用によって挙げた利益や、今後一世紀に亘る和解金の収受による安中市役所への影響力行使など、長期的にみれば、「タゴ51億円事件サマサマ」というのが本音ではないでしょうか。タゴの尻拭いに使われる公金をせっせと納税している安中市民としては、グチをこぼしたくなります。

群馬銀行は、首都高速でタンクローリーが横転炎上した多胡運輸を下請けに使っていた元請のホクブトランスポート㈱の取引銀行ですが、多胡運輸の社長の多胡茂美の実兄である多胡邦夫(以下「タゴ」と表します)に騙されたとして、安中市・公社を相手取り、平成7年10月19日に貸金・保証履行請求訴訟を提起し、前述のように、平成10年12月9日に和解しました。

しかし、群馬県を代表する金融機関の群馬銀行は、元職員のタゴとは、公私共に熱心に取引をしていたことが、タゴ事件の刑事記録から読み取れます。

■安中市土地開発公社に15年余り長期配置されていたタゴが、公社の事業を通じて金融機関との関係を密接に深めていった背景には金融機関側としても、タゴの重要な役回りをよくわきまえていた実情があります。

元職員タゴは、昭和55年4月の安中市土地開発公社設立以降、平成7年度末まで安中市が行ってきた全ての土地先行取得、造成及び公社プロパー事業を手がけてきました。あまりにも長期間にわたり、金融機関は、タゴからこれらの事業融資の下話や申込を受けていたため、タゴとの間には次第に緊張感が失われていったのです。いつの頃からか、金融機関はタゴが実務担当のヒラ職員ではなく、タゴに実権が任されていることを感じ取るようになりました。タゴもこうした雰囲気を察知し、市長らの特命を担っていることをとりわけ安中市のメーンバンクである群馬銀行に対して強調するようになったのです。

群馬銀行では、市長ら幹部との接触は、いろいろな機会を通じて行なっていたので、タゴが市長の特命を帯びているとするタゴの言うことに疑いの余地はないと考えるようになりました。やがて、タゴに、いかにうまく取り入って、ご機嫌を伺うかどうかに執心するようになり、正常な取引感覚を狂わせてしまったのでした。

■タゴは、公社職員としての公的な融資申し込み以外に、金融機関に対して私的な融資申し込みも行っていました。金融機関は、年々膨れ上がる公社事業への融資参画機会の増加をうまく取り計らってもらうために、タゴからの私的融資申し込みに対しても、特別な配慮で対応していました。

金融機関としては、タゴの私的融資がどのような意図で申し込まれたかをチェックすることなく、無審査同然で応じていたのです。

とりわけ安中市指定金融機関で、いわゆるメーンバンクの群馬銀行は、タゴや配偶者に融資の便宜を図ってきました。なかでも大口の融資案件は、タゴがゴルフ好きなのを知って、ベルエア・カントリークラブの会員権を購入する際に、手厚くサービスをしていた件です。

タゴと公私共に親しかった当時の群馬銀行安中支店の支店長代理は、ベルエアの会員だったので、紹介者として(ベルエアの入会には会員の紹介が必要)タゴの会員権取得を群銀の子公社を通じて代行してやりました。会員権は1300万円でしたが、群銀の資料によれば、タゴは自己資金800万円を他行の預金で賄い、残り500万円を群馬銀行に購入資金として申し込んでいました。平成3年6月10日のことでした。

■群馬銀行安中支店長代理が率先してこの手続をしたので、タゴはあれこれ自己資金の出所や信用調査されることなく、融資は極めて順調に行われました。翌日には決裁が下りたからです。この時の群銀本店への貸出許可申請書類には「総額13M(自己資金8M他行預金、本行5M)」と記してあります。MとはMILLION(百万円)の略号です。タゴにとっては、1300万円など、毎回群銀の特別口座から毎週1、2回は引き出していた金額で、小遣い程度の感覚でした。即金でボンと支払ってもよかったのですが、怪しまれないように(もっとも群銀にとっては、タゴの機嫌を取れればそれでよかった)、また群銀に恩を売るためにも、500万円のローンを申し込んだのだと思われます。

群馬銀行安中支店から群銀本店宛ての資料には、この融資に際して、タゴの信用調査データが一応添付されていました。それによると「無担保長期の扱いとなりますが、別紙事由勘案取扱い致し度」と書き添えられています。「基準金利+0%」という破格の条件で貸出しOKとされたのでした。一般市民が群銀にカネを借りようと思っても、こうはいきません。

■タゴは家族の名義を含めて、群馬銀行に個人的な口座をいくつも持っていました。当然、群銀側としても、タゴの個人顧客としての取引先コードを設定していました。

タゴの取引先コードは「001365」でした。そしてタゴの月収は0.4M(40万円)で「給与所得者安中市役所職員」と記載されていました。

平成3年6月当時、群銀はタゴの配偶者にも95万円を貸し付けていました。ベルエアの会員権では保証人にはタゴの配偶者がなっています。タゴの配偶者の欄には「喫茶店経営(チャリンコ)」と記されていました。

群銀のローン500万円は元金均等通常という条件で返済計画が組まれていました。初回は平成3年7月10日、返済額5万円でした。その後の返済計画は次のとおりで、予定通りゆけば平成11年7月10日に完済予定でした。

H 3年7月~12月 各月5万円× 6ケ月=30万円
H 4年1月~12月 各月5万円×12ケ月=60万円
H 5年1月~12月 各月5万円×12ケ月=60万円
H 6年1月~12月 各月5万円×12ケ月=60万円
H 7年1月~12月 各月5万円×12ケ月=60万円
H 8年1月~12月 各月5万円×12ケ月=60万円
H 9年1月~12月 各月5万円×12ケ月=60万円
H10年1月~12月 各月5万円×12ケ月=60万円
H11年1月~6月 各月5万円×6ケ月=30万円
H11年7月10日 最終支払い=20万円

■タゴはこうして群銀に毎月10日に5万円ずつ返済していました。ところが平成7年5月18日に公社事件が発覚したため、元金235万円分を返済した時点で、265万円が残ってしまいました。この残金がその後群銀に支払われたかどうかは、確認されていません。タゴは群銀に隠し口座や親族名義の口座など、判っただけで数千万円のカネを預けていました。当然、それらは名寄せされて群銀の顧客取引情報として載っていたはずです。

タゴがそんなにカネ持ちなのに、なぜ群銀はゴルフ会員権の購入資金500万円のために、わざわざローンを組んでやったのでしょうか。

個人や法人が金融機関から融資をしてもらう際、金融機関は個人や法人の信用度を必ずチェックするはずです。個人の場合にはいくら預貯金があるのか、収入はいくらくらいで返済に無理はないか、勤務先や家族構成など関連情報を調査して、それらを顧客台帳に記しておきます。群馬銀行の場合は「個人取引推進カード」と呼ばれる台帳に、全ての顧客情報を一元管理しています。

■タゴは公社の重要人物であり、群銀にとって最優先の顧客だったのでしょう。安中支店からの口添えもあるので、タゴは私的なカネを借りようと思えば、いつでも思うような金額と条件で、群銀からのローンが組めたに違いありません。

しかし、それにしても、それにしても・・・です。月収40万円の公務員に、なぜ1億円近い預金が可能だったのでしょうか。また、タゴが他のゴルフ会員権も持っていることを知りながら、1300万円もするゴルフ会員権をあっせんした際に、なぜ自己資金800万円をボンと払えるのかと疑問を抱かなかったのでしょうか。それとも顧客台帳に預金が数千万円もあるから、担保として十分だと思い、信用したのでしょうか。

■一般市民のこうした疑問は、タゴのホームバンクである群銀には常識として備わっていなかったようです。では、群銀はタゴを市役所の一般職員として見なしていなかったのでしょうか。

群銀の平成7年6月現在のタゴ及び親族に関する「個人取引推進カード」には次のように記録されています。

**********
●多胡邦夫
 取引先コード 0013652
 業種     151000
 勤務先    安中市収入役
 生年月日   昭和二七年三月三〇日
●配偶者
 取引先コード 0115970
 業種     095900
●長男
 取引先コード 0111662
 業種     151000
●二男
 取引先コード 0102451
 業種     190000
●世帯合計
 定期・積定  63,566千円
 普通預金    5,279千円
 総合計    68,845千円
 貸出金     2,650千円

■このように群銀はタゴのことを「安中市収入役」と「認識」していたのでした。こういう状況であれば、なぜ群馬銀行がタゴをVIP扱いで待遇したのか、一般市民の疑問は全て解けます。
 しかし、安中市収入役は、平成3年当時は神沢忠昭氏で、平成4年3月27日からは青木弘之氏が就任していたはずです。事件発覚当時も青木氏でした。タゴが収入役になっていた、などという話は一般市民は全く知りません。いったいどこから群馬銀行は、こういう事実を掴んだのでしょうか。一般市民には新たな七不思議が浮かびます。そこで大胆に推測してみることにしました。

■群馬銀行にとっては、安中市の収入役は実質的にタゴでした。いつも収入役の代わりにタゴが群銀にやってくるし、小川勝寿市長(当時)との関係も深く、信任も厚いようだと認識していました。この理由は、小川市長も、タゴを実質的な収入役として起用していたのも同然だったからです。群馬銀行は、当然あらゆる角度からタゴの実質的な役割や実力をチェックした結果、確信を持って安中市収入役と認識したに違いありません。だからタゴが15年間も群銀との交渉窓口として長期配置されてきたことについても全く疑問を持たなかったのでした。

あるいは、中には、おかしいぞと思った行員もきっといたに違いありません。だが、安中市の特殊性について、上司や幹部から言いくるめられ、後任者に引き継がれるうちに、そうした疑問もいつしか消えてなくなったようです。タゴの本当の年収や職位等はどうでもよく、実際に安中市の事業や財政面に対してタゴがどれほど影響力を行使できる立場であったのか。市長や市幹部やOB、そして議会の一部の関係者などからの信任度の厚さについて、十分知り尽くしていたためです。

■安中の事実上の収入役はタゴであることを熟知していたからこそ、群銀はタゴにゴルフ接待を繰り返し、盆暮れや異動の際の付け届け、そしてゴルフ会員権の斡旋など、手厚いもてなしをしていたのでした。

これは犯罪として立件できるのではないでしょうか。ぜひとも司直に聞きたいところです。
検察は「既に時効だ」と言うに違いありませんが、この様な異常な事実が、警察の捜査や検察のチェックを経て居るにも関わらず、なぜ見過ごされて、不送検・不起訴扱いになったのでしょうか。やはり、タゴ一族を取り巻く得体の知れないバリアーの為せる技なのでしょうか。

タゴの豪遊と使途不明金の尻拭いのため、103年ローンのうち10年分を勝手に安中市によって、群銀に対して、公金から支払されてしまった安中市民としては、さらに次の10年間の苦難が始まります。しかも、さらにそのあとまだ83年残ります。

安中市民は、ひ孫の代まで正確に事実を伝えていかねばなりかねません。私たちの子孫に馬鹿にされないように、関係機関にきちんと事実確認をしておく必要があります。

【ひらく会情報部】

写真上:タゴ事件で安中市を牛耳るメーンバンク群銀の本店

コメント (2)
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