大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

いまの世にこそアワ歌を詠う

2016-11-29 | 
倉庫の土間に置いてあった大根が凍っていた。土曜の夜、蛇口から水が出ない。
今時期は冷蔵庫代わりの風除室に、豆腐を置いたら、やはりカチンコチンになっていた。
まだまだ序の口、とたかをくくっていたら、、、、やるじゃないか、冬。
冬は葉物が凍れないように保管する冷蔵庫の扉を開けたら(ああ、暖かい。。)
本当に、本気で来る気で、来たんだな冬。

数年前から、小麦粉のグルテンがアブナイと騒がれていたが、輸入品や農薬と化学肥料
の国内産のことだろうと、パン好きな自分としてはそれ以上知りたくない気持ちもあった。
しかし、実は国内産小麦も同様に危機に瀕しているという。
さらに、小麦に限らず、米なども、食味や栽培しやすくする目的で品種改良を重ねてきた結果が、
本来のあるべき姿からどんどん離れて来ているという。たしかにそりゃそうだ、、、細胞の奥ではたぶん知っていた。
農薬や化学肥料がどうとか、有機肥料か無肥料か等とそんなところにうろうろし、作業に追われて見失う。
それでは済まない。もう20年もまえにアメリカの遺伝子組み換え作物騒動であれだけヒートアップしたのに、、、
農業者にとって収量の安定・品質向上等は食べる人に直結しているが、そのための品種改良の結果が、、、、、
まわりを見渡せば、水も、空気も、すでに知ったところで生きてるうちにどうなるものでもない所まで来ている。
各々が自分と家族の幸福のために各々の仕事をしてきて、結果そうなった。張本人は紛れもなく自分自身なのだ。。。。
もう、健康食品や、安全な米や野菜にだけ頼っていても物質レベルでは真の健康を維持するのは限界。。。
昨日より少し意識を変えて、腹6~8分、よく噛む実践を1日一回でも本気でやる。唾液を出して免疫アップ!!
外食して、腹の中でその味にいちゃもん付けたり後悔するのを止め、腹の底から感謝して受け入れる。
人(夫)の行動や言動に目くじら立てたり、イライラすることがどれほど自分の細胞を傷めるかを腹に落とす。

そう思っていた矢先、うちには仏壇は無いがご先祖様に毎朝お茶とお水を供えるコーナーに目が行く。
『言霊アワ歌の力』石田英湾著 いつからかそこに置いてあった。どれどれ、久しぶりに開いてみる。

 アカハナマ イキヒニミウク
 フヌムエケ ヘネメオコホノ
 モトロソヨ ヲテレセヱツル
 スユンチリ シヰタラサヤワ
  ※右に12音で一行
この「ア」の音から始まり、「ワ」の音で終わる四十八音によって構成される「アワ歌」
神代の昔、イザナキ・イザナミが治める国の民の言葉がことごとく乱れていた時、ふたりはこの歌をつくり
ともに歌い連ねて民におしえると、音声の道が開き、民の言葉が正しく整ったと伝えられる。
古代文字で表わせば、「ア」から「ワ」まで万遍なく螺旋を描いて続いていく。
「ア」は天を表し「ワ」は地を表し、天と地の間に四十六音が連なり天地を結ぶ歌になっているという。
声に出してこの歌を詠うと、一音一音が言霊の神々として作用し、人体の、陽の十二の経絡とツボの裏表、
陰の十二の経絡とツボの裏表、合計四十八の経絡とツボは、言霊の神々と人体が交信共鳴し合う窓であり、道であり
要の地(ところ)であるようです。     とある。 
ご先祖様、今頃慌てるおバカな子孫に、「ほれ、これ、しっかり見ろ」と差し出してくれた・・・
 ※この四十八音の陰陽の割合は3:2 「六:四」であるということが驚き。ロク・ヨンやはり宇宙法則だった。

『今日は死ぬのにもってこいの日』

2016-11-22 | 食生活
日中が暖かい。外仕事を進めるなら今のうちだ!
ブルーベリーの冬囲いを終わらせた。 豆刈りもあと一息だ。加速加速!!

息子の家の本棚で「え!?」っと驚くタイトルの一冊を見つけた。
1974年にアメリカで出版されて以来、世界中のあらゆる世代に読み継がれてきたそうだ。
その詩は、無数の名詩選や教科書に転載されているという。  知らなかった。。。。
一つ一つの詩に、いちいち驚き、魂をわしずかみにされるような感覚を覚えた。
そして、それが、実は、自分の深い所が同じことを思っていることに気づかされた。

     「今日は死ぬのにもってこいの日」 ナンシーウッド著 より抜粋 
今日は死ぬのにもってこいの日だ。 生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
  あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去って行った。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。 
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。 わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。 子どもたちは、うちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。
 
おまえはわたしに言う、
去年という年に住むご老人よ、
昔の歌を歌うご老人よ、
目を覚まして
現実の世界をみてごらんなさいと。
わたしはおまえに言う、
どこにも住んでいない若者よ、
雑音しか聞くことのない若者よ、
世界はわたしの内部で育ってきた
だからわたしは歳月とともに豊かなのだ。

    わたしは女です。
    天の半分を支えています。
わたしは女です。
大地の半分は私が養っています。
わたしは女です。
虹がわたしの肩に触れています。
宇宙がわたしの目を取り巻いています。


   今知っていることすべてを
   もっと以前に知っていたならば
   人生を年寄りとして始めたことだろう、
   若さを置き去りにすることのほか
   人生に恐れることなど何もない
   そう言ってくれた老人たちに
   だまされた年寄りとして。
   そんな人生を送って
   いったい何が面白かっただろうか?


            宇宙の流れの中で、自分の位置を知っている者は、死を少しも恐れない。
堂々とした人生、そして祝祭のような死。
ネイティブアメリカンの哲学は、我々を未来で待ち受ける。
     中沢新一



喜べば、喜びごとが喜んで、喜び集めて喜びに来る

2016-11-15 | 日記
予報では毎日雨マークが続く。
周りの農家はひと月も前に刈り取っている大豆が、畑に入れずまだ刈れない。。。
どうなってしまうのか・・運を天に任せていたら、晴れ間と助っ人が同時に与えられた。
ありがたやありがたや、、晴れ間を見計らっては少しづつ少しづつ豆刈りが進んでゆく。
大きな農家は大きな機械であっという間に刈り、大型乾燥機で仕上げる。
大きなかぶは、手で押して1条づつ刈る小さな機械でシコシコ刈って風で乾かす。
気が遠くなる作業だが、シコシコ続けることで確実に進んでいくのが目に見える。
昔の人たちは朝暗いうちから手で刈り、月明かりで刈り、何日もかかって刈り終えたという。
それに比べればぜんぜん余裕だ。小さくてもこの機械にどれだけ助けられていることか。
ましてや、雨の合間に晴れ間と助っ人が二人も現れた。天の使いに相違ない。
それほどに正直者でもないが悪事も働けない爺と婆に、じょいやさ🎵じょいやさ🎵笠地蔵さまお越しになった。。。。
こんなふうに、あちらからこちらからのサポートが入る度に思い直す。「来年はもっと本気でやるぞ」と
自分の中に、やりたいことがあるだけで感謝だが、もっともっとやりたくなる気持ちを引き出してくれるのは自分ではない。
食べてくれる人の笑顔。生産者仲間の仕事の姿勢。太陽や風や、思いきり生きるすべての存在が自分をかきたてる。
それが自分を動かす。うれしくて、楽しくて、自分がやりたいことをもっとやりたくなって、やってしまう。
      《喜べば喜び事が喜んで、喜び集めて喜びに来る》 昔誰かが言ってたな。。。

ふじ子さん

2016-11-12 | 日記
11/5土曜日、目が覚めると辺り一面真っ白だ。  ああ、、、なんと美しいのだ、、、、、
それまで、今か今かとびくびくしていたのがウソのようにひっくり返った。摩訶不思議

有料老人ホームのふじこさんに新米を配達した時のこと。
玄関に出迎えてくれたふじこさんと、並んでふじ子さんの部屋に向かっていると
入居者の女性二人がすれ違いざまに、「あら~~~妹さん?そっくりね!!」
「孫よ!孫!!」とふじ子さん。ふじ子さん82歳。私、60。
どっちも違うが、どっちもホント。それぞれが自分の思ったままに自由に発言した。
自分の腹はゲラゲラ笑った。 
新米ゆめぴりかの玄米と黒米と黒豆、よもぎ玄米餅を渡す。「待ってたの!」と大事そうに受け取ってくれ
「ここの食事、私食べれない。だから自分で、ほら、その玄米炊ける炊飯器で炊いてね、黒米と黒豆も入れて」
炊飯器の中まで見せてくれた。「私、お金たくさん払ってるのに、ここ、ちゃんとした食材使ってない。。」
そんなふじ子さんは、他の入居者の人達とはどこか雰囲気が違う。私よりまだ痩せていて、癌だという。
しかし、背筋がぴんとして、耳はちょっと遠いが、話がはっきりしていて、精神がクリアなのだ。
沢山のお金を払って入居した、最新設備の快適そのものに見える終の棲家で、自分の食を自分の手で賄う。
「私、もうすぐ死ぬけど生きてるうちはこの米頼むわね」 どっこい、生きる気満々だな。 
「ふじ子さん、わたしだって明日はどうなってるか分からないの」
「あははは~~!!」 ホントにわからないから二人で大笑いした。
だが、そんなこと言われたら、ふじ子さんの為にもう少し頑張るぞ、という気持ちになった。