音松さん
2017-02-26 | 日記
金曜日の朝はモーレツな嵐吹き荒れ、町内で車の事故が頻発した。
が、音松さん86歳のお通夜で、近くのお寺に集合する4時になるとウソのように晴れた。
同じ4班の父さんたちが受付、会計、会場つくりなどを、ほんだ葬儀屋の顔なじみの
スタッフと共に取り仕切る。町にたった一つの葬儀屋だから坊さんより忙しい。
母さんたちも、通夜から葬儀、火葬場から帰ってからの繰り上げ法要までを陰で支える。
会場の寺に届く仕出し屋”いわき”の弁当を並べ、大きな寸胴の味噌汁を温め、漬物を切り、
余ったらAコープが引き取ってくれるので、菓子と飲み物の適量を見極めながら出す。
式の前、控えの間で正装した住職と若(息子)には和菓子と玉露で接待。
ここの住職は、町内のあっちの和菓子屋のなになにが好きなんだって、と知る人がいて
早く行かないと売り切れるというその菓子が、吹雪にもかかわらずちゃんと用意されていた。
喪主のすみこさんや、孫を連れて家に帰ってきた息子さん娘さんが、音松さんと心行くまでお別れが出来るよう
町内会で雑事を一手に引き受ける。皆、音松さん家族とは入植した親の代からの深い仲だ。新参者の永野家で16年。
いつもはふざけてばかりの村田さんが今年は班長で葬儀委員長。厨房の隅で、清書した原稿をまじめに練習している。
通夜の始まる前に親族の食事、父さん方も厨房の横の畳の部屋で順番に弁当を食べ、母さんたちも弁当いただく。
その後、親族の食事会場を通夜会場に変身させ、喪服の上に着ている割烹着をサッと脱ぎ最後部に着席する。
普段は作業着に身を包み、くるくる働くおかみさんたちが、こういう時はパールのネックレスを付け、イヤリングもつけ
小さな黒のハンドバックと、数珠を持ち、各々それなりの化粧もし、TPP、、じゃなくて、、TPO?わきまえる。
それを見るたび、(そうか、それがこの場の礼儀というモノか。。) ネックレスも、イヤリングも、黒い小さなバックも無く、
ましてや数珠も無く、口紅一つ持たずにこの年まで生きて来てしまった自分を恥じるが、毎回同じこと繰り返す。
が、今更と割り切り、祭壇の横で一つだけ大きく揺れる蝋燭の炎に音松さんを見つけた気になり、心のパールをぴこぴこさせて
信号を送ってみる。空調の風かもしれないが、さらに大きく左右にひゅんひゅんと揺らめく炎に、下を向いてひとり笑い。
いつも、物静かで穏やかで、笑顔が素敵で、音松さんの家の手入れの行き届いた庭は春夏秋冬花が咲き乱れ、
国道を走る車に安らぎを届け続けた。草ボーボーの永野家に回覧板を持ってくるたび、音松さんは心底心配そうな顔をして
あまりの忙しさに、にっちもさっちもいかないでいるのだろうと、本気で我々を案じてくれていた。
”酸素自給型モデルガーデンなんです”と言うも、まだその時に非ずか、、音松さんの気持ちだけ、いつもありがたくもらって来た。
ひと足先に逝った、同じ班のイヨ子さんと小学校の同級生の保井さんと、今頃3人ハイタッチで再会、、か?
合掌
が、音松さん86歳のお通夜で、近くのお寺に集合する4時になるとウソのように晴れた。
同じ4班の父さんたちが受付、会計、会場つくりなどを、ほんだ葬儀屋の顔なじみの
スタッフと共に取り仕切る。町にたった一つの葬儀屋だから坊さんより忙しい。
母さんたちも、通夜から葬儀、火葬場から帰ってからの繰り上げ法要までを陰で支える。
会場の寺に届く仕出し屋”いわき”の弁当を並べ、大きな寸胴の味噌汁を温め、漬物を切り、
余ったらAコープが引き取ってくれるので、菓子と飲み物の適量を見極めながら出す。
式の前、控えの間で正装した住職と若(息子)には和菓子と玉露で接待。
ここの住職は、町内のあっちの和菓子屋のなになにが好きなんだって、と知る人がいて
早く行かないと売り切れるというその菓子が、吹雪にもかかわらずちゃんと用意されていた。
喪主のすみこさんや、孫を連れて家に帰ってきた息子さん娘さんが、音松さんと心行くまでお別れが出来るよう
町内会で雑事を一手に引き受ける。皆、音松さん家族とは入植した親の代からの深い仲だ。新参者の永野家で16年。
いつもはふざけてばかりの村田さんが今年は班長で葬儀委員長。厨房の隅で、清書した原稿をまじめに練習している。
通夜の始まる前に親族の食事、父さん方も厨房の横の畳の部屋で順番に弁当を食べ、母さんたちも弁当いただく。
その後、親族の食事会場を通夜会場に変身させ、喪服の上に着ている割烹着をサッと脱ぎ最後部に着席する。
普段は作業着に身を包み、くるくる働くおかみさんたちが、こういう時はパールのネックレスを付け、イヤリングもつけ
小さな黒のハンドバックと、数珠を持ち、各々それなりの化粧もし、TPP、、じゃなくて、、TPO?わきまえる。
それを見るたび、(そうか、それがこの場の礼儀というモノか。。) ネックレスも、イヤリングも、黒い小さなバックも無く、
ましてや数珠も無く、口紅一つ持たずにこの年まで生きて来てしまった自分を恥じるが、毎回同じこと繰り返す。
が、今更と割り切り、祭壇の横で一つだけ大きく揺れる蝋燭の炎に音松さんを見つけた気になり、心のパールをぴこぴこさせて
信号を送ってみる。空調の風かもしれないが、さらに大きく左右にひゅんひゅんと揺らめく炎に、下を向いてひとり笑い。
いつも、物静かで穏やかで、笑顔が素敵で、音松さんの家の手入れの行き届いた庭は春夏秋冬花が咲き乱れ、
国道を走る車に安らぎを届け続けた。草ボーボーの永野家に回覧板を持ってくるたび、音松さんは心底心配そうな顔をして
あまりの忙しさに、にっちもさっちもいかないでいるのだろうと、本気で我々を案じてくれていた。
”酸素自給型モデルガーデンなんです”と言うも、まだその時に非ずか、、音松さんの気持ちだけ、いつもありがたくもらって来た。
ひと足先に逝った、同じ班のイヨ子さんと小学校の同級生の保井さんと、今頃3人ハイタッチで再会、、か?
合掌