大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

春の吹雪の贈り物

2017-03-27 | 日記
思いがけない雪で、真冬に逆戻り。
吹雪のその日、夫はインターネットで見つけた豆の機械を買いに行くと言う。
4駆の効かないオンボロ2トン車で、この雪の中を網走まで走り、翌日は法事で
函館に日帰りする予定になっていた。
先週は講演会のため金曜から翌月曜まで札幌のホテルで過ごし疲れ切っているが
豆の機械に会いたい!それを一刻も早く連れて帰りたい!と言う気持ちは
ひしひしと伝わってくるので、顔はぶっとして反対しているが、腹の中では
(命がけで欲しいもの手に入れに行くシアワセなヤツ)と思えば、死んでよし、生きてよし、、
じゃ、心配だから自分も行くかっていえば、行かない。今、一緒に死んでる場合じゃない。
だが、豆の機械は2トン車には積めない大きさと分かり、、、、夫、断念。
しかし網走まで行く気満々のエネルギーは出所を探した末、明日の函館行を今日にすると言う。
「湯の川温泉一泊だぞ。行くか?」と水を向けられ、「いくいく」となる。43℃のお湯が呼ぶ。
雪道だろうが、条件が「温泉」と変わればあっけなく「いく」となる自分の身勝手さを笑う。そして許す。
山羊と羊に乾し草をやり、犬たちのごはんをそれぞれの鍋に多めに入れて、あれやって、これやって、、
高速乗って、途中横殴りの吹雪を突っ走って湯の川温泉夜の11時着。12時終了のお湯にゆっくり浸かる。。。
熱々の湯に浸かっていると血管にこびりついている老廃物が融けて流れて行くような気がする。
身勝手な自分の腹黒さや、小ささも融けて流れてるんるるるん♪なんのきおくもございません、るんるん♪

翌日「お前はどこかで遊んでろ」と元町でコーヒーを飲んだ後、夫は黒い服と靴を持ち近くの寺に法事に行く。
ネットで探したその自家焙煎のカフェは天然昆布の仕入先八島商店に徒歩1分の場所だった!
連絡取ると「これから自家採取の種の交換会に行くけど、一緒に行かない?」「行くーーー!!」となる。
会場で仕入先の森町の白瀬さんの奥さんと息子さんに出会いお互い驚き、喜ぶ。
交換するもの何も持たず、たくさんの人から様々な自家採取の種を受け取った。
この種を絶やさぬようにつなげていこう。。。と静かな強い気持ちが呼び覚まされた。
この冬最後の吹雪からの贈り物。。。

これを書きながら、稀勢の里が優勝決定戦で勝ち、湧きかえる会場の様を見て涙が出てきた・・
君が代を歌いながら拳で涙をぬぐい男泣きする稀勢の里に泣き、会場の喜ぶ様に何かを思わされて泣き、
それを見て隣りで泣いている夫を見てまた泣き、、、、、春いちばん目の掃除、、、、



理想のじぶん

2017-03-22 | 日記
昨日、赤峰講演会「食べることは生きること」盛況でした。
今年は、なずなの塩、出版物の他に道内各地からのこだわりの海産物、農産加工品、無農薬米のみ使用でワンニャン食品(人間もお味見OK!)
等の出店もあり賑やかです。
久しぶりのコンベンションセンター、明るくて解放感があり、他のイベントが無かったのか人も少なくロビーは貸切状態。
毎年恒例、大かぶの米を”青い空・流れる雲”に持ち込んで焚いてもらったおにぎりで赤峰さんもスタッフも腹ごしらえして本番待ち。 
 司会の大道さん70歳が、昨年初めて講演会を聴き、食生活の実践で余命一年と医者に宣告された3っつの癌が消えてしまったことを
力強く報告され、会場の関心はグッと赤峰さんの話にひきつけられました。

大道さんの白いスーツの襟元には、ムーミン谷の住人、赤いワンピースの”ミー”のブローチが輝いている。
秘かに(ミーはわたし)と思っていた私は「大道さんもミーだったのーーーーー!!!?」と心が飛び上がった。
「そうなの~~~!!」ニコニコ応えてくれた。
そういえば50に近い〇〇ちゃんも「私はミー」とミーグッツを集めていたな。。。。
一見意地悪そうな”ミー” ひどいこともいっぱいする。
しかし、嫌われることを怖れずに自分の考えを言える。
ほんとうは気遣いも人一倍あり、根底には大きな愛を持つ。
孤高であるが少しも淋しくない女の子。と想像し、憧れの”ミー”
そうか、、”ミー”って「自分はこうありたい」と思う各々の自分自身そのものだったのか。。。。と気付く。




腰椎3番の仕事っぷり

2017-03-04 | からだ
本日快晴!かと思えば瞬時に強風と共に雪が舞い散り・・・・
三寒四温。 冬と春とが最後の舞踏会を繰り広げる。

「今日もパパは出張。」と二人だけの時間を持て余した娘から電話が来る。
ケイタイの画面の向こうに食事中の孫と娘が映っている。
こちらも夫は外仕事や配達で暗くなるまでほとんど家にはいない。
それぞれの食卓で、お互い画面見ながら3人で昼ご飯。寂しくない。便利な世の中だ。
孫が食べていた豆を吐き出した。それを娘が叱っている。
「ダメでしょ、お百姓さんが一生懸命作ってくれたものだよ。ごっくんしなさい。」
たしかに、その角度も有りか、、と思い、口は出すまいと見守っていたが、
お百姓さんの立場では、食べる人の身体が素直に受け入れてくれるものを作りたい。
孫が吐き出したのはいつも食べているうちの豆だったが、孫の身体は今その豆を飲み込むことを拒んだ。
今日の孫の身体は、この豆は要らないのだ。。と理解した。そうでなければ無条件にごっくんだ。
大人なら身体が必要としなくとも、頭で飲み食いしがちだが、、、子供の身体は正直だな。
「ナオトの身体は自分で自分を守る力があるんだよ。お百姓さんの為にがんばってごっくんしなくていいんだよ」
思わず、孫に向かって真剣に話しかけている。孫は「うん」(わかってるよ)とカメラに向かってしっかりうなずいた。
「え?そうなのナオト?」娘も親の顔をはずし、生き物同士の顔で問いかける。下を向き黙り込んでいたのが
まっすぐ親の顔をみて「うん」とうなずいた。2歳児はまだ親に塗りつぶされていないのか、それともすでに知能犯か?
ちゃんとしつけなくちゃと気負う娘の気持ちもよく分かるし、自分も案外そんな子育てして来たな、、と振り返る。
が、この混迷の時代を何処に軸足を置き、何をよりどころにして日常を生きればよいのか。。。
ふと、棚にある小さなノートを手に取ってパラパラめくると、2014-7/28と記したメモが目に入る。
【身体の言い分を聴く方法 最後に残るのは身体だけ】三枝龍生
人間は何かやりたくなると力が湧いてくる。凧を揚げたくなれば、冷たい風も気にならない。
山登りしたいという心がある限り重い荷物も気にならない。本当にやりたいことある時は頭より先に腰が動く。
欲しいものあれば思わず身を乗り出してしまう。すなわち、腰椎の真ん中、へその裏側の腰椎3番から引っ張られる
ように前に出てしまう。そういう自分の行動は、時空を俯瞰する力を持ち、客観的に、しかも真剣に観ていないと
時に、人生を棒に振ってしまうことも珍しくありません。なぜなら、それほど自分にとって、大切なものとの出会いは
珍しいからです。普段はどんなに上品に生きていたとしても、身を乗り出すようなものがあれば、それを全力で奪い
放してはいけないのです。人生は一生気取って過ごせるほど甘くはないのです。だいたい時間がありません。

なるほど。。。。
自分の人生も腰椎3番にひっぱられたのに違いない。そうでなければ、ここでうっかりこんなことはしていないだろう。
へこたれ、くじけそうになった時、腰椎3番の思し召しと思えば、なんとかやっていけるのかもしれない、、、、、
この時期、こんなメモ見せられて、「今年もやるぞ」って気にさせられて、、腰椎3番が棚からノートを出させたのかあ?