大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

じぶんで出来た!

2019-05-26 | 日記
目の前のマオイ山は日ごとにムクムク、モコモコ膨れていく。
少し前に生まれたばかりだったのに、もう高校生の様だ。
庭のブルーベリー畑もあっという間に草の海になった。
イネ科の草たちがすでに穂を出し花粉をまき散らす。
毎年のことだが、その草の中を覗いてみれば、、、すずらんが咲いていた。
小さな白い花のスミレ、ホオズキや、ドクダミも5センチくらいに伸びている。
草の頭をつかんで刈り、海の底に光が当たるようにした。
ピンクのツツジも白いドウダンツツジも咲き誇る。
いつの間にか、楡の木が母屋の屋根を抱きかかえるように枝を伸ばしている。

先週火曜日の夕方、久しぶりの雨の中髪を切りに出かけた。
サチコさんにきれいにしてもらって、さて帰ろうと車に乗り込んだがエンジンがかからない。バッテリーが上がっている。
(あ、雨の中ヘッドライト点けて走って消し忘れた、、、)
過去に何度も失敗して、そのたびに何時間も救援を待った苦い思いを払拭すべく、1-2年前ホームセンターで
ブースターケーブルを購入し、車に積んで備えてある。(お!いよいよ自力で解決する時が来た・・・)
となりに止めてあるサチコさんの車から充電させてもらえば難なく一件落着だ。心の中は余裕のヨッチャン。
が、自分の車のバッテリー部分が一体どこにある?配達中の夫には言わない、言えない。困ったときにはオクノさん。
「オクノさん、うちのサンバーどこにバッテリーあるんだっけ?」取り扱い説明書みるより先に電話する。
「助手席の下開けてみな」「開けた、どこ?無い。。」 「黒いカバー外して、、」  「あ!あった!ここだったのか、、」
で、どっちにどっち繋ぐんだぐんだっけ?、、書いてある書いてある、ケーブルにちゃんと書いてあった。ほっ、、
隣でサチコさんも雨に濡れながら、片手で車の取り扱い説明書開き、片手で携帯持ちご主人と話す。お互い初体験。
ぶるるん!!とエンジン音が轟き、サチコさん「やったーーー!!!!」「ありがとーーーーー!!!!」と走り出す。
だめなら俺が行く、と言ってくれたオクノさんにもお礼の電話をして、心の中で胸を張る。(じぶんで出来た!)
スバルのサンバー、5年前中古でうちに来て直後に横転事故で入院。修理代30万円。運転手は無傷。
ボデイはボロボロ、走行距離18.8万㌔、今年は廃車か、、の運命が、代わりが見つからずまた一緒に頑張る事となる。
「カアちゃんを守ったんだもんな」と珍しく夫もサンバーを讃える。サンバーよかったね、大好きだよ。いつもありがとう!

春爛漫・おいしい!

2019-05-20 | 食生活
日差しも強くなり、庭はあっという間に草の海だ。
つい先日、家の前の木のてっぺんの枝にテイッシュペーパーが2枚、
風に飛ばされて引っかかっている、、、と思い近寄ると、こぶしの花だった。
数年前から突然ぐんぐん大きくなりだし何者かわからなかったが、こぶしか。。
今朝、二階の窓から外を見ると、15年もうんともすんとも無かったプルーンが
白い花を咲かせていた。花も咲かせず、当然実も付かないプルーンを
ハウスの横で邪魔になるから(切るか・・)と腹の中で算段していたら。。。。
今までこの時期は忙しくて、ただ見ていなかっただけかもしれない、と思った
春先、ヤギの母さんに葉をかじられたチューリップも健気に赤い花を咲かせた。
あの木も、この草も、そちらの花も、、、、その時をじっと待ち、(今だ!)とばかりに時を捉えて命を燃やす。
そんな姿見せられると、こちらの都合で切ったりするのもちょっと恥ずかしくなる。。が、切るときは切る。
先週は快晴の中、老若男女20数名大きなかぶに集い、山菜目指し長官山に分け入る計画。
が、案内役の平山さんが「体調良くないから山は歩けない」となり、予定はすぐに変更され、
目の前の大かぶの畑で手軽にヨモギや蕗をとることになる。川を飛び越え山肌に伸びているアイヌネギ
もたくさん採れたようだ。平山さんならもみじや山ぶどうの新芽など珍しいものを教えてくれるので、
これから何が起きても、「周りを見渡せば食べるものだらけ」という体験をしてほしかったけれど、次回に。
天ぷら三昧というので、錆錆の年季の入ったカセットコンロを2つと小さな揚げ鍋を2つ用意したが
この人数なら間に合わない。倉庫をゴソゴソしたら、業務用のガスコンロと立派な鉄の天ぷら鍋が出てきた。
一体、いつ、どこから来たのか思い出せないが 鉄くずやに渡さなくてよかった。
この企画を積極的に進めてくれた島牧村の村おこし協力隊の若者平岡君が前日に持ってきてくれた
島牧村のアスパラ、タケノコ、クレソン、ホッケなどなどを料理名人でもある平山さんが参加者の女性陣と
手際よく、次つぎに天ぷらにしてくれる。島牧の海水を新月に汲んでつくったという塩をつけて頬張る。
2003年から7年続いた月一回の日曜喫茶以来、9年ぶりの大賑わいの大きなかぶ。
年をとり、大勢の人の中にいるのは気が疲れるので一切遠ざかっていたが、意外に楽しかった。
自分は裏方で、ご飯を炊いたりクレソンのサラダやタケノコの煮物や魚を焼いたりだったが、
大皿があっという間に空っぽになって戻ってくると心が弾んだ。
「美味しかった」という言葉を聞くと元気が湧いてくる。「美味しい」は魔法の言葉だ。


平成の記憶

2019-05-05 | 日記
4月の末、朝ケイタイが鳴って、出ると鼻にテイッシュを当てた娘が画面に映った。
「母さん、父さんと離婚したの何歳の時?」藪から棒に聞いてきた。
「えーーと、22で結婚して7年めだから、、29さい」「へ~そんな年だった、」
そういいながら、テイッシュで鼻を拭き拭き泣いている。(どした、どした?、、、)
「コンサート行って、最後の曲に泣かされた。次の日違う場所で、また同じ曲聞かされて泣いた。」
あらま、この娘泣かすような曲、いったい何だ?数日たってもまだ思い出しては涙が溢れ出る曲って? 
話から推測すると、「父さんの子守歌」という曲だった。30年も昔にいつも口ずさんでいた。
私の子どもたちへ ---父さんの子守唄---  詩・曲 笠木 透 
①生きている鳥たちが 生きて飛び回る空を あなたに残しておいてやれるだろうか父さんは
  目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう 近づいてごらんなさい 辛夷の花があるでしょう
②生きている魚たちが 生きて泳ぎ回る川を あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは
  目を閉じてごらんなさい 野原がみえるでしょう 近づいてごらんなさい リンドウの花があるでしょう
③生きている君たちが 生きて走り回る土を あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは
  目を閉じてごらんなさい 山がみえるでしょう 近づいてごらんなさい 辛夷の花があるでしょう

平成元年9月、7歳の娘を連れて三重県津市のヤマギシの村に参画した。
4年生の息子は絶対行かない!と抵抗し、やむなく、しかしこの人にしか頼めないと別れた夫に託した。
「嫌だったけど母さんがひとりになると思ったから村に行くって決めた」あとから娘がつぶやいたっけ。
名古屋に向かう新幹線の中で、娘は持っていた歌集を開き、この歌を歌ってと母にせがんだ。
「母さん、泣いて、泣きながら歌って、ボロボロ泣いて、、それを突然思い出した。。」と言い泣いている。
「え~~~!!全然覚えてない!」 しかし、今、娘を泣かせているのは、その場面の記憶だと知り驚く。
7歳の娘はその日から大好きな兄と別れて暮らすことになる。その前には大好きな父とも離れてしまった。
あの頃、東京の学校は荒れていた。バブル崩壊前の社会も混迷の中だった。
子供達に健全な未来を残さなければ、と強く思った時期に知った村に参画したのは必然だった。
新しい社会を顕現しようと試みる村の理念に深く共鳴し、同じ思いで参画した仲間との日々は充実していた。
ワタシを含めたスベテノ人が幸福になる未来社会の顕現ばかりを夢中で研鑽し模索した10年だった。
だが、振りかえれば未来を思うがあまり、肝心な”今”の娘や息子の胸の内に寄りそい歩むことを怠った。
7歳の娘が胸に仕舞いこんだ様々な思いが、30年の時を経てこの歌で溢れ出て涙になって流れていく。
新幹線の中で流れ続けた自分の涙がどこから来たのかまったく思い出せないが、少し安心した。
あの頃は泣いている暇はなく、前しか見ていないと思っていたけれど、そうじゃなかったんだ、、、、、
娘よ、母の我儘に付き合ってくれてありがとう。息子よ、母は君を胸に思い切り生きることができたんだよ。
二人とも目の前の家族とすごす「今」を大切に、愛に満ちた美しい人生を送ってほしい。願いはそれだけ。
平成31年4月 娘の涙で浄化した平成に別れを告げ愛と感謝をささげる。
令和が清々しく安らかな時代でありますように。
実現のためには、じいさんの暴言・理不尽にも、心をサラサラと清々しく調え、ヘラヘラ生きる訓練あるのみだ。。。