大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

スイス旅行顛末記 その6

2014-04-21 | 日記
スイス⑥
いよいよ明日帰るという日の昼過ぎ、ヤマギシの移動販売車が毎週来るという場所に行く。
家の前の坂を、3、4分下った通りに、来た来た!やまぎしの移動販売車!ほんとにほんとだ。
若草色の車体に、見覚えのあるおひさまの絵、子どもたちの絵。日本のよりおしゃれ!
「こんにちはー」と声をかけると「こんにちは!」と年配の男の人が流暢な日本語で返してくれた。
車には、パン、小麦粉、野菜、卵、牛乳、ヨーグルト、肉、ベーコン、たくさんの食品が並ぶ。
昔、子どもたちが通っていた保育園で、チョンスの母クジャさんに勧められて食べはじめたヤマギシの生産物。
はじめてみかんを食べた時、そのあまりの美味しさにびっくり仰天、それが運命の分かれ道。
作っている人に会ってみたい!!と三重県の村に参観に行き、、ふと気づいたら10年暮らしてた。
参画した頃ちょうどスイスにヤマギシの村をつくるため、日本から精乳部の梶山修さんが技術指導に飛んだっけ、
「そう、オサムがスイスでプリン作りました。このプリン日本のと同じくらい美味しいよ」
彼の名前はアンドレさん。28歳で来日し、2年間三重で研修していたというから、もしかしたら同じ時期に同じ場所で暮らした?
家は、何処だった?鶏舎の横?牛舎の向? ああ、もう27年も前のことだ、思い出せない。
村人は当時600人いたから、よほど職場や家が一緒じゃなければ話す機会はない。
年を聞いたら一つ違い。30歳で参画した私と29歳で研修を終えてスイスに帰るアンドレさんが遭遇している可能性は大きい。
共通の話題が尽きず、アンドレさんはお客さんの相手もし、日本語ドイツ語ぐちゃぐちゃで娘が大笑い。
「たのしーい!うれしーい!しんじられなーい!!」とお互い連発し、握手してハグして肩たたきあい、再会祈って別れる。
娘の家に戻って昔の記憶をたどっていたら、思い出した。若き日の赤いラガーシャツ着たアンドレさんを。
奥さんと小さな男の子を連れて歩いているアンドレさんを何度も見かけた。ちょっと不安そうな固い感じで声掛けそびれてた。
ああ、あの家族はスイスから来ていたのか! なんだか胸がいっぱいになる。
みんなが仲良く楽しく暮らせる村つくりを、遠い国の日本に来て学び、自分の国で確実に実践・顕現しているアンドレさん。
今、目の前の彼は充実した表情で、やわらかくて軽くて明るい光を放っている。それが自分のことのように嬉しい。
  日本に戻り、夫にその時の一部始終を撮ったスマホビデオを見せたら「あ、俺アンドレと同じ家だった」と言った。
※補足  ちなみにこの時夫と私は赤の他人で、その3年後、どうしてもと泣いて頼まれ(妻のまだら記憶)うっかり結婚し現在に至る。。。

スイス旅行顛末記 その5

2014-04-12 | 旅行
スイス⑤
「母さん、週末2泊でサンモリッツの雪上競馬見に行かない?」日常の暮らしをひとまず満喫した頃誘いを受けた。
スイスの地図を時計にたとえて4時の辺りにあるサンモリッツ。高速道路を使って車で3、4時間というから、
長沼からだと釧路まで行くか行かないか、、ってかんじなのかな。。。。地図のすぐ下はイタリアだ。
凍った湖にコースをつくって競馬をするという、年に一度のお祭り。標高が1856Mとあるから寒そうだ。
せっかく寒い北海道を逃れてきたから雪も見たくないし、競馬には興味ない。車で4時間も疲れそう。。。。。
が、「母ちゃん留守番してる」と言ったときの娘のがっがりした顔を見たら、「イクイク!」と気持ちがひっくり返る。
この祭りはスイス中の大金持ちが毛皮を着て観戦にくるのだとガイドブックにあり、ではそれを拝見と一応目的を持つ。
サンモリッツから10分ほど離れた小さな町の石造りのホテルは1914年生まれの100歳。なのに、まだまだお嬢さんって感じ。
娘たちとは別の一人の部屋で、朝5時ごろ目が覚めテレビをつけたらドイツ語で日本のハイジを放送していた。
オリンピック中なのに、スイスのテレビ局は国民をオリンピックに釘付けないような素っ気なさで、自分のオリンピック熱も上がらず。
小さな教会の屋根に大きな鐘がぶらさがっていてそれが朝グァラ~ングァラ~ンといつまでも鳴り響く。日本なら騒音扱いレベル。
町の周りは3000M級の山々が青い空に向かって真っ白にそびえて連なり、石造りの町がその山裾を飾り支えて調和している。
直ぐ近くの2456Mの山へ行く登山電車に乗り込むと、老若男女小さな子供も皆、そりを持っている。スキーじゃなくてソリなのか。。
10分ほどかかって到着した山頂に太陽光発電装置を備えた立派なホテルがあり、そのテラスで皆ビールを飲んでいる。
2456Mで冷たいビールなんかとんでもない、と思ったら日差しが強くてだんだん暑くなり、冷たい物が飲みたくなってきて、なるほど。。。
ふもとまでそりのコースが整備され、みなキャーキャー叫びながら滑り降りるのを、おしっこちびる位ゲラゲラ笑いながら観る。
結構急なコースを小さな子どもまで、ひっくりかえりながら下りていくのを見ていたらやってみたくなる。が、止める。
夜、食事するために外に出たらさすがに寒く、正月明けに行った帯広の凍りつくような寒さを思い出した。
翌日は正午開会の競馬場にバスで行く。ホテルにもバス停にもいたいた!毛皮の人!さすがに着こなしが決まっていて、みとれる。
会場には、もっといるいる!毛皮の人、人。 ウサギなのかキツネなのか熊なのか、ミンクなら何匹使ってるのか$$という目で見る。
ロングコートに身を包んだ人たちの手には必ず愛犬のリードが握られ、様々な種類の犬たちと毛皮の人々はセットのようだ。
そして、それに報道カメラマンが集中し、人々の視線が集中しているのを毛皮の人々はきちんと受け止めて応えているのだった。
これが、サンモリッツ雪上競馬の見所だとしたら、市長から国中のお金持ちに、毛皮着用参加依頼状が届けられるのかどうなのか。。。
毛皮の彼らは競馬にはさほど関心ない人も多く、皆広場のパラソルの下でワインやビールを飲みながら談笑していた。
娘と婿さんは、前日から本気で競馬新聞みて的を絞り込み、馬券売り場の英語が分からないドイツ語のおじさんと四苦八苦しながら
手堅く本命買いで大枚一万円相当をつぎこんだ結果、娘は600円戻り。婿さんは一万円戻り、結局チャラだが二人はルンルンだった。
サンモリッツから戻る道路は渋滞で裏道を探していると女性の声のナビがUターンUターンと本来の渋滞道に誘導する。
それを無視して進んでいたら、突然ナビが新しい道に案内してきた。「おお!!その手があったか!」とそれに従う。
要するに、ちょうど釧路から長沼に帰る38、274が渋滞だから、網走経由で旭川方面からのルートに変更したのだ。
そのルートはカートレインがあり、峠越えを鉄道でする。車に乗ったまま順番に前から詰めて乗り、いっぱいになったら出発。
係員がいるが、注意事項とか何も言わない。アナウンスもない。これで落ちないのか、チェックしてくれてるのか?などと思う。
日本にいたら至れり尽くせりにどっぷりつかって、さらに何かあれば相手が言ってくれないから、、なんて思ってるな。。。。
高い山のお腹をくぐって、3人とも大満足。 いや~~~楽しかったな。 カートレイン、目からうろこの発想だった。
夜9時過ぎに家に着き、娘がキッチンの白い大きな扉を開けてインスタントラーメンを出し、3人でハフハフ食べて寝た。
     楽しいと、なんでも楽しいんだな、、、

スイス旅行顛末記 その4

2014-04-01 | 旅行
スイス④
今年のチューリヒは暖冬で雪が無いのだという。2月の気温もプラスで、上着を着て歩けば日中は快適。
街中を縦横無尽に走る電気バスに乗ってお使いに行く。ちょうど宮の森から札幌大通りに行く感じだ。 
様々なルートがあるので今日は何番で街に出ようか。。と娘が気を回してくれる。
日本の友達に手紙を出すために出向いた中央郵便局は石作りの大きな立派な建物だった。
市役所は中央から離れた場所にさりげなく建ち、郵便局よりも長沼町役場よりこじんまりとしていて驚く。
その町の中心にドンと派手に存在すること多い日本のその考え方とは、どこがどう違うのかな。。。
郵便局で手紙を出し、そのすぐ近くにあるシャガールのステンドグラスで有名な教会にふらりと立ち寄る。
平日のせいか観光客は少なく、20人くらいの小中学生が床にペタンと座ってステンドグラスの写生をしていた。
ぺちゃくちゃとやかましい子ども達を、引率の先生らしい髭の立派な男の人が、私たちを気付かってたしなめている。
「だいじょうぶですよ」という気持ちで彼の眼を見て微笑むと、「ありがとう」という表情で微笑み返してくれた。
日本で同じ場面に遭遇したら、「やかましーい!」と子供の首根っこ掴んでるかも。。と思ったら可笑しくなる。
お使いに出たら必ず本屋で一休み。編み物の本・料理の本・絵本、と、文字が読めなくても楽しめる本を探して、
店のあちこちに設置してあるソファーに座り、ゆっくりページをめくる。どの書店も図書館にいるみたいに自由だ。
小腹がすいて、チューリッヒ湖畔の屋台でフランクフルトとパンを一人前(700円)買い、二人でベンチっで食べた。
ちょっと高い?と思うがパンが美味くて「まあいいや、、」 喉乾いたらカフェでコーヒーを飲む。これもまずまず。
スターバックスやマクドナルドはたまに見かけたが、ユニクロは無かった。ダイソーも無い。
「SPAR」があちこちにあって驚いたが、ヨーッロパが本拠地だと知ったら、北広島に一件あることにびっくりした。
「kiosk」がバスターミナルにも鉄道の駅の中にも必ずあって、にっぽん国JRの専売特許だと思ったら、
これも中東や地中海沿岸で発達した庭園の簡易建造物のことだと、全部グーグルが教えてくれた。 
知らなくても少しも困らないが、知ったらなるほど~~~と愉快になる。
  週末、婿殿が会社の同僚2名とチーズフォンデユの店で会食するという席に呼んでもらった。
娘が日本で会社にいた時の顔なじみということもあり、娘の数々の失敗談に花が咲き、親の立場を忘れて爆笑。
仕事に行き詰まって、夜になると毎日死にそうな声で泣きながら電話をかけてきたのがなつかしい。
「それ、母さんに言っても解決しないから、会社の人に相談しなさい」と心を鬼にして突き放したら
その役割を上司だった婿さんが引き受けて、そしてその結果、こうなった。
人事部の婿さんが「あの子秘書課にどうかな?」と相談したSさんの「いいね」の一言で地獄に落ち、仏に会う。
そのSさんもスイスに赴任して目の前でフォンデユの鍋をつついているこの不思議。 
「自分が自分でいられない会社ならすぐに辞めなさい」と本気で言ったのに、、、親の言うこと聞かないから、、、、、
そのおかげで、今自分はスイスにいる。。。つくづく何がどうなるかなどわからないものだと思う。