大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

病気の根本的治療と予防は ”食”と”手当て” 

2010-12-27 | 日記
 「手当」という言葉は、古い時代から使用されてきた日本語です。
古来、人々は病患部に手を当てて、病気を治してきました。
 現代には、手の平療法を採用した宗教教団がありますが、キールリアンのオーラ写真
で見ると、確かに右手の手の平から、明るい光が放出しているのが映されています。
手の平からは、弱い自然な電磁波が出ているのです。
 手当をするということは、病気による異常症状に対し、これを正常の状態にする
療法といえましょう。
 西洋医学では、インフルエンザで高熱を出している人には、解熱剤を与えます。
しかし この方法では、薬毒による副作用が起きるのです。抗生物質で解熱されるのは、細菌性の場合ですが、
その際腸内の悪玉菌だけでなく、善玉菌まで殺してしまうので、病人の体力を低下、ひいては生命力をも低下
させます。
 また、化学薬品でバイ菌を殺そうとしていますが、バイ菌が薬に対して免疫力を高めて、耐性菌が暴れ出します。
その結果、院内感染で医師、看護婦が結核菌に感染したり、軽度の病人が耐性ブドウ黄色球菌に感染して死亡
している、というのが現状です。
 食養手当て法では、日常、食用としている野菜や調味料を用いて、異常症状に対応するので、副作用や肝障害
はありません。外用と内用の二種類があり、一つの症状に、いくつか併用して行うこともあり、その方法は多岐に
渡ります。
 例えば、O-157による急性大腸炎で、血便や下痢症状の場合、手当て法では梅生番茶、梅干しの黒焼きを
与え、腹部は生姜シップをしてから、里芋パスターを施し、上を焼塩で温める、といった具合です。
 さらに食箋料理が対症療法である手当てをフォローして、身体全体を健康に導きます。
 玄米菜食行五十年。その間正食療法による食箋指導をした病人は、約一万人。手当て法についても、目の前で
展開される奇跡的快癒を見て、当然とはいえ、驚嘆してしまいます。
”大森英櫻 メッセイジ”  大森一慧著「一慧の穀菜食BOOK ・手当て法」より

兄弟とアニヨメ!

2010-12-23 | 日記
東京行きの目的はもう一つあった。
諭が生まれて 間も無く別れ別れとなっていた東京の父が春に逝き、そのことで
諭の異母兄弟(妹と二人の弟)との縁が繋がり この夏は甥のアキラとの交流が実現した。
そして、父のつれあいの順子さんが11月に旅立たれ、そのお参りをさせてもらうためだ。

一度は父に引き取られ、順子さんにオムツを取り替えてもらってもいる諭だ。
その後 静さんが「諭が成人するまで結婚いたしません」と約束をして自分が育てることを
認めてもらったという。60年前、女手一つで子どもを育てることは大変なことだった。
諸々を承知で夫の前の奥さんの子を引き取って育てようとしてくれた順子さん。
そんな順子さんに 私もお礼が言いたくなったのだ。
真新しい祭壇に飾られた順子さんの遺影は頬杖をついてこちらを見ていた。
おちゃめで、快活で、しっかりと自分の意思を持っている女性、、そんな順子さんを感じた。
「どうしてこの写真を選んだのですか?」おもわず弟の郁夫さんにたずねた。
「いちばん母らしい写真です」 ああそうなのか・・・一枚の写真の中にも、そのひとらしさが溢れ出る。
郁夫さんは単身赴任先の名古屋から急遽私たちの上京に合わせて帰ってきてくれたのだった。
いつもはハワイか沖縄にいるはずの下の弟マサオさんが「ちょうど新宿にいたんだ」と合流。びっくり。
アキラの妹ミカコちゃん弟ススムくん、ほっかいどーの風変わりなおじさんおばさんをなんなく受け入れてくれた。
夜はアキラのお母さん万衣さんの手料理で一家団欒の仲間入り。初めて会った人達なのに昔からこうしていたみたい。
気の会う友達がひとり増えただけでも周りの景色が輝いて見えたりするが、突然兄弟とその家族が増えたのだから、
なんだかシャキッとウキッっとニヤニヤしてしまう。 世間的にいう「アニヨメ」ってポジションは生まれて初めてだし。。。。
「アニヨメ」が何かも分からないのに「アニヨメ」として生きようとする自分がどこかに見え隠れして可笑しい。
60年間もわがままでマイペースな「一人っ子」として生きてきた諭でさえ、どこか「おにいちゃん」に変身した感有りだ。
これから先は「おにいちゃん」と「アニヨメ」の妄想を ボケボケめいっぱい楽しむことになるのかな・・・・・







大きなかぶ 北斗星にて上野の森ツアー

2010-12-16 | 日記
一生に一度のことかもしれないから・・・と息子の絵が公の美術館に展示されるのを
理由に東京行きを決める。「とーちゃん忙しい時に私だけ悪いね・・」 内心るんるん♪
夫に格安チケット探しを頼んでおいたら、「おい、北斗星でいくべ」とちゃっかり二人分の
旅行券を握り締めて配達から帰ってきた。(え、、二人で家空けるの。。。)
「山羊のことも犬の飯も、火の番も、送迎もみんなシオノさんが引き受けてくれた」
いつの間に・・こういうときだけ超段取りいいんだから・・・これだけその気になってるものを
ムゲにも出来ず・・・・。札幌17:12分発北斗星に缶ビールと駅弁買い込んで乗り込む。
駅弁、こんな機会にどんなモンだか食べてみよう。迷いに迷って3種類に選びきったが、
どれも同じような味でそれほど感動はなく。。家から炊き立ての玄米おにぎりを持って
きたが、これは明日の朝 上野で落ち合う息子と娘の朝ご飯として手をつけずに取っておくことにする。
ままごとのような個室の空間でビールと駅弁を堪能した後は食堂車に行って飲み直そう、となる。
せっかくの北斗星、こういうときはケチらない。夜の9時、有り金持っていざゆかん。
床に着きそうな長いクロスがかかったテーブルにムードスタンドが置かれ、雰囲気はまあまあ。人はまばら。
北斗星で札幌観光に来て、これで東京に帰るのだという同年代の母娘が夫のお喋りの相手をしてくれる。
私は白ワインを飲みながら三人のおしゃべりに相槌だけうつ振りして編み物をする。優雅優雅極楽至極
ほかの人たちはもう寝たのか?あの狭い個室でトランプか読書か瞑想か? 朝までここに居たい。広いんだもん。
飛行機なら1時間半で着くところへ16時間かけて行く。今時期なら出発から翌朝まで窓の外は真っ暗。
目が覚めて 朝食を夕べのダイニングでゆっくりいただきながら 明るい窓の外の本州の景色を味わう。
これでいい、これがいい、いつもいつも目の前にやることが山積みでバタバタしているが、こんな時間があっていい。
ほとんど貸し切り状態のロビーカーで吉永小百合の「おとうと」を観ていたら、9:38分あっという間に上野に到着。


北斗星の食堂車内

北斗星のロビーにて「おとうと」を

走る車窓から 福島の山を見ながら

上野の森で

ロダン”考える人”国立西洋美術館にて



上野の森で 路上ライブ 

たけさん

2010-12-09 | 日記
ビニールハウスの中で青い実をいっぱい付けて頑張っていた2本のトマトがシバレて逝った。
外では山ごぼうが千手観音のように身体中の手を広げて、近寄る存在に種を託す。
植物たちは緑色の体から栄養の全てを種に注いで、スッカラカンになって一生を終える。
草でも、野菜でも、一生の姿を見届けると、共に生きた実感がつのり感慨深い。

「おくさ~ん、壊れた農機具とか無いか~い」と回収屋のたけさんがトラックで来た。
家の中や外に放ってあった雑品など、気になっていたのが片付いて少し気が済む。
寒い日だったのでストーブを囲んでお茶のみながら、たけさんの身の上話を聞く。
『20年前、おっかあが子ども4人残して卵巣癌で逝っちまってよ。。。
別海や釧路で魚仕入れて十勝や富良野まで売りに行って子ども育てた。。逃げるわけにいかんべ、、、
孫4人さ、上は高校だ。おれ”じいちゃん”って絶対呼ばせないの。やだもん。
こういう商売してると、いろいろな家に行って、いろいろな生き方の人に会えて、、それが面白れーんだ
中古のオーデイオの店もつのが夢だな。年金もらってのんびりしてたくねえさ』
 その日は たけさんの子育てを想像するたび何をしてても体の中から涙があふれ出た。一日中泣いた。
一人で子育てしているひとは世の中にいくらでもいるだろうし、子を育てるって誰でもやっていることだが
その一場面一場面は こどもが熱出すだけでも喜びと不安と希望と絶望と いつだって背中合わせだ。
繰り返される日常の暮らしを通し 親は親に育ち、子は子の分を知り、ひとの仕合わせの原点を体得してゆく。。。
自分も二人の子どもを授かり、ほんの些細なことが「仕合わせってこれかー」 と実感することで生きて来れた。
この先も、生きてる限り 喜びと不安、希望と絶望を共有し合い 親子の縁をあじわい尽くすのだ、きっと・・・・
たけさん63歳。前歯が欠けてて、咳が出てるのにタバコ何本も吸って、毎日の仕事なのに積み方の要領悪くて、
「おれこういうの苦手なんだ」なんて言って、私に積ませて。でも許す。4人の子ども育て上げたたけさんだから全部許す。
たけさん、人生これから!お隣の平山さん63で13年下のみえさんと暮し始めたんだよ~~~とエールを送った。
翌日 赤いチェックのシャツとジーンズで決めたたけさんが野菜を買いに来た。GOGO たけさん!!

函館からは電気機関車に交代で

札幌駅に入る北斗星



列車の窓から札幌の街を

列車の中でも・・・・


釜飯ツアー

2010-12-01 | 日記
夕べは冷たい風と雨が、夜通し吹き荒れ、朝方まで激論を飛ばし合っていた。
ぶつかりあうタイミングとか違えば木の葉の踊り方にも影響あるだろうし・・舞踏会の練習か・・
生け捕ったネズミを、今までなら容赦なく葬っていた夫が、今日は「山に放した」という・・
母上を亡くしたばかりのT婦人が、ひとしきり思い出話やらなにやらを語り終えた後で
「やわらぎで正解だったわ。すごく良かった。親戚35人も泊まって、お風呂が気に入った。」
聞いてるうちに大真面目にその気になってきて「しずさん連れて見学に行く!」と私。
静さんは10年前には「献体」希望だった。私たちになるべく面倒かけないようにと・・・
その後「海に散骨」から「樹木葬」になり、今は「あんたたちに任せる」までにこぎつけた。
大かぶの小上がりに寝かされて 野の花で坊主無しのドンチャン騒ぎは許すとしても、
唯一「通夜の晩、親戚一同がどこに寝るのか」これだけが心配だ、といつも言っている。
だから35人の親戚が快適に一晩過ごせるやわらぎ斎場は「見ておく必要有り」とふんだ。
なんとその2日後 タイちゃんが「ひわさん斎場の見学会行かない?釜飯付きだって♪」「釜飯ーーー♪行くーー♪」
肝心の静さんに電話をすると、「今日は疲れてる、残念だが又次回」 で、居合わせた4人で隣町に繰り出す。
行列できてて釜飯が足りなくなり、あとでゆうパックで送らせて頂きますから、名簿にご記入を・・・
なんて言われる覚悟してたら、タイちゃんと私たち4人の他にはもう一組の家族だけだった。
タイちゃんがすでに自分と夫の《家族葬》を決めているというその祭壇は胡蝶蘭がふんだんに使われ
参列者の座る椅子も控え室も、写真で見る高級ホテルのような設えで、とりわけタイちゃんお気に入りの棺おけは
白地にピンクの刺繍が施され、くぎを打たないタイプ。横にならせてももらえる、とのことだったがちょっと遠慮した。
「ご会員様は通常1041250円のところ85万円にさせていただきます。必ずお亡くなりになる前にご入会金の
2000円をお支払いただくのが条件です」館長さんから丁寧な説明を受けながら、出されたコーヒーをすする。
「ご質問は・・」といわれ「ボルコの積み立てしてるんですがこちらに決めたときボルコはどうなるんでしょう?」
かずちゃんが切り出した。(かずちゃん、それはボルコに聞くことでしょ)ドキドキしてたら 「戻りますよ」と館長さん。
かずちゃんも私も一同顔見合わせ(おお!!)と どよめいた。 なんでも聞いてみるものだ。
 ※帰り際、当斎場 専属シェフご自慢の冷凍釜飯をひとり一つづつ頂いてツアー終了。