大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

コグッちゃん

2015-06-30 | 日記
日中は暑いが、夕方になれば涼しいを通り越し寒くなる。
が、さすがにストーブは焚かなくなった。
田植えが終わってやれやれ、と思う間もなく大豆播き。
家の前の牧草地だった場所に初めて豆を播く。
2ヘクタールの予定だったが、トラクターを掛けたらあまりの石に閉口し、
とりあえずその10分の一程のあまり石のない場所に播くことにする。
「これから農業やりたくて」というコグッちゃんが東京からやって来て、二人で豆まき。
50mの縦に水糸を張って、その横をかかとに力を入れて早足でタッタカ歩いて穴を空ける。
そのかかとの部分に大豆を2-3粒落として足で土をかけギュッと踏んでいく。
ひわは 豆がかかとの穴に正確に入るように腰を低くして播いていく。
コグッちゃんはすっくと立ったまま 高い位置から手首のスナップを効かせてぴしっぴしっとかかとの穴に決めていく。
「なんでそんなことできんのお~~?!」とびっくりすると 「なんででしょうねー?・・・・・」とコグッちゃん
「あ、ぼくテニスやってるから、、、サーブ打つ前、ボールを何回か下に打ち付ける、あの感覚かも。。。。」と言った。
なあるほど~~~~~~! 二人で大笑い。 人生 何の無駄もないね
 雨が降って 畑の通路や田圃の周りは草の勢いが増し、車で走ると草に腹を撫でられた車がキュラキュラと笑う。
コグッちゃんが草刈機で刈ることになった。
顔にサングラスの跡が付かないように(あははは)日焼け止めを塗りいざ挑戦。
(トーキョーの男子 草刈機なんて使えるかあ?)と危ぶんでいたが、、、なになに、なかなかやるもんだね、、って感じ。
汗だくになって草刈して温泉に行く。風呂上がりのいっぱいのビールが 「いやーーー!最高うまいっす!」
しかし、そのあと遅い夕飯食べながら、とおちゃんの酒飲みに付き合わされる。
翌朝6時起きで また草刈りに出発する前に ボーっとしている。
「がははは、筋金入りの酒飲みの相手になったらだめだ。自分の身体自分で守る。流されるな。」とくぎを刺す。
 自分も流れ流され恥かき汗かき頭掻き掻き 好き放題に生きて来て、人に言えたものでないが思わず言う。
相手のこと思っていう訳でなく、その時思った事 腹に溜めておけずに言う。
後で言わずにその時に言う。 それで忘れてチャラになる。 健康法その1だ。  
コグッちゃんうちに来て6日目。ひわの健康法のターゲットにされ続け、毎日「耳痛いっす、耳痛いっす」
しかし、くじけずに、今日も草刈。 「草刈はめちゃめちゃ達成感あるっす」と けなげな35歳1児の父。
                 父の背中 いつも見てるよ、ちいさな息子が。。。。 
 



今年の田植えも済んで

2015-06-21 | 
家の前のニセアカシアが一斉に咲いた。
朝の空気が花の香り一色だ。
周りの農家から半月も遅れてようやく田植えが終わる。
今まで4年間米を作っていた田んぼが 「基盤整備」という政策によりお休み。
6枚だった田圃を大きな2枚の田んぼにする。
大きな機械を持っている農家なら こうすることで作業効率がぐんと上がったり、経費下がったり?
大きな機械を持たない大きなかぶは「そんなことしてもらわなくていいんですけど・・」と言いたいが
地域の中では自分だけそういう訳にはいかないナンジャラ・カンジャラがあるので
そこは、そこそこ折り合い付けて、前を見て進むだけだ。
農薬使わずヒエだらけにしているうちの田んぼを、周りの農家は、黙って見ていてくれる。それだけで感謝がこみ上げる。
しかも、去年の秋なら、あまりに広い大豆畑の大豆をシコシコ手刈りしていたら、それを見かねた地区の人が
大きなコンバインでザザザーっとあっという間に刈ってくれた。一ケ月半は掛かるかと思ったのが半日だ。 無言。。。。。。
 今年の田んぼは去年初めて稲を植えた2ヘクタールの一枚と、国道をはさんだ向かい側の同じく2ヘクタール1枚。
わかりやすく言えば一枚が100Ⅿx200Ⅿの田だ。苗を植えた時その表面が均等に平らに代掻きが出来てないと、
ある場所は深水になって苗が水に沈んで窒息してしまい、ある場所は丘になって水がない状態になる。
チョンスが親方にダメ出しされながら何とかやり切ったが、均等に整えられるようになるにはまだまだ修行がいる。
「代掻きが一人前に出来るようになるのには10年掛かる」と この道50年の前田さんに言われたが新米百姓には至難の業だ。
毎年毎年、「またここが失敗、あそこが失敗・・・・」と失敗のオンパレードにもかかわらず、育つものは育ち、実るものは実り、
日々の食卓に食べるコメが無いという日が無い、という有難さ。 天の恵みとしか思えず。
10年たったらとおちゃん76歳。 かあちゃん69歳。 そこまでやって、やっとこさっとこ一人前の米農家の仲間入りか。。。。。。
気が遠くなるが、胸の奥がワクワクしてる。 可笑しいな。


人の絆

2015-06-01 | 日記
家の前の砂利道の両脇に イタドリがワサワサと茂って来た。
ひと雨ごとにグンと伸びる。 生垣のようにイタドリが成長したらもう初夏だ。

東京のまみちゃんが2歳半の萬司を連れて遊びに来た。
独身の頃は気ままに度々来ていたが、結婚・妊娠・出産、そして仕事をしながらの子育てなら
北海道に2歳児を連れて来ることは道中を想像しただけでクタクタであきらめていた。
しかし、今回北海道行きを決心。 心配したお母さんの由美子さんが孫可愛さで同行してくれた。
萬司は飛行機の中で、着陸までまみちゃんの膝でぐっすり眠り、大人たちの心配は覆された。
途中、アウトレットのレラでママ達がお買い物の間、キッズコーナーで私がお守役。
産まれたばかりの時会ったきりで、そのあとは4月に東京に行った時、初めてちょっと話をした程度の関係だから
2歳児は59歳児とのデートに果たして、イッタイゼンタイ、どんな化学反応を起こすのか、、、ちょっと不安、、、、
しかし「ママ行ってらっしゃい」とあいさつした後は、滑り台で飽きずに30分以上遊んだ事にまみちゃんは驚いた。
しかも、車にケイタイ忘れた私の手を引いて駐車場まで付き合ってくれ、「有ってよかったね」とねぎらってくれ
家に着いて犬たちのペロペロ大歓迎を受けても動じず、すっかりなじんで その事にも まみちゃんはまた驚く。

まみちゃんが由美子さんのお腹の中にいた時、私が由美子さんの会計事務所に勤め始めた。
事務所のビルの2階にひとりで住んでいたから、まみちゃんのお守や保育園の送り迎えも当たり前のようにしていた。
結婚した後も息子と娘を保育園に預けて10年働いたが、まみちゃんはうちの家族の中で長女の役割を担っていた。
休みの日はたいがい自転車の前に息子を乗せ、後ろにまみちゃんを乗せ、娘をおんぶして 近くや遠くの公園をハシゴして遊んだ。
さすがに中学生くらいになると寄り付かなくなり、まみちゃんが高校生になった頃 私がヤマギシの村に参画した。
突然自分に黙って遠くに行った私を思い出しては大粒の涙をボロボロこぼしては泣いていた、と後から由美子さんに聞かされる。
その時にはお互い笑っていたけれど、そのまみちゃんを見守っていた由美子さんの気持ちが今なら痛いほどわかる。
『ちゃあちゃん』とまみちゃんは私を呼ぶ。産まれて物心つくころから今もそう呼ばれている。今回 萬司も『ちゃあちゃん』と私を呼んだ。 
夜、車で出かけるときに、犬に挨拶したかったのにできなかった事を悔やんで大泣きをした。車の中でずっと大声で泣き続ける。
まみちゃんがその萬司の背中をとんとんと叩きながら「そうか、そうか、そうか、、、」と萬司の気持ちに寄り添ってうなずいている。
その横顔を見た途端、自分の中からまみちゃんと過ごした日常の一場面一場面が甦り、涙が溢れそうになった。
まみちゃんと、まみちゃんの家族がいつも私に寄り添っていてくれたから今の自分が在ることに気づかされる。
事務所で仕事していた時、わがままばかり言い通して、まみちゃんのパパとママをどんなに悲しませたことだろう。
自分の力で生きているような気になって、なんて傲慢だったんだろう。恥ずかしくて泣けてくる。
自分のために泣いてくれる人の尊さ愛おしさに今頃気づく。