市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

自宅裏の東邦亜鉛所有地でゴミを燃やす岡田市長に文句が言えない東邦亜鉛の自社サンパイ場が告示・縦覧中

2012-01-09 23:52:00 | 東邦亜鉛カドミウム公害問題
■東邦亜鉛が、安中市岩野谷地区で最初のサンパイ処分場をこっそり完成させておいて、後付の手続さえ済めばいつでも稼働が可能だという危ない状況については、当会のブログでも報告済みですが、とうとう平成24年1月6日付で、安中市長名で「産業廃棄物処理施設設置許可申請書の告示・縦覧について」と題する文書が、北野殿地区で回覧されてきました。
**********
<回覧>                安市発第21553号
                     平成24年1月6日
岩野谷地区第4区区長 戸塚勝彦 様
                     安中市長 岡田義弘(公印)
                     (環境推進課)
    産業廃棄物処理施設設置許可申請書の告示・縦覧について
 このことについて、平成23年4月26口付けで群馬県に提出された下記の者の産業廃棄物処理施設設置許可申請書について、平成23年12月27日付けで告示された旨の通知が群馬県知事よりありましたのでご連絡いたします。
 なお、この告示により申請書の縦覧及び関係地域住民による生活環境保全上の意見書を提出することができますので区民へのご周知をお願いいたします。
             記
1.申請者氏名   東邦亜鉛株式会社 代表取締役 手島 達也
  申請者住所   東京都中央区日本橋本町一丁目6番1号
2.処理施設の種類 産業廃棄物最終処分場(安定型)
3.廃棄物の種類  廃プラスチック類、ゴムくず、金頴くず、がれき類並びにガラスくず、コンクリートくず及び陶磁器くず(廃プラスチック類、がれき類並びにガラスくず、コンクリートくず及び陶磁器くずについては、石綿含有産業廃棄物を含む。)
4.設置場所    安中市野殿字北浦445番 外7筆
5.縦覧の場所   群馬県環境森林部廃棄物・リサイクル課及び西部県民局西部環境森林事務所
6.縦覧の期間   平成23年12月27日~平成24年1月26日迄
7.意見書提出期限 縦覧期間満了の日の翌日からから2週間以内
                 市民部環境推進課 廃棄物対策係
                 電話382-1111(内線1121)

**********

 このように、既に縦覧期間は半月が経過してしまいました。これは、いつもの役所の常套手段であり、年末年始の休暇のどさくさに紛れて、地元関係住民に十分な縦覧期間を与えないようにしようとする群馬県の役人の魂胆です。これをみても、行政と企業との癒着がうかがえます。

■それだけではありません。情報公開と法令順守(コンプライアンス)を標榜する岡田市長と、グローバル企業を標榜する東邦亜鉛との関係については、昔から地元で取りざたされてきておりますが、ここにきて、ますます目立った動きが見えてくるようになりました。毎年元旦に開かれる地元新年会の席上、岡田市長が東邦亜鉛関連の公共事業に触れないことはほとんどありません。

 ここ数年来のテーマを見ても、公害による重金属汚染土壌農用地対策をはじめ、市営墓地計画、東邦亜鉛廃棄物処分場、そして平成24年元旦はメガソーラー計画と、目白押しです。なぜ、このように岡田市長が東邦亜鉛との関係を重視するのかというと、東邦亜鉛がこれまで長期にわたり、岡田市長に政治献金をしているからです。

 岡田市長は地元で市議5期、県議3期と政治家として地元の行政情報に精通し、平成18年に安中市と松井田町の合併市長選で当選してからは、市長としても2期目となっており、この38年間、ほとんど途切れなく公職についています。当然、地元の企業とのパイプも太くなるわけです。

 東邦亜鉛との関係で言えば、大電力を消費する東邦亜鉛に対して供給能力を増大する際に、地元の公害汚染地の土地改良事業と呼応して、地元に設置して有る東京電力の送電線鉄塔を移設する計画が持ち上がった際に、いち早く東邦亜鉛に通報し、東邦亜鉛の敷地内に移設することで、東電から送電線の線下補償料が東邦亜鉛に支払われることになったりしましたが、公害企業の東邦亜鉛が公害地で引き続き操業を続ける為には、地元の情報やトラブルを事前に通報してくれて、しかも行政側にはたらきかけをしてくれる人材の確保というのは非常に重要です。東邦亜鉛が、長年にわたる岡田市長との関係をこれまでも、そしてこれからも重視することは確実です。

■そのため東邦亜鉛安中精錬所周辺の重金属汚染土壌問題は、既に昭和40年代に4大公害のひとつのカドミウム公害として世間の注目を浴びたにもかかわらず、半世紀近く経過しても、いまだに解決されていません。

 当会の事務局長は、この公害による重金属土壌汚染の農地で作物を作ってきましたが、1994年産の玄米から0.7ppmもの高濃度のカドミウムが検出された為、米の作付けを控えています。そして行政に対して、一刻も早く汚染土壌の排客土を要請してきましたが、なんの対応もなされません。そこで、原因者の東邦亜鉛に対して、善処を求める為に要請状を出したところ、東邦亜鉛から「個別対応は一切しない」という回答がありました。土壌汚染地域に指定されていない限り、何もしないというのです。東邦亜鉛は、実際には、土壌汚染地域に指定されていても、何もしていませんが。

■一方、岡田市長の自宅裏には、東邦亜鉛の土地がありますが、随分前から、その土地に、岡田市長のものとみられる古看板が束にされて捨てられているのと、ごみ焼却のための炉があり、灰が付近にまかれているのが目撃されています。更にこの土地には、大量の大きな石ころがころがっており、地元では、岡田市長がこの土地を自由に使っている様子がうかがえることから、既にこの土地は、東邦亜鉛から岡田市長に譲られたものではないかという見方がされています。

野殿のグランドキャニオン。

 このため、東邦亜鉛が岡田市長にたいしては「個別対応」をしており、それ以外の個人には「個別対応」をしないという二重基準があるのかどうか、平成23年6月10日付で東邦亜鉛に対して次の質問状を提出しました。

**********
                           平成23年6月10日
〒103-8437東京都中央区日本橋本町1丁目6番1号(丸柏ビル3~5階)
 東邦亜鉛㈱社長 手島 達也 様
                    〒379-0114群馬県安中市野殿980
                          小川 賢
 安中市安中字下山4286-2番地の水田のカドミウム土壌汚染と対策について
        (「個別対応」についてのご質問)
 平素より、地域の産業振興に関してご尽力賜り厚く御礼申し上げます。
 さて、表記に関して平成23年4月30日付弊状に対して、同5月31日付の速達によるご回答状をお送りくださり厚く御礼申し上げます。
 貴回答状のなかで記されておられますように、貴社は「個別対応」については拒否されるご意向とのことですが、これについて次の質問があります。
 お手数ですが、6月30日までにご返事をいただければ幸いです。
1.貴社は北野殿地区に現在、地番571-1の土地を所有していますか。
2.所有している場合、当該土地の地目は畑地ですか。
3.貴社が所有している当該土地が畑地である場合、現在、畑地に大きな石が多数置いてあるようですが、これは誰がいつごろ何のために搬入したのでしょうか。
4.また、当該土地に「岡田義弘駐車場」とか「・・・後援会」と書かれた看板が束になっておいてあります。これは誰がいつごろ何のために搬入したのでしょうか。
5.もし、貴社が当該土地を既に所有していない場合、いつ、誰に、どんな条件で、所有権を移転されましたか。
                              以上
**********

■その後、東邦亜鉛から平成23年6月30日まで回答がないため、再三督促したところ、平成23年9月9日(金)にようやく同社の東京都日本橋にある本社関係者らと面談する機会が得られ、その場で、同社の責任者から次の内容の説明を口頭で受けることができました。

1.貴社は北野殿地区に現在、地番571-1の土地を所有していますか。
【東邦亜鉛の回答】安中精錬所のほうに確認したところ、地番571-1は地番971-1の土地ではないかと思う。その地番の土地であれば東邦亜鉛が所有している。

2.所有している場合、当該土地の地目は畑地ですか。
【東邦亜鉛の回答】岡田市長の裏の当該土地、地番971-1には石がおいてある。その土地の地目は畑地ですか?という質問だが、これについて当社として、まず経緯について安中精錬所の総務に聞いた限りでは、どうもその昔、安中製錬所に「学園」と呼ばれる学校をつくって6年ほど運営したことがある。その頃、北野殿のほうに学園の寮や寄宿舎みたいなものを作ろうという計画があり、岡田市長のそばのあの土地を、どうも地元の地権者から購入したらしい。しかし、土地を買ったがそのまま、寮は作らずに、現状のままになっていたようだ。地目は畑地ではなく雑種地的なもの。

3.貴社が所有している当該土地が畑地である場合、現在、畑地に大きな石が多数置いてあるようですが、これは誰がいつごろ何のために搬入したのでしょうか。
【東邦亜鉛の回答】いずれにしても地番971-1は弊社の土地だ。現在、石ころがおいてあるとか、いろいろな看板がおいてあるとか指摘をいただいているが、石ころは、どうも野殿の沢の工事かなにかの時に出てきたらしい。工事をした土建会社は不明。当時の事情は、よく分からないが、現安中市長の岡田市長が、これらの石を「キズが付いたりしているんだけど、このまま捨てちゃうのはもったいない。できたら置かせてもらえないか」ということで、現在の安中精錬所の総務担当者のずっと前、もう何十年も前の話だが、岡田市長から「(石ころを)置かしてくれないか」という話があって、当時の弊社安中精錬所の総務担当者が「いいだろう」ということで、どうも置かせたようだ。ということで、地番971-1の土地に石が置いてある。その他に、当該土地には、看板とか焼却炉のようなものがあるが、これらについては、弊社としても誰が許可したのかは、担当が昔と替わってしまったので、今の担当者では分からない。また、かつてずっと地元野殿や岩井地区との交渉役だったT氏にも、この件について聞いてみたが、わからない。昔は、当該土地については、「草が繁茂しているから除草剤を散布しろ」とか、いろいろ地元の人から言われたらしい。しかし、最近10年間くらいは、地番971-1の土地について、地元の方々からは何も言われていない。当該土地の管理状況については、以上のような話を弊社安中精錬所から聞いている。今回指摘を受けた放置看板等の件は、弊社安中精錬所のほうはどうやら聞いていなかったようだ。そこで、とりあえず安中精錬所の担当がいるので、「岡田市長に言って、(市長に)それなりの対応をしてもらおう」ということで、現在、市長と折衝する予定だと聞いている。ということで、結果的には、市長には失礼だが、勝手に岡田市長が置いたみたいだ。ということで、石ころについては、事情をよく知っていたT氏でさえも、いつ誰があそこにおいたのか、そのことについては余り定かでないと言っている。調査の結果、そういうことで報告を受けているが、当該土地について、現在の弊社安中精錬所の担当者としては、今回指摘のあった古看板とかゴミ焼却炉とか、その辺について、正式に岡田市長にこうだということで、経緯を説明して、対処してもらうことにしている。ただし、石ころはどうするか決めていない。なぜなら、誰の持ち物か判然としていないためだ。現安中市長の岡田市長が「もったいないから置かせてくれないか」と言ってきたからと言っても、決して石ころは岡田市長のものではない。公共工事で出てきたのだから、工事業者が処分も含めて、その当時請負っていたと思われる。もしそれが○○組がやったというのであれば、○○組のものだと思われる。石ころについては、何十年か前の安中精錬所の総務担当が、今の安中市長の岡田市長から「置かせてくれないかい」と言われたので、さほど深い意味もなく、空いている土地であり、「多分それほど長期間置くわけはないだろうから、いいのではないか」という軽い気持ちで石ころを置かせたという経緯らしい。

4.また、当該土地に「岡田義弘駐車場」とか「・・・後援会」と書かれた看板が束になっておいてあります。これは誰がいつごろ何のために搬入したのでしょうか。

手前がごみ焼却容器。奥が古看板等の廃棄物。

バスタブのようなものをリサイクルした手作り?のごみ焼却容器。
【東邦亜鉛の回答】地番571-1に寮を建てていれば邪魔になったかもしれないが、寮の建設計画は実現しなかった。だから、「悪いけど置かせてくれ」と岡田市長に言われて置かせたのだと思われる。だが、現在は空き地のような形にしているし、雑種地的に何も作っていないし、ただの荒地になっている。道路側のほうは、もう草も生えないような状態で、地肌もちょっと出ている。弊社の安中精錬所の担当は、最近除草剤を撒いていないと言っているが、かつて相当撒いたので、草が根まで枯れたのかもしれない。このように、当該土地について、岡田市長に対して個別に便宜を図るような「個別対応」ということでは決してない。そこだけは誤解してほしくない。弊社としては決してそういう意味があって、しているわけではない。先ほど言ったとおり、駐車場の看板やごみ焼却容器等に関しては当然、弊社も岡田市長といえども、申し入れて片付けてもらうように弊社安中精錬所の総務担当がいるので、当然同担当者から岡田市長に申し入れさせたいと思っている。岡田義弘氏は現在、職位的に市長をやっておられるが、たぶん市長以前、その前には県議会議員をやっており、その前は市会議員と、政治的なことを長く行っているので地元の住民がみて、それが何らかの癒着があるのではと見られるかもしれない。ただ、弊社として本当に誠心誠意であり、そうした癒着の気持ちがあってやっているわけではなく、これは安中精錬所でも言っているし、今の担当は、いみじくもCSR、コンプライアンスをやっているから当然、そのような癒着は社会通念上あってはならない。一方で、本当に恥ずかしい話しだが、弊社もだいぶ人員を削減した。これは本当によい事なのかどうかわからないが、操業部門の人を優先し、どうしても外回りの仕事のほうは手薄になりがちだ。以前なら、地元住民とのパイプ役でもある外回り専門担当のT氏が四六時中地元を歩いており、こうした事態についてはもっと前に気がついたと思う。

5.もし、貴社が当該土地を既に所有していない場合、いつ、誰に、どんな条件で、所有権を移転されましたか。
【東邦亜鉛の回答】当該土地は弊社の所有土地だ。

 上記のとおり東邦亜鉛は自社の土地にゴミを捨てたりしている岡田市長に対して、「きぜんとした態度をとるつもりだ」と平成23年9月初めに言明しましたが、4ヶ月以上経過した現在においても、一向に成果が見えません。当会も昨年11月に安中市の環境推進課に善処を求めましたら、その後なしのつぶてです。また、平成24年1月4日に群馬県の環境リサイクル課に相談したところ、「本件は個人の出したごみが原因と思われるので、安中市が所掌だから安中市に相談するように」と取り合ってもらえませんでした。

 こうして東邦亜鉛安中精錬所周辺の重金属公害汚染地に住み、農作物を栽培している住民は、役所からも地元選出の首長からも見放されており、安中市岩野谷地区はこれからまさにサンパイ銀座の様相を呈するのではないかと非常に懸念されます。

【ひらく会情報部】

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新年の風物詩…どんど焼きで占う今年の災禍と世界情勢

2012-01-09 11:37:00 | 国内外からのトピックス
■新年恒例のどんど焼きが、今年も安中市北野殿地区で行われました。今年は、お飾り集めが7日(土)で、どんど焼きが8日(日)とあわただしく、準備にあたった子ども会と子ども育成会の皆さん、そしてお手伝いをして下さった地元有志の皆さま、たいへんご苦労さまでした。

 元旦と同じく、朝から、風もなく天気にもめぐまれ、例年通り午前7時半に子どもたちによって、各戸から集められたお飾りやダルマを取り付けた生青竹で作られたタワーに点火されました。景気の良い竹の弾ける音を響かせながら燃え盛り、景気良く火の粉を吹きあげました。


北野殿ツバメ子供会の子どもたちによるどんど焼き点火。1月8日(日)午前7時30分。

■ことしは、元旦の14時28分、鳥島沖地下370kmを震源とする震度4の地震が起きたばかりで、昨年の3.11東日本大震災に続いて、東海、東南海、南海地震の発生がいつ起きてもおかしくないとの見方もあって、緊張の新年となりました。


燃え上がるどんど焼きの炎を見守る地元住民ら。

↑どんど焼きの周りで談笑する地元住民ら。

 また、元旦に発生した震度4の地震で、福島第1原発4号機の使用済み核燃料プールに隣接するタンクの水位が元旦の17時30分ごろ通常の5倍の速さで異常低下していること、原因は同日、関東・東北地方で最大震度4を観測した地震の影響で、4号機の使用済燃料プールの循環冷却に使用している配管から水漏れが起きていること、東電が1月2日に発表しました。

■東電は、プール内の放射性汚染水がタンクと逆側の原子炉格納容器側に流れ込み、一時的にプールからタンクへの水の供給が途絶えたことが原因であるとして、プールの冷却には影響はないと、いつもながらのデタラメな説明をしました。東電は「タンクの水位は通常、自然蒸発などで毎時1.6センチほど低下するが、地震後、毎時8~9センチずつ下がっていた。しかし、タンク内の汚染水は外付けの熱交換器とフィルターを通って熱やごみが取り除かれ、再びプールに戻される(ので大丈夫だ?)」と発表して、いかにも問題は無いというイメージを植え付けようとする魂胆です。


この日、安中市は北西の風だったが、ごらんのように線量計は地表1mで0.14μSv/hを示していた。ちなみに、元旦の新年会のときは同じ場所で0.11μSv/hだった。

しかし、福島県の計測によると、1月2日の放射性物質の降下量は著しい上昇を記録しています。http://www.pref.fukushima.jp/j/koukabutsu7.pdf

■参加者は、たくさんの繭玉をさした枝を、どんど焼きの「おき」の周りに立てて、繭玉が熱にあぶられて香ばしい匂いを立てるのを気長に待ちながら、ふるまわれたトン汁、甘酒に舌鼓をうち、恒例の竹筒であたためたお屠蘇にバーベキューを楽しみました。

地元住民の間では、新年の挨拶のあと和やかな歓談が交わされました。話題はやはり東電福島原発由来の生活へのさまざまな影響や、東邦亜鉛公害による土壌重金属汚染問題の処理策、とくに元旦の地元新年会における安中市長の地元一地権者としてのメガソーラー発電に関する思いつき仰天発言、そして、市営の“恵みの湯”の砂塩風呂の利用者が少なく赤字続きなのに依然として外部に業務委託を続けているのかと言う問題、民主党の八ッ場問題に関するマニフェスト反故と官僚制度改革の挫折、欧州金融不安と地元経済への影響度など、多岐にわたりました。

■ことしこそ平穏な年になりますように、と願いたいところですが、元旦早々の地震や原発事故とそれに対する政府や東電のデタラメ発表、一層のユーロ安などと、予断を許さない事態が続いています。それでも、地元の皆さまは、どんど焼きで香ばしく焼けた繭玉やスルメを土産に、「ことしこそ平安を」と祈念しつつ、家路に着いたのでした。


寒い時には豚汁に限る。

バーベキューに勤しむツバメ子ども育成会の面々。


青竹でつくった酒燗用の手作りとっくり容器。これを青竹でつくったおちょこで飲むと最高の味が楽しめる。

ことしこそ平安の年でありますように。地元の念称寺(ねんしょうじ)。

【ひらく会情報部】

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朝鮮半島の南部で起きていたもうひとつのとんでもない事件

2012-01-08 16:09:00 | 国内外からのトピックス
■朝鮮半島の北部で12月16日(金)ひそかにリーダーが急死し、ロシアが逸早くその重大事態を察知していたころ、日本では12月17日(土)に朝鮮半島の南部から来日した大統領と日本の首相が、12月18日(日)午前、従軍慰安婦問題などについて京都市の京都迎賓館で会談を行っていました。

 この従軍慰安婦問題は、元日本軍従軍慰安婦らを支援する「韓国挺身隊問題対策協議会」が12月14日(水)、ソウル市鐘路区にある在韓日本大使館前の路上に、元慰安婦を象徴するという少女像を建て、除幕式をするという外交上の礼儀を無視した暴挙を行い、それを今年韓国政府が黙認したことから急遽浮上したものです。


昨年末、成田空港第1ターミナル北ウィングに現れたXマスツリー。12月21日撮影。
 報道によると、現場では「日本政府の謝罪と賠償」を求める集会が1000回目を迎え、それに合わせた少女像の設置だったようです。さっそく、日本政府の駐韓大使は12月14日中に韓国側へ早期撤去を求めましたが、韓国外交通商部の第一次官は、「慰安婦問題について日本政府が解決に向けて努力すべきだ」と説明し、撤去する気配はなく、おそらく未だに設置されたままになっているようです。

 この背景には、これまで「グローバル外交」を目指すと共に隣国である日本、中国、ロシアとの更なる協調を追求すると断言した韓国の大統領でしたが、今年12月の大統領選挙を控え、低調気味の与党ハンナラ党の支持率引き上げのために行っていた反日キャンペーンに、従軍慰安婦問題を絡めた動きを抑えるどころか、促進せざるを得ない事情があるようです。

■筆者は、たまたまウラジオストクに向かう途中、ソウルに立ち寄った機会に、この元慰安婦を象徴すると言う少女像がどのような場所に設置されているのかを確認すべく、現場にいってみようと思いました。

 インチョン空港に到着したのが12月21日(水)午後4時過ぎでした。本来であれば乗り継ぎだけなので、一旦韓国に入国する必要はありませんが、その日には、ウラジオストク行きのフライトがないため、ソウル市内で1泊することになったものです。


インチョン空港からソウル市内行きのバス乗り場。

 一時入国でも、空港の外に出るためには、入国手続が必要です。パスポートコントロールの窓口前の長い列に並んで順番を待ちました。時間がかかるのは、パスポートのチェックのほかに、ひとりひとりの写真を撮り、両手の人差し指の指紋を採るためです。韓国に最初に入国する場合に限られるようですが、あまり心地よいものではありません。

 インチョン空港は巨大なため、着陸後もターミナルまで辿り着くのにタクシーイングといい、地面を滑走して移動するのに20分近く時間がかかります。その後、入国手続きや手荷物引取りのため、メインビルディングに移動するのに地下のシャトル電車に乗ったり、上述のように入国手続やら、大きな手荷物受取り場所で、多数の荷物のなかから自分の手荷物を探すうちに1時間ちかく掛ってしまいます。空港の到着ロビーにでられた時には既に午後5時をまわり、日もとっぷりと暮れました。

 あらかじめ予約していたソウル市内のグランド・ヒルトン・ソウル・ホテルに行くため、1万ウォン(約700円)で市内直行バスに乗り、約1時間20分ほどでチェックインした後、受付でソウル市内の地図をもらい、ネットで在韓日本大使館を検索して場所を確認後、ホテルの近くの地下鉄3号線弘済駅まで15分ほど歩き、そこから地下鉄に乗って4つ目の安国駅に向かいました。


ソウルの地下鉄3号線の地図。弘済駅に掲示。安国駅は4つ目。

■韓国の地下鉄3号線は、他の路線は知りませんが、シンガポールの地下鉄や東京の南北線と同様に、ホームと線路は完全にガラスの壁で空間を仕切られております。


弘済駅の路線図。

ホームドアシステムの韓国の地下鉄。1両あたりの長さがやたらと長いのが特徴。東京の地下鉄の2倍以上ある感じ。

安国駅のホーム。

 安国駅には10分ほどで到着し、階段を上って地上に出ると、目の前に日本大使館公報文化院がありました。てっきり、ここに日本大使館の機能が併設されているものと勘違いをして、周辺を2度回り、道路を隔てた通りや、向かい側にある厚生省の付近の路地を探し回りましたが、結局見つかりませんでした。


右側の建物が日本大使館公報文化院。


 それもそのはず、あとでホテルに戻って再度チェックしてみると、実際には、安国駅の一つ手前の地下鉄の駅との中間地点あたりに日本大使館公報文化院とは別に、日本大使館が所在することが判りました。安国駅の上を走る大通りを400mくらい歩けばたどり着けたのですが、残念ながら時間切れで、再度探しに行く時間はありませんでした。


日本大使館公報文化院の通りの向かい側の道路わきにある朝鮮建国同盟址と書かれた石碑。

これも付近の道路わきにあった石碑。道端にこうしたモニュメントを作るのが好きな国民性なのかもしれない。ロシア人との共通性が見られる。

■実際に少女像が建てられた場所はどんな場所なのでしょうでか。今回、残念ながら、日本大使館と日本大使館公報文化院(このほか、ソウルの西大門区には、日本政府外務省関係機関である国際交流基金の日本文化センターもあり、混同しないように注意が必要です)が別々の場所にあると言うことに気づかず、場所を間違えてしまい、従軍慰安婦問題を象徴する“平和の像”が設置された場所には辿り着けませんでしたが、報道によると、概ね次のような場所にあるようです。

<ソウルの在韓国日本大使館は、観光地として知られる景福宮(李朝時代の宮殿)の近くにある。大使館サイトの地図によると、同じブロックに銀行があり、近くのブロックにはアメリカ大使館や韓国国税庁、外交通商部などがある。幹線道路から枝分かれした車道(片道1車線)に面している。車道を渡ると歩道部分があり、ここに少女像が建てられた。「真向かい」といって良さそうな場所だ。像周辺には比較的広いスペースがある。このスペースを囲むようにビルが建っており、韓国の通信社「聯合ニュース」の建物もある。保険会社や商業施設もある。>

 1961年に締結された外交関係に関するウィーン条約(ウィーン外交関係条約)では、外国公館の安寧や威厳が損なわれることを防止する措置を義務付けています。そこで、武藤正敏・駐韓国日本大使は、韓国政府に少女像の早期撤去を申し入れましたが、朴錫煥(パクソクファン)・韓国外交通商部第一次官は「条約上の問題はなし」との考えを示し、撤去に応ずる姿勢を全く示していません。日本政府から韓国政府に対する少女像の早期撤去要求は、大使館の保護などを定めたウィーン条約第22条2項を根拠としています。これに対し、朴第一次官は「慰安婦問題は日本政府が解決に向けて努力すべきだ」と話をそらすコメントを出しただけでした。

■もし、これが東京の在日韓国大使館の目の前の行動に、竹島問題を象徴するモニュメントが建てられたらどうなるでしょうか。もっとも、日本人でそのような過激な行動に移る輩は、残念ながら現れそうにありません。また、そのような行動を実行に移した場合でも、警備中の警察官に直ちに現行犯逮捕されることでしょう。

 韓国の場合、今回日本大使館に辿り着けませんでしたが、日本大使館公報文化院の前の安国駅の出口脇にも交番があり、警察官が詰めていました。日本大使館前にも当然そのような警備担当の警察官が待機しているはずです。しかし、少女像の設置の際には、韓国政府も黙認していたくらいですから、当然、目の前で設置作業を行っている韓国市民の行動を知りつつ、何もしなかったことになります。

■少女像の設置から既に4週間近く経過するわけですが、このまま日本政府の早期撤去要求に対して、韓国政府がダンマリを決め込み続けると既成事実になることでしょう。日本政府としては引き続きウィーン条約を根拠に早期撤去を韓国に求め続ける必要がありますが、このような場所に日本大使館を設置するのではなく、いっそのこと、日本大使館公報文化院に日本大使館を移すことを提案します。

 日本大使館公報文化院は安国駅のすぐそばにあり、交通の便利もよく、暗くてよくわかりませんが、大きな建物に加えて、敷地もひろそうです。そこで、400m離れた日本大使館も領事館もこの場所に移設すれば、経費の節約になるのと、韓国の一部市民団体が意図した少女像の設置目的も意義もカラ振りさせることができます。

 市民が個人やグループでその活動目的を達成するための行為は尊重されなければなりませんが、それには一定のルールの範囲内で、という条件が付きます。朝鮮半島の南部で発生した今回の少女像をめぐるトラブルは、明らかに節度を超えています。

■朝鮮半島では、北も南も、国際ルールを無視した行為を競い合っています。共通するのは反日のスローガンです。彼らがこぞって、真のグル―バル意識を持ち、国際ルールに則って、行動できる国民性を身につけるまでには、まだ半世紀以上の歳月が必要なのではないでしょうか。もちろん、良識ある韓国市民の存在も確認済みですが、政府レベルになるとどこの国もおかしくなるようです。


ソウル市内の地下鉄は一律1000ウォン(約70円)。切符は磁気カードで自動販売機で1500ウォンを支払って購入し、使い終わると改札口のすぐ隣のこのカード回収機に入れると保証金(デポジット)500ウォンが戻ってくる。自動販売機は英語や日本語表示機能もあるので操作は簡単。改札はすべて全自動で無人化。何らかの理由で外に出られなくなったら「Help」と表示のある改札のボタンを押すと通報音が鳴り響くが誰も来ない。通報音が鳴りやむと自動的に電磁ロックがはずれて改札を通過できる。

ソウルの地下鉄駅は、効率一辺倒の東京の地下鉄と異なり、利用者サービスの空間が多い。これは駅構内のXマスツリー。

弘済駅にある休息コーナー。テレビや読書用の本棚があり、イスとテーブルが沢山設置されている。

ヒルトンホテルの近くの大衆食堂で食べた牛肉ピビンパプ(9500ウォン)。板の間にじかに座って食べる。キムチ4種類が食べ放題。

【ひらく会情報部】

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金正日総書記の死去と朝鮮半島を巡って繰り広げられる理不尽で奇怪なさまざまな出来事

2012-01-06 23:17:00 | 国内外からのトピックス
■北朝鮮の金正日総書記が死去したというニュースは12月19日(月)の正午に朝鮮中央テレビで、2カ月ぶりに姿を現した看板アナウンサーのおばさんとして知られるリ・チュンヒ氏が「偉大なる領導者、金正日同志が2011年12月17日午前8時39分に現地指導の途中、急病により逝去されたということを悲痛な気持ちでお知らせします」と涙にむせびながら、原稿を読み始めて、世界が知ったとされています。また、正午から重大ニュースが発表されるという予告が12月19日の午前10時にあったようです。

 一方、実際に金総書記が死去した日時とされる12月17日(土)午前8時39分からニュース発表まで約51時間半、丸2日以上を要したことについて、いろいろ憶測が飛び交っています。

■北朝鮮の隣国の韓国では、国家情報院の元世勲(ウォン・セフン)院長が12月20日、国会情報委員会に出席し、「北朝鮮が金総書記死去の時間と発表した12月17日午前8時30分に金総書記の専用列車は平壌(ピョンヤン)竜城(ヨンソン)駅に停車中だった。金総書記は12月15日に現地指導をはじめ色々な行事があり、列車の動線を確認したが16~17日の2日間は動かなかったものと把握している」と説明しました。

北朝鮮当局が、「金総書記は走る野戦列車の中で重症急性心筋梗塞により死去した」という公式発表とは違い、「待機中の列車」もしくは「第3の場所」で死去したということを意味しています。ただし元院長は、「金総書記がどこかに行こうと列車に乗ってすぐに死去した可能性はある」と付け加えたそうです。

また、与党情報委員が、「金総書記が12月16日夜に自宅で死去したという話もあったが聞いているか」と尋ねたところ、元院長は「情報水準ではなく、そのような話も報告は受けたが真偽を確認することはできない」とも述べ、北朝鮮護衛司令部出身のイ・ユンゴル北朝鮮戦略情報サービスセンター所長も12月20日、「中国を通じて北朝鮮高位消息筋と接触した結果、金総書記は12月16日午後8時ごろに死去しており、死去した場所も列車ではなく平壌の官邸だと明らかになった」と主張しました。

■実は、筆者の知人が12月18日(日)の10:00インチョン空港発、14:45ウラジオストク着の大韓航空KE981便を予約していたところ、12月16日(金)午後3時37分に、旅行代理店から「ロシア政府の緊急通告により、12月18日のインチョンとウラジオストク間を飛行する全てのフライトが飛行禁止となった」と連絡があり、やむなく1日遅れのフライトに変更せざるを得なかったのでした。

 明らかに、ロシア政府は、12月16日(金)の午後の時点で、北朝鮮に異変が起きたことを察知していました。タイミング的にみても金総書記の死去となんらかの関係があったに違いありません。ロシアは北朝鮮の中枢で何が起きていたのかを即座に知り得るネットワークを持っていると思われます。

■筆者も金総書記の死去が公式発表された3日後の12月22日(水)に、4日前に飛行が取りやめとなった大韓航空機KE981便で、インチョンからウラジオストクに向かいました。フライト情報によると、10:00インチョン発、14:45ウラジオストク着で、飛行時間は2時間45分とあります。


インチョン空港で出発間近の大韓航空KE981便ウラジオストク行き。

 地図を見ると、インチョンとウラジオストクの直線距離は、成田とウラジオストクとの直線距離より相当短い感じがします。しかも、インチョンからウラジオストクには東に向かって飛行するわけで、西から東へののジェット気流の関係で、時間的には、成田からウラジオストクに向かう場合より追い風を受けやすい為、飛行時間は短縮されるはずです。

 実際に、成田とインチョン間では、毎日運行されている13:55成田発、16:35インチョン着の大韓航空機KE705便の飛行時間が2時間40分であるのに対して、18:35インチョン発、20:45成田着のKE705の飛行時間は2時間10分です。実際にジェット気流を受けて、大晦日のKE705便の対地速度は音速並みでした。

 にもかかわらず、なぜ2時間45分もかかるのだろうかと不思議に思っていたところ、ウラジオストクに着陸する直前に、KE981便エアバス330-300型機の座席の前にある飛行情報のディスプレーを見て、合点が行きました。大韓航空機は、インチョンを離陸して、黄海に出て、北に向かい、中国大陸に入り、内陸部を迂回して、ウラジオストクに到着するルートを飛行していたのでした。明らかに北朝鮮の国境から一定の距離を確保しつつ、飛行していることがわかります。


北朝鮮を大きく迂回して中国大陸を回り道して飛ぶ大韓航空機KE981便の飛行ルート。

■一方、21月31日に日本に帰国した際には、ロシアのウラジオストク航空のエアバス320型機に搭乗しました。14:35ウラジオストク発、14:55インチョン着で、飛行時間は2時間20分とあります。これは中古のエアバスのため、飛行情報のディスプレーは座席の前には付いていません。従って、飛行機と太陽の位置方向で、飛行コースを推測しつつ、ルートを確認しました。

 ウラジオストク航空XF743便は、ウラジオストク空港を東に向かって離陸後、次第に南に進路を変え、日本海を南下します。やがて徐々に西に進路を変えて、やがて朝鮮半島の上空に入り、38度線の少し南を真西に機首を向けて、韓国の中央山脈の峰々が雲海の上に頭を出しているのを下に見ながら次第に高度を下げ、インチョン空港に到着しました。


朝鮮半島の中央山脈を越えるウラジオストク航空XF743便。このあとインチョンに無事着陸すると機内でロシア人旅行団から大きな拍手が起きた。彼らの習慣らしい。

 こうして、ウラジオストク航空機XF743便の場合、経度的には明らかにジェット気流に逆らって飛行するにもかかわらず、中国大陸を大きく迂回するとはいえジェット気流の追い風を受ける大韓航空機KE981便に比べ、25分も早く到着できるのです。

■では、なぜ大韓航空機もウラジオストク航空機と同じルートを飛ばないのでしょうか。それはやはり、北朝鮮がいつもミサイルを発射している日本海側の飛行ルートには抵抗があるに違いありません。

 ロシアは北朝鮮との関係について、とくに問題視をしていませんから、日本海上空を飛行するのに抵抗がないのだと思われます。「そんなに好関係であれば、いっそ、北朝鮮の上空を飛行すればよいのに、なぜ飛ばないの?」と不思議に思う向きもありかもしれません。やはり、北朝鮮の上空飛行はリスクがあり、さすがにロシア政府も躊躇するでしょう。もっとも北朝鮮が認めるはずもありませんが。

■さて、前述の飛行情報のディスプレーの写真を見て、気付いた方もいらっしゃるかとおもいます。大韓航空機KE981便の飛行ルートの載った地図に、日本海の中に「Dokdo」と記された地名が目立っています。

 これが、韓国が不法占拠している日本の竹島のことです。

■1905年(明治38年)1月28日、日本政府は閣議で「竹島」を島根県隠岐島司の所管と決定して以降、竹島は行政区画では島根県隠岐郡隠岐の島町竹島官有無番地であり、正式に日本の領土でした。その後、第二次大戦を経て、戦後韓国が「日本が放棄する地域に竹島を入れるように」と連合国に要求しましたが、拒否されました。

日本領であることを決定したサンフランシスコ講和条約発効直前の1952年(昭和27年)1月18日、韓国の李承晩が「李承晩ライン」と称して、公海上に一方的に線引きして竹島を取り込み占領してしまいました。そのため1965年(昭和40年)の日韓基本条約締結までに、韓国が勝手に線引きしたこのラインを越えたとして、韓国は日本漁船328隻を拿捕し、その過程で日本人44人が殺傷、3,929人が抑留されました。韓国は、日本の海上保安庁の巡視船に発砲し、その銃撃等の事件は15件、16隻に及びました。

■現在も韓国側が武力で占領しています。国際法を順守しようという気持ちを持たないところは、北朝鮮を彷彿とさせます。

 日本政府は、竹島問題についての日本の立場を次のように公表しています。

<竹島の領有権に関する我が国の一貫した立場>
1.竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。
2.韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。
※韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。

■韓国と言えば、もうひとつ、とんでもない言いがかりを国際社会にしています。それは国際的な呼称として認められている「日本海」を、なんと「東海」と呼び変えようとしていることです。

 日本に帰国する際、このことが気になったため、大晦日の18:35インチョン発20:45成田着の大韓航空KE705便エアバス総2階建て380型機の座席にある飛行情報のディスプレーで確認してみました。その結果、案の定、「Sea of Japan」であるべき日本海のことを、「East Sea」などという無機質な言葉に置き換えています。


「Dokdo」や「East Sea」などと記載している大韓航空とJALの共同運航便。日本人には到底、正視に堪えない。

 さらに驚いたのは大韓航空KE705便は、なんと日本航空JLJL5206便とのコードシェア便だったのです。日本航空の幹部は、大韓航空機の機内に、このように日本国民の気持ちを逆なでる爆弾が仕掛けられていることを知った上で、大韓航空と共同運航便の契約を結んだのでしょうか。日本政府から支援を受けて再建中の日本航空は、事実上日本政府の管理下にあるわけですが、その会社が、竹島を勝手に占拠したり、日本海の呼称を勝手に呼び変えようとする韓国とコードシェア便を飛ばし、その飛行情報の地図に、国際的に無効な地名が載っていることに目をつぶるのは、どうしても理解できません。


正視に堪えない飛行ルートの地図。しかもJALコードシェア便の機内。


大韓航空機KE705便が、JALとの共同運航便を示すサインボード表示。

■日本航空には、せめてコードシェア便の場合くらいは大韓航空に、国際的に認められる地名の記載を使うことを要求し、あるいは日本航空の機体に搭載する飛行情報の地図には、我が国が認め国際的にも認められている地名を記載したものを使って、大韓航空との共同運航便に使用するよう、強く求めたいと思います。

 また、日本政府も、おひざ元の日本航空がこの体たらくなのですから、きちんと指導して、こうした屈辱的なことを黙認した幹部を直ちに更迭すべきでしょう。

【ひらく会情報部・国際問題研究班】

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上毛新聞の平成24年新年交歓会に参加した群馬県の政官業と安中市の関係者

2012-01-06 22:20:00 | 国内外からのトピックス

■毎年、新春の仕事始めの翌日の行事に、上毛新聞社事業局が主催する新年賀詞交歓会があります。この日は、10:00に自民県議団総会が開かれたあと、県庁の32階展望ホールで群馬県議会の新春交流会が開催されます。これは、県議会が主催ですが、群馬県知事以下執行部の幹部や、市町村の首長らも参加します。そのあと、12:30から一同はマーキュリーホテルに移動して、この行事に参加するのです。


 この参加者名簿がその翌日に掲載されます。それを見ると、群馬県の政官業の繋がりを垣間見ることが出来ます。例えば、八ッ場ダム問題で、この巨額の無駄金投入の事業の旨みを知っている政官業のネットワークが伺えます。

■今年も、1月5日の午後0時半から開催された平成24年新年賀詞交歓会ですが、1月6日の報道記事によりますと、開会挨拶を同社の渡辺幸男社長、来賓代表挨拶を大沢正明群馬県知事が行い、南波和憲県議会議長の発声で乾杯が行われました。

 渡辺幸男社長は、昨年の東日本大震災や八ツ場ダム問題などについて「どう報道し、皆さんに訴られたか、自問自答している」と振り返り、「今年は創刊125周年。不偏不党、公平無私で熱い心を持って冷静に報道したい。『群馬に上毛新聞があって良かった』と思われる新聞を目指し努力していく」と決意を述べました。

 来賓を代表して大沢正明知事は、旧官営富岡製糸場が今年世界遺産に推薦される見通しとなったことや、今後PRに力を注ぐ古代群馬の東国文化に触れ、「東国文化の中心は群馬。それにあやかり歴史文化を大切にする取り組みの中で、新たな成長産業を見いだしたい」と抱負を語りました。

 その後、南波和憲県議会議長の発声で乾杯し、出席者が親睦を深めました。

■なお、上毛新聞社主催の交歓会では、大沢知事は参加にあたって、公費から交際費として1万円を支出しています。おそらく他の参加者も同様だと思われますので、約1千人の参加者数となると、約1千万円のご祝儀が上毛新聞社に転がり込むことになります。

 もちろん、マーキュリーホテル側に経費として、会場借用費や料理、飲み物などの提供費用やアトラクション関係経費そして、コンパニオン費用などがかかりますが、一人1万円は係るはずもないので、おそらく相当な収益が上がっていると思われます。

■今年の見出しも「昇竜の一年に」という題で、毎年「飛躍」を誓っていますが、一向に飛躍しないのは、群馬県特有の閉塞された政官業の関係が起因していると当会では分析しています。

 なぜなら、八ッ場ダム問題では、あれほど税金の無駄遣いを当会が指摘しているにもかかわらず、相変わらず、八ッ場ダム銘柄の会社や関係団体や個人がズラリと交歓会に参加しているからです。

■実際に、1月5日に、八ッ場ダム建設推進議員連盟が県庁で新年賀詞交歓会を開催し、大澤正明知事ら群馬県幹部や県議、国会議員らが出席していました。

 冒頭の挨拶で、群馬県議員連盟の自民党の中村紀雄会長が、「マニフェストが簡単に破られるようでは民主主義が意味をなさない」と民主党を批判する一方で、前田武志国交相がダム建設再開を表明したことについては、「政治の筋を通したという大切な意味がある」と褒め称えました。

 大澤知事は、民主党内に検証の不十分さを訴える意見があることについて、「(ダム中止は)マニフェストに書いてあると言いながら、(党内で)本当の検証がされていなかった」と指摘し、「一日も早くダム本体を着工し生活関連事業を完成させる。県も地域振興に力を注ぐ」と国交相の役人と土建業界の利権を代表して挨拶しました。

 隣の草津町が地元の自民党の山本一太参院議員は「八ツ場ダム事業再開の流れを明確にするためにも、政権を奪還しなければいけない」と相変わらずの調子で訴えました

 こうして、八ッ場ダム利権族を勢いづかせる一年のスタートとなったことは、誠に遺憾です。

 また、安中市関連の参加者は次のお歴々です。
<安中市関連>
県議 岩井均
安中市長 岡田義弘
安中市議会議長 奥原賢一
上毛共済生活協同組合理事長 戸塚一二
新島学園理事長 大平良治
上毛会長 大橋稔
上毛会 大橋龍太
県環境資源保全協会副会長 倉沢登志夫
おおぎやフーズ代表取締役社長 飯塚岩緒
信越化学工業群馬事業所長 上野進
同事務部長 加藤精市郎
信越化学工業群馬事業所長 上野進
同事務部長 加藤精市郎※この他にも、安中市関係者が多数おられるかもしれませんが、ご存知でしたら情報をお寄せください。

 それにしても、この政官業の夥しい参加者数を見ると、上毛新聞社の行政との結びつきや、公金に群がる関係者の奥の深さと幅の広がりを痛感させられます。

【ひらく会情報部】

※平成24年新年賀詞交歓会出席者(順不同、敬称略、代理者含む)

<県・国関係>
知事 大沢正明
副知事 茂原璋男
同 池本武広
県企業管理者 篠崎健司
同総務部長 関勤
同危機管理監 榛澤保男
同企画部長 細野初男
同生活文化部長 小此木久美子
同健康福祉部長 新木恵一
同農政部長 関順司
同産業経済部長 三沢益巳
同県土整備部長 笹森秀樹
同病院局病院管理者 小出省司
同会計管理者 赤石正弘
同広報課長 塚越正弘
県蚕糸振興協会常務理事 新井治男
県監査委員事務局代表監査委員 富岡恵美子
同監査委員 横田秀治
県教育委員会教育長 福島金夫
同委員長職務代行者 井上恵津子
県教育文化事業団理事長 小見輝夫
県社会福祉協議会長 下城茂雄
同常務理事 岩崎秋雄
県社会福祉事業団理事長 関卓栄
県収用委員会長 戸所仁治
県人事委員会委員長 福島江美子
県選挙管理委員会委員長 荒木勲
県埋蔵文化財調査事業団理事長 須田栄一
県農業公社常務理事兼事務局長 竹内佳晴
県立近代美術館長 中山博美
県立館林美術館長 染谷滋
県立土屋文明記念文学学館長 入沢正光
県立文書館長 富岡守
関東農政局前橋地域センター長 上野慶雄
県労働委員会長 尾関正俊
前橋保護観察所長 岡坂吉朗
「シルクカントリー群馬」推進委員会委員(江戸小紋染色作家) 藍田正雄
同委員(大日本蚕糸会副会頭) 茂木雅雄
県観光国際協会専務理事 山口章
元県理事 横尾恒夫

<国会議員・県議関係>
元首相・衆院議員 福田康夫
衆院議員 佐田玄一郎
同 小渕優子
同 石関貴史
同 宮崎岳志
同 柿沼正明
同 三宅雪子
同 中島政希
前衆院議員 笹川尭
参院議員 中曽根弘文
同 山本一太
同 加藤修一
同 上野宏史
民主党群馬県連顧問 田辺誠
県議会議長 南波和憲
同議副長 久保田順一郎
同議員 関根圀男
同 中沢丈一
同 中村紀雄
同 須藤昭男
同 岩井均
同 織田沢俊幸
同 岩上憲司
同 須藤和臣
同 大手治之
同 臂泰雄
同 吉山勇
同 井上泰伸
同 桂川孝子
同 酒井宏明
同 高田勝浩
同 金井康夫
同 原和隆
同 金子渡
同 我孫子哲
同 清水真人
同 伊藤裕司

<市町村関係>
前橋市長 高木政夫
前橋市教育委員会教育長 佐藤博之
高崎市長 富岡賢治
高崎市教育委員会教育長 飯野真幸
桐生市長 亀山豊文
伊勢崎市長 五十嵐清隆
太田市教育委員会教育長 岡田孝夫
沼田市長 星野已喜雄
館林市長 安楽岡一雄
渋川市長 阿久津貞司
藤岡市長 新井利明
富岡市長 岡野光利
安中市長 岡田義弘
榛東村長 阿久沢成実
吉岡町長 石関昭
下仁田町長 金井康行
甘楽町長 茂原荘一
中之条町長 入内島道隆
長野原町長 高山欣也
嬬恋村長 熊川栄
草津町長 黒岩信恵
高山村長 荒木毅
東吾妻町長 中沢恒喜
片品村長 千明金造
川場村長 関清
みなかみ町長 岸良昌
玉村町長 貫井孝道
板倉町長 栗原実
明和町長 恩田久
千代田町長 大谷直之
大泉町長 斉藤直身
邑楽町長 金子正一
前橋市議会議長 細野勝昭
高崎市議会議長 丸山和久
桐生市議会議長 荒木恵司
太田市議会議長 白石さと子
沼田市議会議長 大島崇行
館林市議会議長 遠藤重吉
渋川市議会議長 南雲鋭一
藤岡市議会議長 吉田達哉
富岡市議会議長 市川広計
安中市議会議長 奥原賢一
みどり市議会議長 金子実
榛東村議会副議長 岩田好雄
吉岡町議会議長 近藤保
神流町議会議長 田村利男
下仁田町議会議長 千野栄治
南牧村議会議長 石井輝雄
甘楽町議会議長 吉田恭一
中之条町議会議長 原沢今朝司
長野原町議会議長 竹内良太郎
嬬恋村議会議長 羽生田宗俊
草津町議会議長 宮崎公雄
高山村議会議長 平形富二夫
東吾妻町議会議長 菅谷光重
片品村議会議長 高橋正治
川場村議会議長 吉野正篤
昭和村議会議長 高橋幸一郎
みなかみ町議会議長 久保秀雄
玉村町議会議長 島田栄一
板倉町議会議長 野中嘉之
明和町議会議長 関根慎市
千代田町議会議長 富岡芳男
大泉町議会議長 安田博敏
邑楽町議会議長 立沢稔夫
県市長会長 清水聖義
同事務局長 赤坂高志
県町村会長 宮前鍬十郎
同事務局長 岩崎謙二
県町村議会議長会長 高橋正

<組合・団体>
県商工会議所連合会長 曽我孝之
同専務理事 荒井道明
前橋商工会議所専務理事 高橋健
高崎商工会議所会頭 原浩一郎
桐生商工会議所会頭 日野茂
伊勢崎商工会議所会頭 古賀友二
太田商工会議所会頭 正田寛
同専務理事 松田賢治
館林商工会議所会頭 河本榮一
沼田商工会議所会頭 横山公一
富岡商工会議所会頭 小堀良夫
同専務理事 小林進
藤岡商工会議所副会頭 橋谷徹
同専務理事 掛川秀樹
県商工会連合会長 高橋太郎
JA群馬中央会・各連合会長 長岡武
JA群馬中央会副会長 前原良男
同専務理事 池田隆政
JAバンク群馬信連経営管理委員会副会長 森沢隆
同代表理事理事長 森村孝利
JA全農ぐんま副会長 小池清
同県本部長 須藤邦彦
JA共済連群馬県本部運営委員会副会長 亀井勝男
同本部長 今井勉
JA群馬中央会・各連合会参事・共通役員室長 高橋清
JA高崎ハム代表取締役 宮崎俊郎
シングルライン家族形成相談士 磯勝夫
県商工会女性同友会長 後藤かね子
同副会長 石坂よし子
同 舩木フミ
同 羽鳥タカ子
県アイバンク理事長 瀬下信行
県医師会長 鶴谷嘉武
県歯科医師会長 村山利之
県歯科医師連盟会長 奥山文雄
県獣医師会長 木村芳之
県薬剤師会長 鈴木實
県接骨師会長 大藤忠昭
北関東循環器病院理事長 市川秀一
群馬会理事長 南和友
同院長補佐 城田和彦
群馬会理事長 村山昌暢
群馬中央総合病院病院長 田代雅彦
同事務局長 吉良雅巳
小泉重田小児科理事長 重田政信
国立病院機構高崎総合医療センター事務部長 魚住三郎
前橋赤十字病院院長 宮崎瑞穂
真木会真木病院理事長 真木武志
社会福祉法人希望館副館長 松沢斉
榛名荘理事長 浜名敏白
老年病研究所理事長 高玉真光
社会福祉法人美土里会あけぼの保育園理事長 松原東
創価学会副会長 鈴木宏明
同広報部長 小池博
群馬いのちの電話理事長 宮下智満
県共同募金会常務理事 小渕吉信
県保育協議会長 周藤洋
県保護司会連合会長 茂木英重
県栄養士会長 細野勝美
尾瀬保護協会長 関根進
県学校給食会理事長 石川裕士
ガールスカウト群馬県支部副支部長 須藤清美
県林業公社理事長 市村良平
県農業会議会長 小林喜美雄
県農業共済組合専務理事 久保田彰
同参事 神保孝史
県農業信用基金協会副会長理事 山口憲作
県農業団体健康保険組合常務理事 須田豊
高崎法人会長 信沢卓
伊勢崎法人会長 杉原俊夫
沼田法人会長 平井良明
日本公認会計士協会群馬県会副会長 広瀬信二
群馬司法書士会 岡往貞宏
県行政書士会長 福田守
同前橋支部長 岩村敏明
関東信越税理士会群馬県支部連合会長 狩野要一
県社会保険労務士会長 藤井良昭
伊勢崎織物協同組合理事長 田村直之
県印絹工業組合理事長 吉田吉太郎
県菓子工業組合副理事長 井上祐二
県環境資源保全協会長 城田裕司
同副会長 倉沢登志夫
同事務局次長 中嶋潤
同副会長 大野邦雄
県環境保全協会理事長 高橋太郎
県看護協会長 小川恵子
県看護連盟会長 悦永昭子
県管工設備協同組合理事長 中西保
県経営者協会長 児玉三郎
同副会長 松井義治
同専務理事 樋口俊之
県軽自動車協会専務理事 生方茂
県警備業協会専務理事 五谷重顕
県建設業協会長 青柳剛
同専務理事 田村孝夫
県交通安全協会理事長 町田錦一郎
同専務理事 亀山敏雄
県コンクリートブロック事業協同組合代表理事 町田錦一郎
県再生資源事業協同組合連合会長 上岡克己
県作家協会長 倉田辰彦
県産業支援機構常務理事 影山正男
NPO法人群馬県就労支援事業者機構副会長 高橋貞文
県自動車販売健康保険組合常務理事 齊藤斎
県自動車整備振興会専務理事 太田栄
県社会保険協会長 小田川眞也
県住宅協会長 高橋浩之
県住宅供給公社理事長 林宣夫
県酒造組合会長 柳沢光雄
県森林組合連合会代表理事専務 八木原勇治
県石材商組合組合長 碓井博之
県石油協同組合専務理事 細井栄二
県損害保険代理業協会長 原島俊夫
同副会長 川野三郎
県宅地建物取引業協会長 谷田部栄一
県地域づくリ協議会長 椎名祐司
県地域婦人団体連合会長 関マツ
県中小企業団体中央会長 金子正元
県中部郵便局長会長 大竹長久
県電気工事工業組合理事長 関口慶也
県東部地区郵便局長会長・韮川郵便局長 戸塚一男
県トラック協会長 三浦文雄
同専務理事 五十嵐甫
県トラック協会高崎支部長 新井博雄
県農業法人協会副会長 須藤泰人
同 嶋津重忠
同 三輪民雄
県バス協会長 小暮達也
自由民主党群馬県支部連合会事務局長 下田彰一
県不動産鑑定士協会長 石井由紀夫
同副会長 君島准逸
県ふるさと伝統工芸士会長 青木昇
同副会長 荒木千恵子
同 青木琴華
県民共済生活協同組合理事長 目崎博
同専務理事 宮川清光
県遊技業協同組合理事長 金山茂
同専務理事 冨沢久雄
県理容生活衛生同業組合理事長 吉野信一
同副理事長 松島勝与
県西部地区郵便局長会長 尼崎計一
県倫理法人会副幹事長 立花輝夫
群馬土地家屋調査士会長 渡辺元
NPO法人好古堂理事長 石田勝彦
国民宿舎サンレイク草木指定管理者フードサービスシンワ代表取締役 有坂康躬
NPO法人三和会理事長 三俣和哉
自動車安全運転センター群馬県事務所長 武井孝一
上毛共済生活協同組合理事長 戸塚一二
生活協同組合コープぐんま理事長 中嶋源治
同専務理事 梅沢義夫
全日本不動産協会群馬県本部長 植松信雄
全労済県本部長 加藤雅二
中小企業診断墾群馬県支部長 丸橋正幸
日本自動車販売協会連合会群馬県支部専務理事 三木建男
日本自動車連盟群馬支部事務所長 斎藤裕一
東日本小型自動車競走会伊勢崎支部長 高橋良
郵便局高崎郵便局副局長 萩原弘
県観光国際協会理事長 田村亮一
県旅館ホテル生活衛生同業組合理事長 市川捷次
県温泉協会長 岡村興太郎
一般財団法人前橋振興公社理事長 関口和敏
草津温泉観光協会長 山田寅幸
一般財団法人みなかみ町観光協会代表理事 須藤温
磯部観光温泉旅館共同組合理事長 桜井丘子
国際ソロプチミスト前橋理事 田子明子
同会長 布川敏恵
同会長エレクト 田村恵美子
国際ソロプチミスト高崎会長 森本ふみ子
同理事 小山八重子
国際ソロプチミスト太田前会長 阿部都美子
同会長 長ケ部さつき

<教育・文化・スポーツ>
群馬大学長 高田邦昭
同工学部長 板橋英之
県立女子大学長 浜口富士雄
同事務局長 山口和美
県立県民健康科学大学長 土井邦雄
前橋工科大学副学長 尾崎益雄
関東学園大学経済学部長 藤原重紀
群馬医療福祉大学理事長・学長 鈴木利定
同学部長研究科長 笹沢武
上武大学理事長 渋呑朋子
同学長 鈴木守
同副学長 渋谷正史
高崎健康福祉大学理事長・学長 須藤賢一
高崎商科大学長 渕上勇次郎
同理事長 森本純生
東京福祉大学理事長 松原真志夫
同学長 松原達哉
同副学長 中川武義
同事務局長 来住文明
同総務課長 唐木田満穂
同入学課長 面家貴士
群馬工業高等専門学校長 竹本広文
有坂中央学園理事長 中島利郎
同専務理事 北沢俊春
同常務理事 中島慎太郎
関東学園事務局長 高橋恒夫
桐丘学園理事長 関根悦子
同事務局長 椛沢龍次郎
群馬育英学園理事長 中村義寛
同総務部長・企画本部長 中沢幹夫
国際科学技術学院理事長 寺尾球司
鈴木服飾学園理事長 鈴木良幸
新島学園理事長 大平良治
平方学園理事長・明和学園短期大学長 桜井直紀
県専修学校各種学校協会長 中島利郎
山口きもの学園長 山口則子
県高等学校長協会長 吉野勉
県私学振興会理事長 森本純生
県私立大学協会長 須藤賢一
県私立中学高等学校協会長 小茂田恵三
県私立幼稚園協会長 原徳明
日本教育公務員弘済会群馬支部長 丸橋孝義
県教育振興会長 鈴木武文
エッセイスト・書道家 斎藤裕
大川美術館長 寺田勝彦
花芸安達流群馬県合同支部役員協議会議長 須藤伸瞳
カメラ―タジオン代表 小田原由美
県子ども会育成団体連絡協議会長 後藤守吉
県茶道会長代行 鈴木洋二
県珠算連盟理事長 吉沢正夫
県書道協会長 天田研石
同副会長 大井美津江
同 小此本草郷
同 久保田香林
同 柳井和翠
同理事長 本城亮俊
同理事・県展事業部長 新井祥碩
同理事・県教育書道展事業部長 真下京子
県青少年育成事業団理事長 大西康之
県美術会長 田中朝庸
同事務局長 吉田章三
県邦楽協会理事長 江蔵無童
同本部常任理事 小林笙童
同常任理事 及川清流
温故和楽会長 内田天流
県ユネスコ連絡協議会長 関口実
県レクリエーション協会顧問 飯塚ツヤ子
群馬刻宇協会理事長 竹市求仙
同理事 高田正岳
群馬美術家連盟代表 永井金四郎
同事務局長 吉田穣
群馬マンドリン楽団代表 両角文則
群馬歴史散歩の会長 井田信夫
写真家 今井隆
上毛芸術文化賞美術選考委員・高崎市美術館長 巣山健
同音楽選考委員・群馬音楽協会長 松原真介
上毛文学賞歌壇選考委員 武藤敏春
同俳壇選考委員・あさを社代表取締役 関口ふさの
県吟剣詩舞道総連盟理事長 志塚心彰
日本棋院群馬県支部連合会長 高山博厚
同副会長 藤崎顕
日本将棋連盟群馬県支部連合会幹事長 安部高行
日本舞踊協会群馬県支部長 若柳吉駒、.俳誌
「桑海」主宰 清水舞子
宝禅寺住職 高橋賢靖
県青少年育成事業団理事妙義山麓美術館長 稲川庫太郎
日本山岳協会副会長 八木原図明
県スポーツ協会理事長 野田伸
同理事 大谷武夫
同監事・中央総合学園校長 松本邦夫
同事務局長 斉藤三郎
県高等学校体育連盟会長 清水邦夫
同理事長 高坂和之
県中学校体育連盟会長 高坂哲也
県ラジオ体操連盟会長 内田元彦
県小学校体育研究会長 山口正夫
同事務局長 根岸郁夫
県身体障害者福祉団体連合会長 増田英雄
大泉体操クラブ代表 西本浩子
草津温泉フットボールクラブ取締役会長 武尾誠
同代表取役ゼネラルマネージャー 植木繁晴
県家庭婦人バレーボール連盟会長 浦野千代子
同顧問 佐藤和江
県還暦野球連盟会長 矢野次郎
同事務局長 小川利男
県グラウンドゴルフ協会長 斎藤求
同副会長 儘田義郎
同 小保方孝次郎
同理事長 新井治夫
県ゲートボール協会長 根萩寿雄
県剣道連盟副会長兼理事長 小林一隆
県ゴルフ協会副会長 貫井忠彦
県ゴルフ場支配人会長 国武正史
県ゴルフ練習場連盟会長 蜂須賀弘有
同副理事長 井口弘
同本部担当理事 根岸正
県サッカー協会専務理事 牛久保勇
県山岳連盟会長 羽野順二
同理事長 佐藤光由
県銃剣道連盟理事長 松沢辰春
県柔道連盟会長 富沢政信
県スキー連盟会長 林辰男
県スケート連盟副会長 鶴田智之
県セーリング連盟理事長 新井幸男
県ソフトテニス連盟会長 安田直之
県綱引連盟理事 栗原主二
県テニス協会長 山川巌
県馬術連盟会長 松本長光
県プロゴルフ会長 片岡保彦
県ボウリング場協会長 馬込俊哉
同専務理事 新里擁亮
同事業委員長 宮沢隆
県ボウリング連盟副理事長 登坂明彦
県野球連盟会長 今井伸吉
同理事長 小林一隆
同審判部長 野沢晋也
群馬スポーツマネジメント・ダイヤモンドペガサス球団社長 堀口芳明
群馬陸上競技協会副会長 平方亨
同 海野俊彦
日本少年野球連盟群馬県支部制支部長 茂野義則
赤城カントリー倶楽部専務取締役総支配人 井草算雄
赤城国際カントリークラブ代表取締役支配人 星河博
赤城ゴルフ倶楽部専務取締役 佐久間紀司
伊香保カントリークラブ取締役支配人 笹渕征三郎
伊香保国際カンツリークラブ取締役支配人 国武正史
グリーンパークカントリークラブ理事長 貫井忠彦
サンコー72カントリークラブ代表取締役 寺本欣一治
下仁田カントリークラブ支配人 玉本紀弘
白水ゴルフ倶楽部支配人 長居博文
同副支配人 ・脅
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