大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

苺と犬!

2009-06-29 | 日記
太陽が戻って来た。
家の前の大きな紅葉のてっぺんで藤が咲き終わり ニセアカシアが咲き出す。
甘い香りが一日中周辺に漂う。
春先に仲間の農家からもらった100鉢程の苺の苗を植えずに庭に並べて
鑑賞し、「ここに置けばいつでもつまんで食べることが出来る」と考えた。
そして気の向いた時だけせっせと水やりをし、生き生きと咲き乱れる白い花を見て
真っ赤に熟れた実が自分の身体と一つになる日が目の前に来ていることを
毎朝予感しては全身に悦びが溢れてくるのを感じていた。
ある日 いよいよ色付きはじめた大きな実がひとつ。。
(もう一日まてば食べ頃だ・・・・)最初の毒見は妻の使命、夫とはその苺の話には極力触れず。
翌日、見るとその粒は消えていた。(おかしい。。。。)
並べてある鉢の海が無残に荒らされあちこちで鉢が倒れてプラスチックの白い側面を見せている。
(犬達が苺の海でじゃれあって遊んだのだ)と推測、「全く!モオオオオーーー!!」と久しぶりに牛になる。
「とーちゃん!犬があーーーー!!!!!」とそんな事は大袈裟に被害者意識むき出しで報告。
「あの真っ赤なやつ、昨日とっておけばよかったな」と夫は残念がった。(とおちゃんもチェックしてたんだ・・・)
がっかりして、対策を講じる元気もなくただ苺を見ていると 犬たちが代わる代わる来ては少し熟れかけた実を
はぐはぐとむしりとっては食べている。それも本当に美味しそうに食べている。(幸せそうだ・・・)
いつも屑米と残り野菜ご飯ばかりだから犬ならたまには肉だって食べたかろうに、現実を受け入れて生きている。
  私は一生苺を食べなくても幸せに生きて行く。  あげよう、苺は犬に。

アカシヤの花

2009-06-21 | 日記
空は相変わらず半べそかきの曇り空。そんな気持ちのときってある。抱きしめよう。
自分の身体はここ2-3日細胞がサイダーみたいにシュワシュワ言う。
(この感じ、いつか、むかし、子供のとき、よくあったような・・・・・)
遠足前の布団の中だったのか、学芸会の出番の前だったような・・なんだ、これ・・・
そんなとき、みっちゃんがアカシアの花をどっさり摘んでお泊りに来た。
「天ぷらで食べたい」というので、夜ごはんは天ぷらうどんにした。
花がよく見えるようにと薄い衣で揚げたら素揚げのようになり油を吸って
こぎつね色になってしまったが、カリカリと歯ごたえは良く、蜜蜂が取り残した蜜が
ほどよく甘く芳香で思いもよらぬ美味しさだ。
翌日のお昼ご飯は、花パスタにした。黄色のルッコラの花と菜花をたっぷり
白いアカシアをどっさり 茹で上がったパスタにからめ、オリーブオイルと塩で味を整えた。
茹で汁に若い黒豆味噌をちょっと入れてスープにし、ここにもアカシアの花をたっぷり浮かべた。う うまい・・・
そして紅茶にもアカシア、ハーブテイーにもアカシア、お若い方にはチンプンカンの西田佐知子状態。
いつも詰まりぎみのみっちゃんの「鼻」がスースーと通った。花って鼻にいいんだね~~~~~~~!!
花粉症のひとにフキノトウ食べなさいっていうのはこれなんだーーーと納得する。
なんとなくお肌もつるつるのような気がするのは温泉の効果だけでは無い気がしてくる。
 そういえば、シュワシュワ感も少しおさまった様でもあり・・もしやお肌のシワシワ感だったっのか・・
それでもまだあるアカシアの花は「乾して使おう」と ざるに広げて太陽と風を待つ。

今を共に!

2009-06-14 | グルメ
梅雨の無いはずだった北の国にも近年この時期 暦どおりの入梅モード・・・
雨の日は嬉しい。朝いつもより早く目覚め編み針を持つ、母屋の断熱張りに
気が向いているので帽子編みに賭けるエネルギーは無く、細長い縁飾りの
エジングを編む。30cmくらいの縁飾りを何種類も編み、首に巻きつけたり
手首に巻いたりしながら、うふふ と編み続ける。
ひさしぶりにミミどんが遊びに来た。
「4年生の一人息子の子育てにホトホト疲れ果てた」とぼやき「何度おなじこと
言っても伝わらない、全く伝わらない、どうすれば伝わるのか?」と自問自答する。
わたしも思い出せる限りのじぶんの10歳の頃に戻ってみたり、あっちの目、こっちの目
になりながら10歳の心の中に思いをめぐらす。ミミどんも大真面目に答えを探す。
その傍らで、10歳児本人は親の思いとは無関係に天真爛漫な振る舞いで一人遊びに没頭し、
大人二人、それをぼんやり眺め、ため息をつきながら
「親の悩みなんてどーーーーでもいい感じに幸せそうだよね・・・・・・」と顔見合す。
       「あっ!!」とミミどんの目がまっすぐにわたしを見て「謎が解けた」と言った。
「この子は《今》という瞬間の自分に正直に生きているだけ」と気付いて今までの彼の言動をするりと理解した。
《どうしたら自分を理解してくれるのか》と思い悩んだ視点が《自分が相手を理解した》途端ひっくり返った。
あんなに複雑怪奇だった心の内が、《ただ 共に過ごす時間を楽しもう》とシンプルになった。
そして、ミミどんは何事も無かったように10歳の一人息子と帰っていった。

山ごぼうと夫婦

2009-06-07 | 日記
庭のところどころで山ごぼうが育ち大きな大きな葉を広げている。
毎年(あ、やまごぼうだ)と識別した時点でその根元に鍬を入れて
邪魔だとばかりの仕打ちをしてきた。
今年はそのあまりにみごとに大きく力強い姿に惚れ惚れし、
「どうぞ、おもう存分生きて下さい」という気持ちになり育つに任せる。
ビニールハウスの中で冬を越した辛し菜の一株が人の背丈ほども伸び
花を咲かせた。本当の姿はこうだったのか~~~~~~!!
毎日その花や若い葉をツンツン摘んでサラダや天ぷらで食べていると
たった一株の菜っ葉で一年中暮らせそうな幸せな気分になる。
 久しぶりに些細なことで夫と喧嘩し、(きょうはご飯支度しないぞ)とぷんぷんしながら
相手のことに一切の配慮をする必要の無い心境が、無限の開放感を生み出しプンプンと裏腹にうひひひ。
(久しぶりにゆっくり本屋にでもいくか。ひとりでゆ~~~~~っくり温泉に浸かろうか・・・)
ふだんも十分ゆっくりしているはずだったのにまだゆっくりしたがっている自分に気付き
慣れた存在とは言っても無意識に相手を意識し常に相手の波をぴぴぴと受信し(むっ)としても
何とはなしに、愛と調和の波に自動調整しながら暮らしていたのだ、と日常の深奥を垣間見る。
家を離れあちこちふら付いていたら腹が減り、昼にスーパーでおにぎりを2個買って食べる。
夜も外食した。結局丸二日ご飯支度を放棄した結果、体が悲鳴を上げ台所で立ったまま、なぜかトマトと
甘夏をがぶがぶ食べた。食は家にあり。ぷんぷん波はそれを確認するためだったのか~~

宮沢賢治の世界

2009-06-01 | 日記
《わたくしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが
いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、
かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、
虹や月あかりからもらってきたのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なんのことだかわけのわからないところもあるでしょうが、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、
おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
  大正十二年十二月二十日        宮沢賢治       注文の多い料理店 序文より 》

わかいころには、ほんとうにわけがわからなかった宮沢賢治の世界が、いま、じぶんの日常とかさなり
実感を伴ってこの序文がこころにしみてくるのです・・・・・・・