大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

靴をそろえる

2018-09-24 | 日記
金曜日快晴! 朝、震度3の揺れ。
なんだかんだ、まだまだ安心するな心配するな状態。。。。
こんな時、犬や、トンボはつくづくのんきに見える、、、
貴重品も持たず、衣服や靴さえ履かず、台風地震も他人事。
ハエなどは外に居れば安全だと思うが、あえて家の中で飛び回るので
ハエ叩きでたたかれバタバタ逝くが、まるでそれを望むかのようだ。

長沼温泉の玄関で小学生の女の子が手に持っている靴を静かに床に置いた。
(お、上から落とさず感心だ。。。)と思ったら、「上から落とさなかったね」横からお母さんが声をかけた。
女の子はちょっと恥ずかしそうに、でも心の中で胸を張っているような表情をした。
靴の扱い方をこんな風に意識して子育てしている若いお母さんがいる。
誰だったか、100分の1秒を争うスポーツ選手が、日常生活で意識していることの一つに『靴をそろえること』
と言っていた。なんとなく、「ああ。。」と身体のどこかが深くうなづいた。
身につけたくてその時はいっとき意識していたが、いつのまにかバタバタ脱ぎっぱなして、後から揃える。
5才年上のタイちゃんはいつでも脱いだ靴をすぐに揃える。
「たいちゃんいつからそうしてる?」「子供の時から。親がうるさかったから」 なるほど。。納得。。。
いつも正姿勢で潔く、積極的に人生を切り開く生き方の底辺を垣間見る。
後から(へへへ)と揃え直すのとでは大違い。

よく寝た~~~~

2018-09-16 | 日記
周りの田んぼの稲が黄金色に染まってきた。
この時期にあれだけの台風が来ればなぎ倒されてしまうのだが、
今年の稲は頭が軽くて倒れず。。。低温続きで実が入らなかった。

地震から10日、毎日体に感じる揺れが何度もある。
大きな揺れに備え、一応割れ物は全て棚から出して箱に入れた。
箪笥の上のご先祖様コーナーも床に降ろした。
トイレの棚に飾ってある陶器の小さなカエルの置物も床に並べた。
ほとんど使わない食器を片づけようと思いながらズルズルしていたがすっきりした。心もすっきり。
使ってはいないが、まだ十分に機能するそれぞれを使わないからといって捨ててしまう気も起きず。
それこそ今後、全てを失った人のところでまた活躍できる日が来るかもしれない。
ついでに乾物や豆や粉のコーナーも一気に片付いた。ほんとうに嬉しい。
街のコンビニやスーパーは何も置いてない棚があり、いつもは商品をより美味しそうに見せるための
照明が消されているが、皆静かに買い物をしている。在るべき姿に戻って行くかのようだ。。
日本中のあちらこちらで次々に起こる災害。
人々は不安な中でも、淡々と今出来ることをやりつづけながら今日の一日を生きている。
動ける人は動き、休むことの必要な人は横になり、駆け付けずにいられない人達が駆けつけて動き、
誰にも迷惑かけまいと頑張ってきた人が、誰かの力を借りることで大きな肩の荷を下ろすのかもしれず。
誰にも必要とされないと思い込んでいた人が、必要とされる喜びを知り輝きだすかもしれない。
とてつもなく不幸に感じる状況の中でさえも、人は小さな喜びや感動を見つけだし、立ち上がり歩きだす。
これまでの人類史上、様々な困難を乗り越え生きてきた人達のDNAを受け継ぎ、今ここに在る私たち。
思い切り悲しみ、不安になり、暗闇にうずくまってじっとして、全てをリセットしたなら、、、
ふと、目の前には広大無辺な新世界が、すでに在ったことに気付くのかもしれない。。。。
稲は実らず、現実にハウスが倒壊し、電気の来ない生活をほんの少し体験しただけでも何かがちがう。
今まで使わずに眠っていた細胞が「ア~よく寝た~~~~」と目覚めてくるのを感じる。

台風と震度6

2018-09-09 | 日記
いやいや、びっくりでしたネ、もう!!
台風の一撃浴びてやれやれと思う間もなく、夜中ですもんね。
台風の去った朝、家の前の国道に抜ける道を大木が塞いでいる。
一人で暮らす隣りの平山さん(71)の安否確認に行くと入り口の
大きな木が根こそぎ倒れ電柱にもたれていて、平山さんはぴんぴん。
「チェンソーで枝落すのに梯子借りに行くよ」「了解」
朝の時間帯はこの辺りの農家の人たちがうちの前の道を頻繁に通るが
何台かの軽トラックが道を塞ぐ大木を見て「あらあら」と引き返していった。
(こういう場合どこに連絡するものか。。)と思っていたら、夫がチェンソーで大木を切断しはじめた。
根本を切り離し、道を塞ぐ部分をトラクターで移動させ、さっさか農場の様子を見に行った。
(そだね、ボーッと待っていてもラチが明かず、自分でできることは自分で。。。)
いつもあっちが痛いこっちが痛い、とぼやいているが、やるときにはやるんでしょ。。
ビニールハウスのビニールが破れ、ミニトマトと茄子のハウスが2棟倒壊。納屋や倉庫は無事。
あ、夜中にどっすんと大きな音がしたと思ったら、母屋の煙突の頭が落ちていた。これだったんだ。。。
2階から見たら家の横に置いたプレハブの屋根のトタンが2枚飛ばされている。
(雨が降ると厄介だ。)と梯子をかけて登ろうとした矢先「一人で登るなよ!」と夫が電話してきた。
なんでわかる?しかしいうこと聞かず、飛ばされたトタンを持ってさっさか登ってトントン釘打ち安堵。
山羊小屋のトタンも3か所めくれあがっていて、雨の降る前に2人で登って補修する。
 台風の後始末に追われていると、翌日の3時に震度6。しかし幸運にも地震の被害は停電のみ。
厚真方面の知り合いの無事を祈りながらの4日間。(9日昼前、電話がつながり無事を確認)
ラジオから、コンビニやスーパーやガソリンスタンドの状況が流れてくるのを聴きながら
札幌の高層住宅に暮らす毎週野菜を届けているひとたちや、友人知人の顔が浮かんでくる。。
携帯電話とパソコンとテレビから完全に遮断された3日間。
薪が有り、水が山から流れ、米と野菜と納豆が有り、暗くなったら寝るだけの暮らしでした。
不安はなく、いつもよりゆったりと繕い物などができ、時間が健康正常に流れる感じでした。(これだ!)
今後の大きなかぶの方向性も、安全な米や野菜の供給という他に暮らし方全般にもっと目を向けた
情報や場の充実を具現化していく必要性を強く感じたのでした。
今までボ―――――――――ット生きていて本当に恥ずかしい。。。。

    この度の災害で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
  また、道内外の多くの皆様のご心配と励ましのメール等に深く感謝申し上げます。
   この度の災害を教訓とし大きなかぶの持ち味を最大限皆様のお役にたてていただけるよう
   日々一層の研鑽をつんでまいります。



妹Ⅲ

2018-09-03 | 日記
金曜日久しぶりの快晴の中、新潟から妹(51)が来た。
姉が北海道で百姓しているらしいが、本当なのかどうなのか。
一族を代表して確認にやって来た。
「あんな重たい大きな物体が空飛ぶなんて!!」と避けてきた飛行機に
新潟⇒新千歳1時間をじっと耐えて人生初飛行を成し遂げる。
妹は昔昔、大昔、私が子供たちの父親と離婚した翌日に、
新潟の実家から東京に突然やって来て一緒に住み始めた。妹20。姉31。
とっくに忘れていたその頃の思い出話に花が咲く。
二人の子供を妹に預けて夜スナックにカラオケに行くという日、昼に食べたホッケの小骨がのどに刺さった。
食パンを数枚丸のみにしても小骨はとれず、ご飯の丸のみも何をしても小骨は喉の奥にささったまま。。。
「あっ!」と閃いて、掃除機で口の中の骨を吸取る作戦に変えたが手間取る。いやがる妹にむりやり
掃除機を渡して自分は寝っころがって口を開ける。
「ねえちゃん、だめだ。とれない。」 掃除機は少し血の混じったよだれを吸込むだけだった。
「掃除機で詰まりモノを吸引するのは今禁止されているからね」と地元の病院で働く妹が冷静につぶやく。
 ママさんソフトボールチームに所属していたので妹にキャッチボールの相手をさせていた。
夕暮れ時、アパートの横でいつものようにキャッチボールをしていて、投げた球が妹の顔面に当たり
眼鏡が壊れたらしいが、「ねえちゃんゲラゲラ笑って、笑い転げて。。。。」と言った。
「え、そんなことあった?全然覚えてない。。」と、それを聞いてまたゲラゲラ笑ってしまい、「ごめん」
姉のしでかした様々な事件を妹は冷静な観察眼で解説を交えながら夫に話している。
「むかしからそうだったのか。。。。」夫は今更ながら妻の生態の先天性を確認して妙に納得している。
「あんなこと、、、こんなこと、、、覚えてないの?!」と呆れられた。自分もそんな自分に呆れた。
突然転がり込んできた妹を、「まったく、、」と思っていたが、一人で子どもたちを育てていく決心を
した時期を、楽しくたくましく不安なく生きれたのは妹が一緒だったからだと気づいた。
そう思ったら腹の底から(ありがとう)という気持ちが湧き出てきてた。 涙がコロンとこぼれた。