市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

横領金から1億5千万円もらったタゴ配偶者が岡田市長に寄贈した絵画6点の真贋

2010-06-22 23:47:00 | 土地開発公社51億円横領事件
■今日の上毛新聞に、タゴの配偶者が、安中市土地開発公社理事長を兼務している岡田義弘市長に、夫が横領金51億円のなかから購入したものと見られる絵画6点を寄贈していたことが報じられています。

 事件からちょうど15年目に、なぜ、まだこのようなタゴの横領事件の名残が、しかも、タゴの配偶者の手元にあったのか、まことに不思議です。

 まずは、上毛新聞の報じた記事を見てみましょう。

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安中・巨額詐欺事件 「債務履行の一部に」
元職員の妻 絵6点、公社に提出
 安中市の元職員による巨題詐欺事件に絡み、元職員の妻が「夫所有と思われる絵画6点を損害賠償の債務履行の一部にしたい」として、市土地開発公社(理事長・岡田義弘市長)に提出していたことを、市が6月21日の市議会全員協議会で報告した。公社が預かり、処分方法を検討しているが、絵画の価値は不明。議員からは「鑑定料の方が高ければ、かえって公社と市に損害を与えることになる」との意見が出された。
 同事件の民事訴訟は、公社と市が連帯して群馬銀行に24億5千万円を支払うことで和解した。このうち約2億2690万円は公社の正規業務による借り入れ。元職員所有の不動産などを処分した約1488万円を除き、公社と市の元職員への債権は約22億821万円残っている。
 元職員の妻からは4月に申し出があり、公社の理事に諮った上で5月に受け入れた。6点の中には東洲斎写楽作とされる版画、高橋由一作とされる油彩画「風景」などが含まれているが真贋は分かっていない。市は「鑑定料を精査し、損害の出ないよう対応したい」としている。
(上毛新聞平成22年6月22日)
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■タゴは、51億円事件で警察に逮捕された後、供述の中で、美術品については、主に栃木県足利市の一品堂から、「約400点の品物を10億円から12億円の骨董品・古美術品を購入している。納品書、領収書等はなく、一切現金払いである」と自供し、タゴの自宅や骨董倉庫等の捜索の結果、503点に及ぶ骨董品・古美術品等が警察により押収されましたが、同骨董品等に関する領収書等の書類関係はありませんでした。

 一方、タゴにこれらの膨大な骨董品・古美術品等を売ったとされる一品堂の店主である小貫達(当時53歳)は、警察の取調べに対して「タゴとの取り引きは、平成3年から平成7年の間に約4億5千万円である」と供述しましたが、その供述を明確に裏付ける納品書・領収書等の書類等は一切提出されませんでした。

 警察は、骨董品・古美術品の購入金額について、タゴと小貫との供述に約5億円ないし7億円もの大きな差額があることから、捜査差押礼状の発行を得て、平成7年11月11日、一品堂の小貫の自宅及び一品堂店舗を捜索しましたが、タゴとの取引を解明する資料は得られなかったというふうに、捜査結果に記しています。捜査結果として明らかに不自然です。

■この不自然さを裏付ける証拠があります。検察の冒頭陳述では、甲103号として、一品堂店主の小貫達氏は、タゴに骨董品を販売していた状況について平成7年6月29日に警察に対して「タゴとの交際状況等、タゴに骨董品を販売していた状況、平成3年頃かんら信金職員の石原保の紹介でタゴと知り合い、長期間多量に被告人タゴに販売していた」と供述したことになっています。

 ところが、当会がタゴ事件発覚後約2年経過した平成9年5月25日に、〒326-0337栃木県足利市島田町74にある古物商の一品堂を訪れた機会に、店主の小貫氏はタゴ事件に関する情報について、当会のインタビューに対して次のとおり告白したのでした。(以下、当会発行の「まど(安中市民通信)」2005年5月20日第113号P1~P4から引用)

<一品堂店主の言い分>
 事件発覚直後に地方紙や週刊誌に、あたかも私がタゴに骨董品を全部売ったかのように書かれた。これはペンの暴力だ。私がタゴに直に売った骨董品は一点もない。警察も「被害者ですね」って言ってくれている。客が皆嫌がって来なくなってしまうからだ。
 私は、タゴの骨董倉庫にある品物を全部見た。警察に頼まれて一緒に調べた。警察の人では骨董品をどうやって整理して良いかわからないというからだ。
 3日くらいで整理を終ったが「予想より大分早く終って助かりました」と警察に感謝された。倉庫の中には、いろんなものがあった。
 私から流れた品物が、タゴの骨董品の中で何パーセントくらいだったか、はっきり覚えていないが、点数として3分の1か4分のIだと思う。
 週刊誌か訴聞だか「大観の絵を何億で…」などと、私が売ったようなことを書いていた。確かに大観の絵と称するものがあった。私は陶磁器専門なので書画のことはよく分からないが、判らない私が見ても変なものだった。私が見た限りでは三つあった。
 週刊誌では、私だとは書いてないけれど、私みたいな感じで書いた。週刊新潮は取材に来たが、私も店に居ないことが殆ど。ただ警察に協力して骨董品を調べた時に、たまたま警察の前で取材の記者と行きあって、ちょっと立ち話したことがある。
<タゴの仲介者>
 警察からは「誰にもあのことは言うな」と言われている。記者などに何か言うと、警察に怒られてしまう。そのため、記者には「警察で聞いてください」と言った。
 ただし、記者に聞かれたとき、事実として「私はタゴに直に一点も売っていないし、その間に入った人の家にも行ったことがないし、タゴ本人の家にも行ったことがない」ということは言った。
 実際には、ある人を介してタゴに骨董を売った。最初に私の店に、私の友達と一緒にその人が来て「あのう、美術館を作る人がいるので、骨董品のいいものを見つけてくれませんか」と頼まれたのが始まりだ。
 その後は、もっぱらその仲介者から電話で連絡があった。その人は、いつも私に電話で「何か入りそうですか?」とか「サンプルを借りられますか?」と言うので、私の客とか業者の人でそういうものを持っていれば借りてきたりして渡したわけだ。
 ただし、その仲介者が誰にいくらで売っているかは分からない。私がよそから借りてきて、それに手数料を載せて、仲介者に渡したが、その仲介者とタゴとの間の取引は見たことはないからだ。仲介者が、実際にいくらでタゴに売ってるか、どこで売ってるかもわからなかった
 仲介者の名前は私の口から言えない。警察も最初の時は、やはりマスコミ同様に誤解していた。私は「一点も売ってませんよ」と警察にも言った。
 仲介者は、タゴ本人とものすごく、昔から親しい人だったらしい。地元群馬の人だ。かなり昔から親しい様な感じだが、私もよく当人から聞いたわけではない。
 警察でも[そのことについて教えてくれ」と言われたから、「いや私のロから言えないので、調べて下さい」と言ったら、ちゃんと調べていた。警察の方から「この人ですか?」と言うので、私は「いやあ、それを知っているなら結構です」と言った。
 その仲介者は、骨董の業界外の人で、ふつうの勤め人だ。後で警察に聞いたら、その人は昔、骨董の許可証を持っていたという。「ちゃんとした勤め人だと、今は骨董許可証は取れないのだが」と言ったら、警察では「昔から持っていたらしい」と言う。というわけで、その仲介者は古物商許可証を持っているらしい。安中在住ではない。
<他言無用と警察からクギ>
「誰がどうだということはいっさい言わないでくれ」と警察から固く釘を刺されている。警察では、事件直後は特にマスコミなど関係者に神経を尖らせていた。「マスコミとか関係者に聴かれても一切警察へ言ってきいて下さい」と言うように、警察からそう言われていた。警察は全部調べたから、事件の情報はすべて握っている。そうでなければ、刑事裁判も何も進められないからだ。
 私がはっきり言えることは、直にタゴには一点も売っていないことだ。また、変な品物は一点も売っていない。偽物は売っていないこと、これだけははっきり言える。その他のことは、まあいろいろ言えないことがある。言うと警察で怒られるかもしれない。私の方としては骨董倉庫の整理で協力したので、これまで警察からはまだ怒られたことはないが。
<役人の所得税は無法状態?>
 あの事件には私も驚いた。だけど、はっきり言って、こんな事件が10何年も分からないわけはない。タゴは役所のすぐ近くに住んでいたというから。市役所職員だから、市民税をとるのに、収入がすぐ分かるわけだ。それも誰も市の職員が知らなかったはずはない。
 人の話か、警察の話か分からないが、問題になった年代よりずっと前から、いろいろなことがあったらしい。10年くらい前から既にあったらしい。ただ時効とかの部分で、警察は問題にしなかったらしいが、随分前からあったようなことをきいている。
<仲介者の石原保が一品堂に持ちかけた美術館計画>
 安中市民がこの事件を不思議に思うのも当然だ、私も仲介者から最初にちょっと耳にしたのは「昔から持っている地所をゴルフ場に売って金があるので、それで美術館を建てる」とか、「将来美術館を作るので、いい品物がほしい」という話だった。
 ただし、私は金がどうこうと聞いたわけではない。タゴと直取引ではないし、仲介者に「何で金があるんですか」などと聞くわけにいかないからだ。
 勿論、横領した金で買うなんて想像もつかなかった。美術館を作るという人が「いい品物を今までにもいろいろ買ったけど、もっといい品物を欲しがっているから探して下さい」というのが、そもそもの始まりだった。
 私はその仲介者の家にも行ったことがないし、こちらから「ほら、何が入りました」という電話はしなかった。私は客に電話はしない。客は欲しい時は店に遊びに来る。忙しいとかいろいろ事情があれば、やはり自分の商売の方が忙しいので、買う気にならないからだ。
 だから私は「こういうのが入りましたから来て下さい」というPRは一切やらない。客から「こういうものを見つけて下さい」と依頼があると、そういうのを業者が持っていたり、別の客が持っていたりすると、それを預かって5%とか10%の手間賃を乗せて、仲介者に大抵渡したわけだ。
 当然、私の所属する骨董業者の会や交換会で買った品物を、仲介者に買ってもらったこともある。しかしあまり高価な品物を自分で買って持っていることは、リスクがある。客に気に入ってもらえなければ、自分で抱えていなければならないからだ。
 自分で買う場合には、自分の好きなものが一番の条件だ。だから自分で無理して買ったりせずに、誰か持っているものを借りたりして、商品を探す。
<一品堂と笹塚会>
 タゴの弁護士の依頼を受けて、タゴが買い集めた骨董品を、私の所属する業界の会で全部処分した。あれを全部、タゴの弁護士か警察か誰がやったのか知らないが、私も所属する骨董品の会は、日本で一番定評のある会で、そこで処分した。会の名前は笹塚会といい、東京美術倶楽部でやっている。
 ここでタゴの骨董を処分した時に、私が扱った品物には、私が仲介者に出した金額よりも、もっと高い値が付いたのが結構あった。ただし、仲介者がタゴ本人にいくらで売っていたのか、それは分からない仲介者とタゴとの間の取引を、見たわけではないためだ
 新聞や週刊誌には、タゴが買った骨董品の総量というのは10億ないし12億だと書かれているようだが、そういう金額にはいろいろなものも含まれていると、誰かが言っていた。ギャンブルとか、諸々の《言えない金》とか、そういうのも骨董部分に含まれているようなことを誰か言っていた。
<真相を知る立場だった石原保>
 タゴは説明できないカネを一括に骨董の中に含ませているのではないか。警察でも金額が「いくら計算しても合わない」と言っていた。結局、私はこうではないかと推測している。なぜかと言うと、私の店がああいう形ではっきりとではないが活字で出たということは、骨董品でいろいろとタゴが変なものを買っていたからだと思う。
 誰がタゴに売ったのかわからないが、贋物が随分多い。骨董屋も殆どがそういう傾向だ。タゴが買った骨董品は、全部その仲介者が仲介したのかどうかわからない。だからそういう贋物の部分について、警察が絡むと煩わしいんで、私の店だけから買ったということにしたのではないか。
 私以外に、タゴに骨董品を販売した業者が誰なのか、私には分からない。多分、みんなその仲介者が関与したのではないか。
 えらくタゴと親しい人だという。だから直に業者がタゴに売ったとか、それから暴力団の人も、九州とかどっかの人が持ってきて売ったとかいう話も聞いた。
 私も、そういうのを実際に見たことがないので、はっきりと言うわけにはいかない。また、余計なことも言えないし、誰が売ったのかも分からない。
<贋物を仲介した石原保>
 ただタゴの骨董倉庫の中には贋物はいっぱいあった。だからタゴが買ったものが贋物とかだと、それらがまた別な警察問題になるので、「私の店から買ったとか、そう言ってくれ」とかいうふうになったんではないだろうか。あくまでも推測だが、多分そうではないかなと。これは私の感じだ。おそらくそういう状況で、私のところだけからタゴが買ったという話になったと思う。
 たぶん警察でも、最初そういう話になっていたのだと思う。それで私が事情を説明したらみんな分かってもらえたが、最初はそういう感じで警察を初め関係者はみんな思っていたらしい。
 誰が、そういうふうにタゴ本人に頼んだか、あるいはタゴ本人がそう言ったのか、本当のところは分からない。しかし今になってみると、そういう感じがする。
 私は、はっきり自分のことだから言えるが、直に一度もタゴに売ってはいない。また変な贋物も私は扱っていない。
<タゴ骨董倉庫の様子>
 タゴの骨董倉庫を整理したときは、なにしろ暑い盛りにやった記憶がある。警察の人たちと5人くらいで、みんなで大変だなあ」と言いながら、一品ずつ全部写真を撮ったりした。
 それと、何という判定のものか、いろいろな型があった。刀とか絵も沢山あった。横山大観の絵なども並べていたような気がした。確かに3本あった。私は絵は分からないが、カンで、これはまっとうな絵ではないと分かった。それをタゴがいくらで買ったのか。週刊誌に書いてあるような値段では買ってないとは思う。タゴが買っているところを見たわけではないため、想像でものは言えないが、現実に贋物が沢山あったことだけは間違いない。私が売った品物がどれくらいになるのか、警察には全部、帳面を持っていって調べてもらった。警察は全部知っている。
 私もこの件は早く忘れたい。記憶が曖昧なことを言って、後でどうこう言われると困ることも事実だ。マスコミとか関係者から事件のことを聞かれた場合、「警察で全部聞いて下さい、とそう言って下さい」と何回も警察に念を押された。タゴの骨董倉庫で整理をしているとき、マスコミなんかも来ていた。その時も警察の人が、マスコミ関係者らをみんな帰していた。
「マスコミがもし黙って、あんたの店に事件のことを聞きに来ても、絶対『警察で聞いて下さい』という以外のことを言わないで下さい」と警察には念を押されている。
 骨董品の取引については、手数料を乗せているものに、一部落ちていたものがあったので、役所の方にはその後きちんと修正申告をしてある。
<タゴには3億円程度販売>
 タゴの骨兼倉庫にある品物のうち、私が納めた品物は3分の1くらいだった。金額については、私ももう何年か前のことではっきり分からないが、3億円近くじゃないかなと思う。今はもう忘れようと思っていることなので、はっきりとした数字も思い出したくないほどだが、そのくらいはあるかな、と思う。
 この事件で、業者聞ですっかり名が知られてしまった。最初、同業者に東京で行き会うと、みんな私のことを事件に関与したと思っている。「いや、私は一品も直に売っていないんですよ」と言うと「そりゃあよかったですねえ」と分かってくれた。
 この商売では、最初は全然どこの人が客かも分からない。来た客に「どこの人が買っているのか」と聞くわけにはいかない。しかし、どこにもはしっこく頭のいい人がいる。話を聞いて、どこの人が買っているか分かれは、直にみんなそこへ殺到する。ワンクッション抜いて自分で直接売ればいいと思って、みんなそういうことをやる。私はそういうことは相性に合わない。ものを買うのも売るのもやっぱり人問の相性というものがある。
 私はコレクターからこの商売に入った。某美術館の偉い人から、そこで展覧会やったら、すごく褒められ感謝された。「いやこっちこそ買ってもらって感謝している」と恐縮した次第だ。
 私は無理に「これは安いからいい」とか「これはいいものだから」とか「どこにもないから買っておいたほうがいいよ」と店に来た客に言わない。だから「変人だね」と言われる。客に気に入ったものを買ってもらうのが、一番いいわけだ。
 今の時代は、いいものを買ってくれる人は世の中にどこにもいない。こういう景気だからだ。バブルの時は金持ちが沢山いたからよかった。直接に売らなくてもそういう客が結構多かった。
<いろいろな人が絡んだタゴ事件>
 この事件にはいろいろな人が絡んでいるに違いない。そうでなければ、こんな大それた事件が続くわけがない。部外者の誰もが不思議と思う。タゴは市の職員だし、その収入は市では市民税で分かるのだから、それを分からないということ自体おかしいことだ。誰もが、その疑問点を思い浮かべるに違いない。
 群馬の同業者や客が私の店に遊びに来て話をするのを聞いた。タゴとゴルフにみんな行っていたとか、選挙の時はどうのこうのとか聞いた。それは単なる噂だから「ああそうですか」と私は聞く以外にない。噂ではそういうのを聞くが、私は何も分からないからどうだとか言えないが、ただ普通の人が考えれば考えるほど不思議な事件だ。
 骨董品の販売では、価格は直相場で、私の方は手数料をもらって買ってもらった。今は骨董相場が下がってしまった。先年のタゴの骨董品の処分でも、早い話があれは投売り同然だ。何百点も投売りで一緒に出せば、需要と供給のバランスだから当然そうなる。一点とか二、三点だったらみんな欲しい人が競るが、あんなに山ほど出されたのでは、みんな迷って詳しい値段など出ない。【情報部注・一品堂は、タゴの骨董を処分した笹塚会のオークションで、数点の古伊万里を買い戻している】
 でも私の記憶では、私が仲介した商品でも、他の人が預けた金額よりも高く値が付いた品物も結構あった。それは、やはり美術館を作るという話だったから、私には信用が第一だった。金の支払もそんなに遅くなかった。一ケ月以内にもらえた。もらえたといっても、タゴから直にもらったことは一回もない。
 美術館を作るという話だったから、いい品物を納めておいて、後でいい美術館ができたとき、私が納めたものだと分かると、やはりそれが信用になる。私にはそういう感覚があった。
 私の店などは田圃の中だから、最初の頃は知名度もなく、店があることを知ってもらうため、最初の頃は広告を出したけれど、なかなか広告で売れることはない。それと、一括で欲しいなどと言う客もめったにいない。店に出向いてくる客も滅多にない。
<バブルのあだ花、骨董業界>
 だからこの事件以来、年に何点か買ってくれる人も足が遠のいた。やはりそんな店に出入りしていると巻き込まれてしまうと思って来なくなってしまうのではないか。新聞などにははっきり言いてなかったが、どこそこの県の骨董屋というと大体分かる。それでみんな足が遠のいてしまう。
 骨董業界は深刻な不況だ。私の場合、この事件も影響しているが、今世の中全体が不景気だ。鑑賞用の骨董を扱っている東京のちゃんとした業者で、ちゃんとした品物を売っている人などは、どこも商売にならないと思う。テレビの影響で、どこかの露天とか、平和島とか、ああいうところでは買い易いものだけが売れる。みんな素人の人が散歩に行くから何十万人も来る。
 そこで誰でも買えるものは売れるが、ちゃんとしたものを扱っている店は今商売がないのではないか。仕入れもできないし、売れないし、売れても消費税程度しかもらえない。ちゃんとした店の利幅はそんな程度だ。
 いい品物を買う人はみな、目が肥えているし、この業界は狭いから、買ったばかりの品物はどこで買ったというのがすぐ分かる。ノミの市とか平和島なんかで売っているものは単価の安いものだから、何倍かで売れるものもあるが、ちゃんとしたものは買う人がしっかりしているから、そういう馬鹿なことは言えない。
<90年ごろから軽井沢へ出店>
 今回タゴに売って利益を出して、軽井沢に店を出したのかと言われるが、その逆だ。売れないし、何か手を打たなくてはしょうがないと思って店を出した。
 こんな田圃の店の中では客も来ないし買う人も少ない。軽井沢なら世界の金持ちが集まっているかと思って出店して、もう5、6年経過する。やはり同じだ。
 日本の凄い人が遊びに来る。日本の昔の大財閥の人たちがみんな来るがパワーがない。結局今の時代はそういう時代だ。利益が出た時代はそんなにいつまでも続かない。もう買わなくなるだろうと、いつも不安に思っていた。だから打開策として、軽井沢なら金持ちが集まるかと思って店を出したわけだ。
 現実は、そういう凄い人は山ほど遊びに来るが、皆お茶を欲んでいろいろ話をするだけで、現実には売れない。今はそういう余裕がないのではないか。だから軽井沢などでは毎年骨董店が代わっている。みんな軽井沢だから、凄い人が来て売れると思い、夢を持ってくるけど、なかなか売れないのが現実だ。
 5、6年も店を維持しているから、さぞ売れると思うだろうがそうではない。売れるということは、前からの客が田圃の中の店には来ないけど、軽井沢にゴルフで来るとか別荘に来るとか、そういう人がいる。田圃の中の店にわざわざ来るよりも、軽井沢に来た時に寄って、欲しいものがあれば買ってもらうという感じだ。
「軽井沢の店に行きます」という連絡が入った時でないと、私も軽井沢には来ない。きょうも友達が遊びにくるというので来た次第だ。だから普段来ても一人も店に入らない。誰か来るとか、そういう時しか行かないという感じだ。
<事件発覚当時の様子>
 警察から連絡があったのは、いつだったかはっきり思い出せない。最初に「いろいろ教えて下さい。幾日付き合えますか?」と言うので、それで安中に行ったわけだ。暑い最中だったという気がするが、最初は警察もそういうニュアンスだった。タゴ本人が言っているのか、誰が言っているのか知らないが、私の店が殆ど売ったという感じだった。だけど警察にいろいろ説明した。いろいろと言っても、人のことは言わないけれど、自分のことは言った。それで「帳面とか持ってきてください」と警察が言うので、持って行った。私がいろいろ説明して、経緯は仲介者にも聞いて、いろいろなことを分かってもらったのではないかと思う。
 あまり詳しく私の口から言えないが、仲介者にも警察は当然聞いた筈だ。その仲介者は、タゴと昔からのいろいろの知合いであるようだ。しかし公務員のタゴとどういう交遊関係なのか、私にはさっぱり分からない。ただ、タゴと随分親しいような、信用しているような、無二の親友のような感じだった。
 職業は会社を経営しているという人物ではなく、普通の勤め人らしい。私も事件発覚後、全然会っていないので分からないけれど。私はその人とそんなに相性が良いわけではないから、その人の自宅にも一回も行ったことがない。
<すべて仲介者が支払い>
 仲介者から電話を受けると、私は商品を揃え、車に積んで、私の店と安中の中間あたりの国道脇の喫茶店で落ち合い、品物を仲介者に旅した。その場では、買う買わないは決めずに、一旦仲介者が車に積んで持ち帰る。気に入ったら、後でその旨、仲介者から電話があり1ヶ月後には入金されてくる。勿論気に入らなければ買わない。一且仲介者に品物を預ける形にしていた。
 仲介者がタゴ本人に見せて、タゴが気に入ったものを買ってもらうのだろう。私は一回も彼ら同士の聞の取引を見ていないから分からないが、そういう感じだ。だから何度も言うようだが私は仲介者の家に一回も行ったことがない。
 その仲介者が「こういうものが何か入りました?」と電話で聞いてくるから、「うん、今のところないけど、こういうのを見てると、こういうのが話が来てますけど」と答える。すると仲介者が「いつ頃見られますか?」と言うので、いつごろだったら、返事できますけど」と答えると、そのころ電話がある。
 私が「うん、いいものが来ました」とか「あおそれ、話がだめになった」とか電話で言う。大抵「商品が入った」という場合に、仲介者が「じやあ見せて下さい]ということで、それで車で指定の場所に積んで行って、その人に渡すわけだ。
 そして、その仲介者の人がタゴのところに持って行って、二人で「これはいい」とか悪いとか、タゴ本人が「気に入った」とか「気に入らない」とか。気に入った品物は、その場で「買う」ことになり、気に入らない品物だけ次回返品で持ってくるのだと思う。私はタゴが立ち会っているところを見たことがないから、取引状況は分からない。私がいっぺんも売っていないというのは、直に売ってないから売ってないと言ってるわけだ。
<調べればわかるはず>
 以上のことは調べれば分かると思う。タゴの骨董倉庫の調査で県警の方から来たのは、みんな応援の人だと、地元の警察が言っていた。県警からは3日くらい来てやったと思う。顔ぶれは毎日変わっていたが、冗談を言い合いながら、皆でわいわいとやったり、いろいろした。4、5人で県警から応援に来たような感じだった。3日かかったが「思ったより何分の1で済んだ」などと県警の人たちは言っていた。
 私がはっきり言えるのは、この2点だけで、ほかの事は忘れたこともあるし、はっきり言えない面もあるし、人のことはあまり言いたくない。やはり警察というのは外部にいろいろ情報を洩らす時と洩らさない時があるようだ。
<伏魔殿の市役所と骨董品>
 私のあくまでも想像なのだが、タゴ事件の何億とかいうのも、いろんな含みのお金も含まれているのではないか。いろいろな人の話を聞くと、ノミ行為で暴力団絡みのやつは、あとが恐いから一切言わないとか、そういうのもあるような気がする。話によると凄い金額だ。噂だからほんとか嘘か、私などにはわからないが、タゴは昔から相当好きだったらしい。
 市役所の中でそういうノミ行為をやっていた話が、当然表面に出ている筈だ。凄い金額のノミ行為をやっていたという話だからだ。これはあくまでも噂だから分からないが、私の耳までそういう話が聞こえてきた。地元の業者が来て、そういう話を前にしていったことがある。
 タゴはすごいギャンブル好きだから、当然そういう話は出ていると思う。それと、いろんな人との付き合いのお金とか、そういう絶対言えないやつがみんな骨董を買った金として、その中に含まれているんじゃないか、という話だ。
 とにかくタゴがそうしたことを長年続けられたというのが実に不思議だ。長年にわたり、あれだけのことができるわけがない。単純に部外者が判断すればそういう考えは自然だと思う。ただし証拠がないし、確たることがないからはっきりしたことは言えないが…。
 以上、この事件について私の感じを言った。ただし警察から「いろいろなことは警察に聞け」と、前から釘を刺されている。だから、言えない部分も忘れた部分もあるかもしれない。

■このように一品堂の店主はタゴ事件で注目された骨董に纏わる話をしました。しかし、捜査に携わった警察担当者は、「一品堂の店主をはじめ、タゴ事件関係者の供述はウソだらけだ」と言い切っていました。どちらが正しいのか。当会では一品堂の小貫の話は9割方正しいと考えています。

 一品堂の小貫のほかにも、タゴに、いや、正確にはタゴの親友のかんら信金(現・しののめ信金)元職員の石原保に骨董品を売っていた古物商には次の業者がおりました。いずれも、タゴ刑事事件証拠等関係カードのうち骨董品関連の証拠資料からの出典です。

▼103 供述調書
 H7・06・29(小貫達)
 被告人との交際状況等、被告人に骨董品を販売していた状況、平成3年頃かんら信金職員石原保の紹介で被告人と知り合い、長期間多量に被告人タゴに販売していた。
※甲33号 336号として
 立証:被告人に骨盗品を販売していた状況
▼359 捜査報告書
 H7・11・16 小貫達方
▼360 捜査報告(押収)
 H7・11・16
※甲43号 445として
 立証:一品堂を紹介・仲介
▼361 捜査報告(写報)
 一品堂状況
▼362 供述調書
 H7・7・12(小貫達)
 被告人に骨董品を販売していたこと及びその販売価格
▼363 供述調書
 H7・6・12(石原保)
 被告人に一品堂を紹介し骨董品を仲介
※甲43号 445として
 立証:一品堂を紹介・仲介
▼364 供述調書
 H7・6・21
▼365 供述調書
 H7・7・12
▼366 供述調書
 H7・7・14
▼367 供述肩書
 H7・6・23(佐藤洋一)
 石原保に古美術品を販売していた状況
※甲143号 455として
 立証:石原保に古美術品を販売していた状況
▼368 供述調書
 H7・8・22(佐藤洋一)
 石原保に古美術品を販売していた状況
※甲43号 456として
 立証:石原保に古美術品を販売していた状況
▼369 供述調書
 H7・6・30(小林紀一)
 石原保に古美術品を販売していた状況
※甲43号 457として
 立証:石原保に古美術品を販売していた状況
▼370 供述調書
 H7・6・30(小林紀一)
 石原保に古美術品を販売していた状況
※甲43号 458として
 立証:石原保に古美術品を販売していた伏況
【一品堂】
郵便番号:326‐0337
住所:栃木県足利市島田町74
電話:0284‐71‐0097
取扱品:伊万里、飯島、古九谷

■こうしてみると、今回、タゴの配偶者が、安中市土地開発公社の理事長でもある岡田義弘市長に持ち込んだ6点の絵画は、事件直後の警察の捜査では見つからなかったことになります。

 となると、考えられるのは、タゴの盟友で、銀行員であるにもかかわらず古物商の免許を所有していた石原保が事件発覚後、タゴが警察に出頭する直前にタゴに頼まれて隠し持っていた絵画を、タゴの配偶者に渡していた可能性があります。

 なぜなら、石原保はタゴと極めて親しく、一品堂から預かった骨董品をタゴの家に持ち込んで、タゴと二人で品定めをしていたと考えられるからです。ということは、当然石原保はタゴの妻とも顔なじみだからです。

■おそらく、昨年9月21日に千葉刑務所を正式に出所したあと、タゴはまっさきに富岡市内に在住している親友のところに行ったでしょうから、そのとき預けていた絵画を返還してもらった可能性があります。

 51億円余の横領金のうち、1億5千万円をタゴからもらっていた配偶者をはじめ、多胡運輸の役員の実母にも金が流れていたことは警察の捜査でもあきらかです。また多胡運輸の社長の実弟は、タゴの取り巻き連中らと一緒に株式会社芙蓉という不動産会社を設立していました。土地開発公社を一手に牛耳っていた実兄のタゴから土地情報を得ていたことは間違いありません。

■今日の上毛新聞の記事によると、6点の絵画の真贋について、安中市の岡田市長、あるいは安中市土地開発公社の岡田理事長は、「鑑定料を精査し、損害の出ないよう対応したい」と言っているようですが、タゴが購入した絵画はすべて、富岡市内に在住する古物商の免許をもつ甘楽信金元職員石原保がタゴに代わって、一品堂の小貫達や佐藤洋一、小林紀一、有坂真一から購入したのですから、石原保に聞けば、これらの絵画が本物かどうか、直ぐにわかるはずです。

 この場合、鑑定料は不要でなければなりません。ついでに、石原保に聞けば、本当にタゴは、タゴの警察での供述どおり総額10億円以上から12億円もの骨董品を一品堂から購入したのかどうか、一品堂の小貫のいう3億円の販売総額が実際には正しいのかどうか、そしてまた、一品堂の話がただしければ、差額の最大である12億円マイナス3億円=9億円のカネが、どこにいったのか、が判明するはずです。

■さらには、警察の捜査でも使途不明とされた14億3445万3367円についても、そのうちの一部がどこにいったのかを知っているはずです。ぜひ、岡田市長、いや、岡田理事長には、タゴの妻に頼んで、石原保に市役所に来てもらい、6点の絵画を鑑定してもらうようにしてほしいものです。もちろん、鑑定料は無料でなければなりません。

 岡田市長におかれては、僅か6点の絵画でごまかされないように、巨額の使途不明金についてもタゴ一族及びその関係者を厳しく追及して、安中市民に損害が及ばないように最大限の配慮をしてもらいたいものです。でも、それは難しそうです、なぜなら岡田市長自身がタゴ事件の関係者のひとりだからです。

【ひらく会情報部】

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