スイス⑥
いよいよ明日帰るという日の昼過ぎ、ヤマギシの移動販売車が毎週来るという場所に行く。
家の前の坂を、3、4分下った通りに、来た来た!やまぎしの移動販売車!ほんとにほんとだ。
若草色の車体に、見覚えのあるおひさまの絵、子どもたちの絵。日本のよりおしゃれ!
「こんにちはー」と声をかけると「こんにちは!」と年配の男の人が流暢な日本語で返してくれた。
車には、パン、小麦粉、野菜、卵、牛乳、ヨーグルト、肉、ベーコン、たくさんの食品が並ぶ。
昔、子どもたちが通っていた保育園で、チョンスの母クジャさんに勧められて食べはじめたヤマギシの生産物。
はじめてみかんを食べた時、そのあまりの美味しさにびっくり仰天、それが運命の分かれ道。
作っている人に会ってみたい!!と三重県の村に参観に行き、、ふと気づいたら10年暮らしてた。
参画した頃ちょうどスイスにヤマギシの村をつくるため、日本から精乳部の梶山修さんが技術指導に飛んだっけ、
「そう、オサムがスイスでプリン作りました。このプリン日本のと同じくらい美味しいよ」
彼の名前はアンドレさん。28歳で来日し、2年間三重で研修していたというから、もしかしたら同じ時期に同じ場所で暮らした?
家は、何処だった?鶏舎の横?牛舎の向? ああ、もう27年も前のことだ、思い出せない。
村人は当時600人いたから、よほど職場や家が一緒じゃなければ話す機会はない。
年を聞いたら一つ違い。30歳で参画した私と29歳で研修を終えてスイスに帰るアンドレさんが遭遇している可能性は大きい。
共通の話題が尽きず、アンドレさんはお客さんの相手もし、日本語ドイツ語ぐちゃぐちゃで娘が大笑い。
「たのしーい!うれしーい!しんじられなーい!!」とお互い連発し、握手してハグして肩たたきあい、再会祈って別れる。
娘の家に戻って昔の記憶をたどっていたら、思い出した。若き日の赤いラガーシャツ着たアンドレさんを。
奥さんと小さな男の子を連れて歩いているアンドレさんを何度も見かけた。ちょっと不安そうな固い感じで声掛けそびれてた。
ああ、あの家族はスイスから来ていたのか! なんだか胸がいっぱいになる。
みんなが仲良く楽しく暮らせる村つくりを、遠い国の日本に来て学び、自分の国で確実に実践・顕現しているアンドレさん。
今、目の前の彼は充実した表情で、やわらかくて軽くて明るい光を放っている。それが自分のことのように嬉しい。
日本に戻り、夫にその時の一部始終を撮ったスマホビデオを見せたら「あ、俺アンドレと同じ家だった」と言った。
※補足 ちなみにこの時夫と私は赤の他人で、その3年後、どうしてもと泣いて頼まれ(妻のまだら記憶)うっかり結婚し現在に至る。。。
いよいよ明日帰るという日の昼過ぎ、ヤマギシの移動販売車が毎週来るという場所に行く。
家の前の坂を、3、4分下った通りに、来た来た!やまぎしの移動販売車!ほんとにほんとだ。
若草色の車体に、見覚えのあるおひさまの絵、子どもたちの絵。日本のよりおしゃれ!
「こんにちはー」と声をかけると「こんにちは!」と年配の男の人が流暢な日本語で返してくれた。
車には、パン、小麦粉、野菜、卵、牛乳、ヨーグルト、肉、ベーコン、たくさんの食品が並ぶ。
昔、子どもたちが通っていた保育園で、チョンスの母クジャさんに勧められて食べはじめたヤマギシの生産物。
はじめてみかんを食べた時、そのあまりの美味しさにびっくり仰天、それが運命の分かれ道。
作っている人に会ってみたい!!と三重県の村に参観に行き、、ふと気づいたら10年暮らしてた。
参画した頃ちょうどスイスにヤマギシの村をつくるため、日本から精乳部の梶山修さんが技術指導に飛んだっけ、
「そう、オサムがスイスでプリン作りました。このプリン日本のと同じくらい美味しいよ」
彼の名前はアンドレさん。28歳で来日し、2年間三重で研修していたというから、もしかしたら同じ時期に同じ場所で暮らした?
家は、何処だった?鶏舎の横?牛舎の向? ああ、もう27年も前のことだ、思い出せない。
村人は当時600人いたから、よほど職場や家が一緒じゃなければ話す機会はない。
年を聞いたら一つ違い。30歳で参画した私と29歳で研修を終えてスイスに帰るアンドレさんが遭遇している可能性は大きい。
共通の話題が尽きず、アンドレさんはお客さんの相手もし、日本語ドイツ語ぐちゃぐちゃで娘が大笑い。
「たのしーい!うれしーい!しんじられなーい!!」とお互い連発し、握手してハグして肩たたきあい、再会祈って別れる。
娘の家に戻って昔の記憶をたどっていたら、思い出した。若き日の赤いラガーシャツ着たアンドレさんを。
奥さんと小さな男の子を連れて歩いているアンドレさんを何度も見かけた。ちょっと不安そうな固い感じで声掛けそびれてた。
ああ、あの家族はスイスから来ていたのか! なんだか胸がいっぱいになる。
みんなが仲良く楽しく暮らせる村つくりを、遠い国の日本に来て学び、自分の国で確実に実践・顕現しているアンドレさん。
今、目の前の彼は充実した表情で、やわらかくて軽くて明るい光を放っている。それが自分のことのように嬉しい。
日本に戻り、夫にその時の一部始終を撮ったスマホビデオを見せたら「あ、俺アンドレと同じ家だった」と言った。
※補足 ちなみにこの時夫と私は赤の他人で、その3年後、どうしてもと泣いて頼まれ(妻のまだら記憶)うっかり結婚し現在に至る。。。