日々

穏やかな日々を

正月4日が終わって

2009年01月05日 02時25分13秒 | 戦い
泥沼のアラブ諸国・・・・・・
正月が来ても、いやいつだって
この世に戦争があるかぎり
人類を祝えない。

悲しいとしか、言いようがない。



猿だった頃
殺しあっただろうか?
自給自足の原始の頃は
もう土地をめぐり
争っただろうか?

野獣の世界の、食うか食われるかの世界のように
肉食動物が
菜食動物を殺すように

人類は人類になったその時から
殺す所業をしただろうか?

正月はみんながおめでとうと言い合う
だからよけい、悲しいと感じてしまうのか?
むしろ、
今年こそは、平和を、人類にと、、、、、
年頭には思いたい。

もともと
信じられないほど、筆不精だから、
年賀状は悩みの種
なんとか、絵的に、ごまかしているけれど、
できたものを見るとき、やっぱり、書かなければ よかったと、
やっぱり、思ってしまうのだ・・・・・・

よし、来年は、「願平和」と書こう。
年頭にあたり、「祈願平和」と・・・・・・
なら、いいだろうか?
なら、ポスト出す時、
或いは、12月に、年賀状を書くとき
この筆不精もなんとか不精を清算して
なんとか、嫌な思いなく、書き続けることができるだろうか?

よし
来年はこの「記」で行こう(
そんなにも、この、年寄りは「謹賀新年」がいやだったのか?
改めて、この感覚に、我ながら、驚く。

ま、そう、拘らずとも、いいのにね~~~
若い頃、さあ、年賀状をと思って、紙版画や芋版画を作っていたあの頃のように
若干、楽しめばいいのにね~

やはり、おめでとうというのが、いやかな?
めでたくもない日々とひねくれているのかな?

悲しむことなかれ、主は救われるとか
悲しむことなかれ、身滅ぶとも法あるからとか
いろいろ宗教を思っても、
やっぱり、祝う気持ちにはならない、、、、、、、、、、、、

いやいや、やっぱり、祝ってもいいじゃない?
これまで、生きて来れたことを
これまで、お世話になったことを
しかし、やっぱり、これでは、「お礼」になってしまうね~~~

拘る自分を、心から笑えないでいる自分がいる。
ちなみに今年は 「祝春」「祝春香」「祝新年」とかにしてしまった。
「迎春」はありふれていて、今年は書く気がしなかったし、「賀正」も今一いやだったし、
いままで、一番よく書いた、
「あけましておめでとうございます」も
すなおに言えなかった書けなかった・・・・・・・・

友のお父上が亡くなられてまじかっだっだし、別友の親しかったお母様も亡くなられ、尊敬したドクターも亡くなられたし、
喪中のはがきが年末に届くのも
やはり、祝う気持ちが起きない原因?
かと思ったりする。

しかし、
なんとか、
正月の行事も終わり
明日から、仕事初めとなる。。。。。。。。

さて、気持ち引き締めないと
ばぁば業に徹していたから、ちょっと、ね~やばいよ。

まだまだまごちゃんは長居をします。
ばぁばは忙しいのであります

コメント
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