大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

夏野菜 最盛期

2015-08-30 | 食生活
長かった昼の時間が じりじりと変化して、七時になったらもう暗い。
明るいうちは外で動いていた躍動の夏時間が、ゆっくりと体をいたわるように変化する。
葡萄の葉もイタドリも笹の葉も、紫蘇やエゴマも穴だらけ。たくさんの生き物の命をつないだ痕跡だ。
そういう自分も毎日毎日キュウリを食べている。千切りにしてそのまま食べたり、もずくと合わせたり
冷し汁にしたり、餃子にしたり、炒めたり、いくら食べても飽きない。
トマトも生でも煮ても旨いが、冷凍保存してあった去年のトマトをそうめんやうどんのつけ汁として
ザクザク刻んで生醤油をかけただけの汁で食べると 暑い日にはばか旨くてヤミツキ。
煮詰めてソースにすることばかり考えていたが、その手間が省けてウレシヤウレシ超ウレシ。
残り野菜はとにかく圧力なべで5分煮てペーストとして主にカレーのベースにする。
ブロッコリー、なす、人参、レタス、、etc 山の様な野菜をカップ1杯の水で煮るだけ。
お玉でちょっと潰しただけでとろとろのペーストになる。
うちのカレーはこれに塩とカレースパイスを入れるだけ。食べるとき玉ねぎ、ジャガイモ人参などのある野菜を油で焼いて合わせる。
あれば大根、豆腐も同様に、仕上げに味噌を好みの量入れるとまろやかになる。 カレー好きの自分は毎日でも食べれる。
一日一食は麺類だ。暑い日はそうめん、冷麦、うどんに、ラーメン。麺を茹でたなべで 小松菜法連草にらオカワカメおかのりなどなど
ザクザク切ったそれをさっと茹でて冷水にとりギュッと絞って麺にまぜまぜする。 生醤油だけで充分旨い。らーめんには+酢とごま油。
そういえば味噌汁さえだしはとったことが無い。野菜のうまみと味噌・醤油・塩、マオイ山の水そのままの味で身体がよろこぶ。
この夏自分の命もまた 虫たちの様に植物によってながらえた。



 
               

                                     

                                                          

慣行栽培と有機栽培、自然栽培とは?(夫の角度)  というより還暦男子とは?でしょう(妻の角度)

2015-08-16 | 
気づけば 鳥たちの大合唱に、じーじー、ぎーぎーetc。。。蝉と虫が加わった。 秋だ。
田んぼもどんどん変化し、穂が出て力強い様となる。
稲と稲の間に 花畑か?と思うほどコナギが紫色に群生し、(きれいー!)と思うが
国道を走る近所の農家の人に見られたら、隠れたいほど恥ずかしいことかもしれず、、、
しかし、(草取らないとこうなるのか・・)と思う自分で救われる。
半月前 南幌で自然栽培の米を作り続けているコウイチさんに偶然会った。
「草取りが全然やれてなくて・・」とぼやいたら 「俺なんか草取るって気もないさ、はは!!」
(えーーーー!そうなんだ。。)とその一言で何だか気苦労の90%が消滅した。
コウイチさんが親の代からの慣行栽培の米つくりを自然栽培に切り替えた30年前なら
農協に資材を買いに行っても売ってもらえないという経験をしている。
農薬や化学肥料を使わずにいいものができるはずがない、と思われていた時代。(今もあまり変わってはいないが)
虫食いや規定外の大きさの野菜なら出荷も出来ず、収益を上げられない農家は農協にとってはお荷物となる。
周りの農家の理解はもっと厳しいものだったに違いない。(今もあまり変わってはいないが)
そんな孤立状態の中で 自分の百姓魂に支えられて 道を切り開いてきたコウイチサン。 60歳。
自分の子供はいないが、去年横浜から来たやる気のある若い夫婦を後継者として受け入れた。
彼らのまだ小さな娘がコウイチさんになついていて、その子を連れて用事や買い物に行くのが至上の喜びだと言った。 
(そうなのか、、、おんなじだな)
66の夫、小さな女の子を見かけると もう目尻を下げるだけ下げて「おい、見てみろ!可愛いなー」などと手放しで言う。
だから、野菜を配達するお宅に小さな女の子がいたなら、すぐ仲良しになる。
そのお宅が本州に引っ越しても 毎年『だいすきなながのさんへ』と年賀状やはがきをもらう。
男子還暦過ぎたれば0年と化し 同じ一桁女子の為にならいのちがけの大仕事もやってのけそうな気になるのだ。。。
錯覚だとしても、幸せな生き物だ。。




     昨年の田圃

                     

マオイ山の石

2015-08-12 | 日記
暑かったーーーーー!
注意報まで発令された5日水曜日、5人の乙女が、畑の石拾いに来てくれた!
朝のテレビが気温上昇をこれでもかと言うほど繰り返すので「今日は、止めときましょう」と
連絡する間も無く、皆さん勢ぞろい。 恵庭から札幌から苫小牧から・・・
わざわざこんな日に、パンパンの笑顔で、やる気満々で、手弁当で来てくれた。
「石が多くてサ」とぼやいた夫に 乙女の一人トモちゃんが反応し皆に声掛けしてくれたのだ。
マオイ山の裾を切り崩して畑にしたこの場所は、15年前一目で気に入って借りたものの、
石だらけで表土も削り取られて、野菜の栽培にはかなりの土壌改良が必要な状態だった。
初めて借りた農地で、うれしくて、ハウスを建て、川から水を引き色々試したが力尽きた。
土壌改良するためのまとまった資金が有るわけでもなし、結局山羊と羊を放しておくことにした。
毎年年末に地代の10万円が農協の口座から引き落とされるその日が近づくと、どうやって工面しようか、、、
と、夫は宙を仰いで腕組みし、妻は(何も作らないんだから返せばいいのに・・)とひそかに念じる。
しかし、不思議なことにその日になるとどこからか10万円が集まって引き落とされ、それが15回続いた。
だから、なんとなく、自然に、『この土地は私たちと共に在りたがっている。。。』と思うようになった。
そして、全く経済効果は無いけれど、そこで山羊と羊が草を食む風景があるだけで自分たちがどれだけ癒されているか。
何も育たない、と思っていたが 見ればヨモギやセイタカアワダチソウが群生する薬草園だった。
ここに栗や葡萄や林檎や梨の木を植えて、来た人がその木陰で果実をほおばり談笑し、瞑想・迷想好き放題、、、
色々メンドな事有っても、その実を一口食べれば元気万倍、泉のように知恵が湧き、がははと笑って生きていく。
っと・・そんな仕掛け創りの夢を見る。想像しただけで笑える。にやにや、むふふふ、けけけけ、くっくっくっ、、、、
  ふと、長沼17区120周年区史の中に登場する功労者アイヌの酋長 鳥井シュウシロウ(志有四朗)を思う。
その頃、この辺りを「配田内」と呼び ハイタとはアイヌ語でイラ草。 ウシュ(取る)ナイ(沢) の意味だという。
我家の周りに群生するイラ草を見るたび 酋長が大事にしていたこの草を まだ生かし切れてはいないが
ここで生きる人々の健康と幸福を願う気持ちは酋長から細く長く、途切れずに自分たちにつながっているのだろう。
 突然現れた 5人の石拾いの乙女たちは、酋長からの暑中見舞か、、、。。。
  はたまた、想像して笑ってばかりいるんじゃない!ハヨ動け!との激とばしか・・・・どちらにしてもああ可笑しい!!




マオイ山から 恵庭岳を観る
                                  

  



     国有林内の桂の祠   

              

他が為に生きる

2015-08-02 | 日記
どくだみが白い花を咲かせた。ウツボグサも穂先に小さな紫色の花を広げている。
ヒメジョオンの白、露草の青。あちこちに草たちがいのちを燃やす。
春先 珍しく花の苗でも買ってきて植えようか、と思った場所に、草が競い合うように芽吹いた。
人の家らしい花壇をつくるために、草を一網打尽に抜き取ろうと思いながらうっかり時間が経つ。
その草たちが可憐な花を咲かせて、結局わが家は野草が似合いの場所なのだ。
本をめくれば、各々の草は ガンに卓効のあるスギナや、藤の蔓のこぶ、呼吸器系には
オオバコ、しそ、 消化器系にはゲンノショウコ、循環器系のアカザ、なずな、みつば、よもぎ、
皮膚科にはセリ、どくだみ、婦人科にタンポポ、、、、、その他泌尿器系、歯科、眼、耳、喉、、、、、
ありとあらゆる、人の体に対応する草が庭で生きていた。
植物は酸素を放ちながら 尚自分のすべてを動物に食させて動物を生かす。
牧草は牧草だけで 牛や馬や羊や山羊の血となり骨にまでなる。
米や野菜は人の精神と肉体を正常に育む。
他の存在を健康に生かし切るために自分の一生を生きる。 
当たり前で最も幸福な生き方を易々とやってのける。 
悔しいくらい素敵だな。 自分にもそんな生き方の記憶がどこかに眠っているのだろうか?



  自然栽培(無肥料・農薬、化学肥料不使用)の野菜たち