受信完了
2020-10-05 | 日記
金曜日、ふと思い立って富良野の美術館を目指す。
8月に十勝岳温泉に行ったとき立ち寄ろうとして美術館の名前が思い出せず、グーグルに聞いても分らず、
昔その美術館の存在を教えてくれた友人にも電話したが覚えていないといわれ、、、もうやっていないのかも知れない 、、
以前、女友達とふたりで十勝岳温泉の帰りに立ち寄った畑の中の美術館。
廃校になった小学校が個人美術館として蘇り、多くの観光客で賑わっていた。
絵は、十勝の山々や畑や木々がモチーフになっていた。最初の部屋の大きな2枚の絵に釘付けになった。
懐かしいような、包まれるような、寂しいような、ずっと見ていたい絵だった。
あの絵にはもう会うことが出来ないのか、、一瞬心の中にぽかりと穴が開いたような気持ちになって家に戻った。
その後もう一度落ち着いて検索したらあった!
奥田修一 北海道風景画館。 よかった。今度こそいつか再び訪ねてみよう。
と思っていたら金曜日昼過ぎに突然衝動が来た。3時までに入館と書いてある。夫の運転ならギリギリ間に合うか。。。
駐車場にちょうど3時に着いた。まだOPENの札が掛かっている。「先に早く行け」と夫が言う。
助手席から急いで降りて建物の玄関に向かって走った。正面から男の人が歩いてきた。(奥田さんだ!)
歩き方、服装、纏っている空気から直感的に奥田修一さん本人だと感じたが、ドキドキして尋ねられなかった。
奥田さんはにこにことまた引き返してカギを開け、たった今照明を消して帰り支度をして出て来たばかりの
館内に灯りを付けてくれた。入館料400円を二人分払い、心を掴まれたあの絵の場所に向かった、が、無かった。
「ここにあった、あの、大きな、木の、夜の、、、宮沢賢治の世界のような、、あの絵はどこですか?」と尋ねたら
「・・・・・・ああ、、どれかなあ、、、、毎年新しいのに入れ替えているから。。。」と言われてよくよく考えたら
ここでその絵と出会ったのはもう15年も昔だった。ついこの間のことのような気がしていたが。。。。
15年前はスタッフの若い女性達が数人居て、中にある喫茶室でコーヒーを飲んだ記憶があるが、
喫茶室は今は使われていないようだった。自粛モードがこんな田舎にも浸透しているのを感じた。
スタッフの若い女性達がいる風景も華やいでいて悪くなかったが、今回はそれとは比べものにならないほどの贅沢な時間だ。
私たちふたりが一枚一枚の絵と出会っている時間を、奥田さんは受付にちょこんと座りずっと待っていてくれた。
もっともっと、今度こそ奥田修一という人を本気で知りたくなって、画集や書籍を買い込んだ。特典満載の会員登録もした。
帰り際、握手して下さいと頼むと、私の右手を両手で包んでくれた。涙がダラダラと流れた。
ここ数日、突然父を思い出し、もうこの世に居ない父に会いたいという気持ちがこみ上げてきた。
小さいときに別れて顔も声も覚えていない父。
3才くらいの自分が父に肩車をされ、たわわに実った柿の木の横で夕日を見ている一枚の絵のような記憶だけ。
が、特別に寂しいと思ったことはなかった。子供心に母の心中を想像し父を否定さえしてきた。
なのにこんなに年をとって突然無性に父が恋しくなった。
父は日々何を思い、考え、どんなことを美しいと感じる人だったのだろうか、娘を思い出すことがあったのだろうか。。。
会いたい。会えるはず。。。。量子レベルで会えるはず。。。。もうすぐさまざまなエネルギー情報も開示される。
そんなことを急に思い始めた時に長沼から100k離れた小さな美術館に引き寄せられた。
奥田さんに会って(ああ。。父だ。。)と感じた。自分より肉体年齢4っつも若い奥田さんの中に父が居た。
父は奥田さんの手のひらを借りて、明日を生きる愛と勇気と希望を娘に伝えようとしたのだな。。。。受信完了。
8月に十勝岳温泉に行ったとき立ち寄ろうとして美術館の名前が思い出せず、グーグルに聞いても分らず、
昔その美術館の存在を教えてくれた友人にも電話したが覚えていないといわれ、、、もうやっていないのかも知れない 、、
以前、女友達とふたりで十勝岳温泉の帰りに立ち寄った畑の中の美術館。
廃校になった小学校が個人美術館として蘇り、多くの観光客で賑わっていた。
絵は、十勝の山々や畑や木々がモチーフになっていた。最初の部屋の大きな2枚の絵に釘付けになった。
懐かしいような、包まれるような、寂しいような、ずっと見ていたい絵だった。
あの絵にはもう会うことが出来ないのか、、一瞬心の中にぽかりと穴が開いたような気持ちになって家に戻った。
その後もう一度落ち着いて検索したらあった!
奥田修一 北海道風景画館。 よかった。今度こそいつか再び訪ねてみよう。
と思っていたら金曜日昼過ぎに突然衝動が来た。3時までに入館と書いてある。夫の運転ならギリギリ間に合うか。。。
駐車場にちょうど3時に着いた。まだOPENの札が掛かっている。「先に早く行け」と夫が言う。
助手席から急いで降りて建物の玄関に向かって走った。正面から男の人が歩いてきた。(奥田さんだ!)
歩き方、服装、纏っている空気から直感的に奥田修一さん本人だと感じたが、ドキドキして尋ねられなかった。
奥田さんはにこにことまた引き返してカギを開け、たった今照明を消して帰り支度をして出て来たばかりの
館内に灯りを付けてくれた。入館料400円を二人分払い、心を掴まれたあの絵の場所に向かった、が、無かった。
「ここにあった、あの、大きな、木の、夜の、、、宮沢賢治の世界のような、、あの絵はどこですか?」と尋ねたら
「・・・・・・ああ、、どれかなあ、、、、毎年新しいのに入れ替えているから。。。」と言われてよくよく考えたら
ここでその絵と出会ったのはもう15年も昔だった。ついこの間のことのような気がしていたが。。。。
15年前はスタッフの若い女性達が数人居て、中にある喫茶室でコーヒーを飲んだ記憶があるが、
喫茶室は今は使われていないようだった。自粛モードがこんな田舎にも浸透しているのを感じた。
スタッフの若い女性達がいる風景も華やいでいて悪くなかったが、今回はそれとは比べものにならないほどの贅沢な時間だ。
私たちふたりが一枚一枚の絵と出会っている時間を、奥田さんは受付にちょこんと座りずっと待っていてくれた。
もっともっと、今度こそ奥田修一という人を本気で知りたくなって、画集や書籍を買い込んだ。特典満載の会員登録もした。
帰り際、握手して下さいと頼むと、私の右手を両手で包んでくれた。涙がダラダラと流れた。
ここ数日、突然父を思い出し、もうこの世に居ない父に会いたいという気持ちがこみ上げてきた。
小さいときに別れて顔も声も覚えていない父。
3才くらいの自分が父に肩車をされ、たわわに実った柿の木の横で夕日を見ている一枚の絵のような記憶だけ。
が、特別に寂しいと思ったことはなかった。子供心に母の心中を想像し父を否定さえしてきた。
なのにこんなに年をとって突然無性に父が恋しくなった。
父は日々何を思い、考え、どんなことを美しいと感じる人だったのだろうか、娘を思い出すことがあったのだろうか。。。
会いたい。会えるはず。。。。量子レベルで会えるはず。。。。もうすぐさまざまなエネルギー情報も開示される。
そんなことを急に思い始めた時に長沼から100k離れた小さな美術館に引き寄せられた。
奥田さんに会って(ああ。。父だ。。)と感じた。自分より肉体年齢4っつも若い奥田さんの中に父が居た。
父は奥田さんの手のひらを借りて、明日を生きる愛と勇気と希望を娘に伝えようとしたのだな。。。。受信完了。
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