日々

穏やかな日々を

ちょっとね

2009年08月13日 09時12分06秒 | 草花


ちょっとね
風がさやさやと吹く吹く
秋のおももち
古代百合が咲く
控えめな白

朝のジュースはグレープフルーツ

よし
今日は控えめでいこう

レンギョウが乱舞する
そうそう
剪定していないから
たこの足の如く動く
風に吹かれて

よし
これでいこう
自然のままの
すなおな心で
乱れるもよし

控えて乱れる
ちょっといろっぽくね(笑)

グレープフルーツのように
やや
苦く
でも甘い

そんな一日・・・・・・・・・・

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今夜の思い

2009年08月13日 01時17分10秒 | 私自身や健康
西空にどでかい太陽がまぶしい
おお
ひさしぶり
そんなに大きく輝いてたんだ~
太陽って

忘れていた

どでかい太陽は容赦なく西に帰るわたしを射る
運転の遮光板を下ろして
目に入らないように光りを塞ぐ
物みな黒く映って
影絵

もう 山に接近し
山に沈むのに
太陽の光りはおとろえることなく
雲のない西空の
さえぎる大気のチリさえ感じない
「まっ太陽」のままか

そう
夏には夕陽はなかった
ぎんぎんの黄金のまま沈むのだ
島根半島の向こうに沈む夏の太陽は
ぎんぎらぎんのまま沈んで
あたりは急に「明」から「暗」になった

海のキャンプで夕陽をあおいだことはない
空は青いまま赤くなることなく暗くなる
だから秋の夕日、夕焼けが印象的
あの、まっかな雲やまっかな太陽は秋のものなのだ


下界では
人間が人間の言語に心傷つきながら
終わる

介護に疲れた妻の休養のために
寝たきりの夫は入院となった

友のご主人のご両親・・・・・・・のお話。。。

あたふたと入院し、ベットに横たわって
ほっとするまもなく部屋に来た看護師が
「それでは、終末期のことついて
医師と話し合うため、
午後5時まで家族の方に来てもらってください」という。
入院時は妻(80歳)と孫(20歳)が付き添っていたが
入院のその直後に
終末期云々と話されても、付き添ってきた家族はかえす言葉もなかった。
そりゃぁいつかは死ぬし、
今夜にでも、どうなるかは、わからないし、
でも、入院したばかりの時に、もう死ぬ時の延命措置をするのかしないのか、本人のそばで、そんなことを、家族に話すだろうか?
夫の死
そんなことはつゆ思っていなかったので
看護師がそういっても、ピンと来ない妻だった。
友が5時までにいけなかったら、携帯に電話が掛かってきた、
「終末期にはどうされるのか、話し合っておいて貰わないと困るのです。」
看護師は、たんたんと、事務的に、
入院となった本人の様子も言うことなく、
入院させた家族の心を気づかう言葉なく
たんたんと、「終末期は・・・・・」という
いたわりの心も感じられない事務的な声、話し方であり、
そんな電話に憤慨した友。
友はかって、その病院の看護部長をしていたから、
携帯の電話を調べれば分かったのはいいとしても
なんの世間的な挨拶言葉もなく
いきなり「終末期は」という看護師に憤慨した
「だいたい、そんな大切な家族への連絡を病棟の責任者が言わないのはおかしいよね
世間の言葉がうまく言えない若き看護師に
携帯に電話をさせるなんて・・・・・・ね」
全くそのとおりである。

わたしが病棟婦長をしていたときは
家族への連絡はみな自分がしていた。
若いナースでは家族への配慮の言葉が不十分なので
家族の心を傷つけてはいけないからと
それ相応の年である師長の役目としていた。
スタッフナースたちはあたふたと走り回る状況もあって
家族への対応は不向きと思う。

私には沢山の友がいる。
友はよきにつけ悪くにつけ電話をくれる
いっしょに「そうだねそうだね」といいながら
私自身のストレス解消にもなっている。

私も日々憤慨しながら
まあまあ、まあまあ、と思うには
友からの電話が第一
効果抜群なのだ。

「思い」は「言語化」

愚痴といっても
決して決して
とても「よい友」との会話なのだ


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