大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

日本には54匹の怪獣(原発)がいる!?

2011-03-30 | 日本を考える
『原発について考えるためのリアルなヒント集』 蟻んこ組  
日本には54匹の怪獣(原発)がいる!?

※先日、札幌 アジト2にてお話を伺った、岩内在住の斉藤武一さん56才(岩内原発問題研究会代表)
の「故郷の海を守りたい」-こどもたちの未来に向けてー 講演録が収録されています。
岩内の港からは目の前に大きな白いタンクの泊原発がはっきりとみえます。岩内の保育所で保育士をしながら
25才のときから30年間岩内の海水温度を測定し続けてきた斉藤さんの目から見た原発のお話です。

2年前岩内のある小学校で、6年生担当の先生が、社会科の時間を使って一週間、原発の授業をやったのです。
先生が最後に生徒たちに話しかけたのは「、みんなに原発に反対して欲しいわけではないんだ。目の前にある
原発の持っている意味を、みんなで勉強したかったのだ」  そして 「けれど、お父さんお母さんから苦情が来たら
先生もちょと大変なんだ・・」ということを素直に言ったのです。
大体クラスの生徒の3分の1くらいは、お父さんが直接原発で働いているので、地元では、雑談でも原発の
話をする事はタブーなのです。だから、先生は不安がっていたのです。
すると、「先生、その辺の事はわかっているよ」「心配しないでいい」と生徒が言った。(中身抜粋)

子供たちはすでにぜえーーーんぶわかっている。大人のしていることをみまもっている。
     どうされても、親の生き方をそのまま受け入れて、淡々と今を生きている存在なんだな。。。


他人事は自分事

2011-03-27 | 食生活
東京から戻り、早2週間 。怒涛のような日々が過ぎた。
これほど緊張感に満ちた日々はない。これからが本番ともいえるが。
巨大津波に(神様ここまでするのか・・)と背筋が伸びたが、(東京じゃなかった)と
安堵感が先に来た。しかしそれは福島原発の最初の爆発の時点で吹き飛んだ。
東京絶滅の危機感に身体中の毛穴がガガガっと開いた。
ほんとうに、「その日」が来た。と地球と太陽系と銀河系くらいまでの全細胞が集結して
(ニッポンを立て直すいのちを生み出す若者を一人でも多く残す)と指令が来た。
息子、娘、親戚、友人知人に「早く逃げて」と命がけで訴えた。大かぶ開放も宣言した。
しかし、みな、一応に冷静すぎるほどで、だれもそれに「ほいきた!」と反応する者は無く・・・
息子は友達が大事。娘は婚約者とその両親のいる横浜を離れない。。各々 明日は人に会う約束している。。
仕事は休めない。。学校がある。。味噌と米があるから大丈夫。。ホッカイドーって仕事あるの?。。。
あ、そ、そうなんだ、ごめん、煽るつもりはない。
この危機感はじぶんたちだけなのか・・・宇宙からの指令はなんだったのさ・・
しかし、自分が各々の立場なら、、、、友達や愛する人がそこに残る決心をしたのなら、一緒に残るだろう。
じぶんが誇りを持って就いている仕事があれば、それを全うすることで後悔のない人生、とするかもしれない。
そういう自分も、30年前、チェルノブイリは他人事だった。神戸の震災さえまだまだ余裕だった。ついこの間の
ニュージーランドも地球のあちらこちらで絶え間なく続く紛争や天変地異も、はっきり言って、自分の事ではなかった。
これが全部自分事なら、恐怖と悲しみでとっくに死んでしまっているだろうから、うまくできてるな・・・
わたしは私の立場において、じぶんの思いを伝えるだけ。あとは各々の決断をわたしが(そうか)と受け止めるだけ。
東出さんの奥さんのひとみさんが首都圏混乱のさなか埼玉に決死の覚悟でたどり着き、
生まれたばかりの孫とお嫁さんを連れ帰った。
東出さんは電話口で男泣きしていた。「俺達はもう捨石でいいんだ。若い人を守らなくては」 私も泣いた。
こんなに、ホッカイドーのおじさんおばさん熱くなっているのに首都圏の若者はクールだ。
精子も卵子も、すでにケイタイの電磁波と毎日取り込む食品添加物もろもろで、用を成さないことを知っているのか・・・
生命の存続をかける意識など、経済社会の中では無用のものだろう。ぜんぶ機械がやってくれるんだもん。
孫に肩たたきしてもらうまで育て上げる費用より、高性能なマッサージ機を購入するほうが安上がりだろう。
福島のほうれん草がなくったって、三陸の牡蠣が食べれなくても、大きな工場で、衛生的に製造された
サプリメントの錠剤のストックがあればいつもお肌ぴちぴち・・・・・・
それはそれで少しも悪いことじゃない。じゅうぶん魅力的。でもじぶんはそれじゃ落ち着かない。
じゃあ、わたしってどんなことをシアワセだって思っているのだろう・・・・・・
そのことを胸に問いながら、こんどこそ自然と調和し新しい社会を生きていくのだ。と自分自身に宣言した。

人生の出来事!

2011-03-26 | 日記
10年も20年も前から危惧し、その日をどう迎えるか。。と常に意識はしてきたつもりだった。
電気が無くても、お金が無くても、特に困らずしゃらしゃらと生きていく。。。そんなことを
いつも、仲間と寄ればさわれば、面白おかしく語り合いワクワクするのだった。
米と野菜を作って、薪を焚き、太陽と共に寝起きし、独占に耐えられないお互いに
成り合ってゆきさえすれば、何とかなる・・・と 10年前 いまの暮らしを始めたのだった。
この倉庫暮らしで最初に引き落とされた電気料金は3000円だった。
「おお!!」と感動したのもつかの間、10年の間に冷蔵庫、冷凍庫、FAX3台
テレビ、パソコンetc・・・と「その日」に対する危機感は持ちながらも、気持ちはゆるみ、
夜更かし大好き。ここ数年の電気料金は10000円を下回ることが無い実態が情けない。
ガソリンの高騰騒ぎがあるたびに少し気を引き締めたりはするが、商売をしている以上は諸々の矛盾にも
まあまあと、やりすごしながらも、この暮らしを体得しておけば大丈夫。と10年間に培った感覚に確信を深めてはいた。
13日東京の父の一周忌に参列するために、二人で7日間JR乗り放題99900円のフルムーン切符を買った。
日本海周りのトワイライトエキスプレスが大阪に着く9日昼12時前に「地震大丈夫!?」と長沼のえりちゃんからメール。
(長沼地震来たんだ)と思いながら、その後の相次ぐ地震情報横目に岡山、松山、広島を「感謝」で物見遊山。
鉄道の仕事に就いている弟郁夫さんから法事は延期と連絡が入る。
こんなときに不謹慎だが、せっかく蝦夷地から本州、四国と来たんだから九州に渡って来るべ、と12日開通の
九州新幹線「さくら」で博多に、そして大分別府の湯治場で赤峰百姓塾の同期生あゆみちゃんと合流する。
偶然そこで赤峰農場の生産物別府店を切り盛りする赤峰さんの実の妹大西さんと引き合わされた。
リュウマチで長いこと苦しんだが食を正したら、自分よがりな心が正され、身体が救われた。
という話を聴いて、ここに来た意味を知る。
あゆみちゃんが炊いて持ち込んでくれた玄米ご飯と、大西さん手作りのお惣菜が テーブルにところ狭しと並んで、こんなときにこんな豊な食卓が用意されていることにただただ感謝が湧き上がる。
JRもいつどうなるか分からないから一刻も早く札幌に帰ろう・・とおもいつつ、「東京に行こう」と夫が言った。
13日夜、東京駅周辺で娘と食事をしたが、店は急遽8時に閉めるということで、やはり空気はシンとした感じだった。
その時点で町田までの電車は通常に運転していた。周りの人も冷静にこの事態を受け止めている空気感だった。
9時過ぎに町田の家に着くとテレビが明日からの計画停電の時間帯を延々と流していた。
「風呂桶に水溜めておけばいざの時は飲めばいいし、電気来てる間にご飯炊いておにぎりつくったらいいよね」
車庫のシャッターリモコンだから今から開けっ放したほうがいいか、それとも車使わないと決めるか・・・・
車庫で七輪える。カセットコンロも便利だ。。。暖房切れたらアキラみたいに布団で寝てればいいね。
近くの店に乾電池、食品を買いに行ったがもうなかったという。
14日朝、町の広報マイクが「全学校休校」を繰り返し告げた。
このまま、来週に延びた法事までここに潜伏しているほうが得策か。。とも思ったが、あんまり天気が良いので
「ホッカイドーチーム、アタック開始しまーす」と駅まで行くが駅は閉鎖。デパートも閉鎖。
そこで意識がシャキっとなる。
本当に運よく、バスで羽田空港まで行けた。夫は最後までフルムーン切符を使いきる意気込みで、空港から東京駅に出て間引き運転の上越新幹線で長岡からトワイライトに乗る算段をしている。が、そのときすでにトワイライトは運休。
空港の土産物店はほとんどシャッターを閉めて節電対策を実践していたが、思いのほか空港は落ち着いていた。
運よく乗れた千歳行きのエアドウの翼の横の席で、(ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、)と翼に言い続けた。
 10年も前から、「その日」を想定しながら、「その日」を迎えたのは、準備の整ったこの長沼ではなく東京だった。
          2011年3月14日 55歳の誕生日を迎える前夜の出来事だ。





放射線に負けない食生活の知恵 2

2011-03-26 | 食生活
マクロビオティック・ライフ入門 岡部賢二

放射線に負けない食生活の知恵


放射線の害が問題化していますが、どのような対策によってその害から身を守ることができるのでしょうか。

放射線の問題点は、それを過剰に浴びると甲状腺ガンや白血病を招いたりすることです。まだ、成長段階にある細胞が放射線を受けると、遺伝子が損傷し、プログラムミスによりガンや奇形といった成長・発育障害が引き起こされます。ですから、大人よりも子供にその害が出やすいということになります。また、放射線により大量の活性酸素が発生することで、血液や細胞、血管の油に過酸化脂質というサビがとりついて、それらの機能の低下を招き、生活習慣病などの老化現象が起こりやすくなることです。

陰性の性質は「冷やす」、「ゆるめる」、「溶かす」働きなどで代表されます。言葉を換えれば、広がって行こうとする拡散性や遠心性と見ることができます。それに対して陽性の性質とは「温める」、「しめる」、「固める」働きに象徴されます。言い換えると縮こまって行こうとする収縮性や求心性ととらえることができます。この陰陽の尺度をつかって放射線を見ていくとその対策を講じることができます。

放射線の性質は、物を透過して遠くに広がろうとする強力な拡散性です。ですから原爆症は、爪や皮膚が溶けてケロイド化し、毛穴が開いて髪の毛が抜けたり、原爆の場合は熱線によって一瞬で体が溶けて揮発してしまうという点です。放射線治療などで被曝した場合は、赤血球や免疫細胞が溶けて貧血の傾向や白血病が起きたり、腸がゆるんで便秘をしたり、体が冷えてだるくなったり、髪の毛が抜けたりといった陰性化した症状が現れます。

この時に、陰性の強い砂糖を含む食べ物や、果物、アルコールなどを摂取すると、非常に危険であるということです。反対に塩は砂糖と比べると陽性で収縮性が強く、きゅうりやナスを塩でもんだり、塩漬けしておくと縮んでいきます。ですからこの塩を上手に使うことで、放射線から身を守ることができるのです。30cmの塩の壁を造ると放射線は透過できないといわれています。人間の場合も同様で、海水を煮詰めて作ったよい塩気をしっかり補給して体内に循環させておけば、放射線の害からかなり身を守ることができます。

また、アミノ酸やクエン酸などの酸には放射線を排泄する力があるといわれています。ですから塩気で放射線をブロックし、酸で排泄すればよいわけです。そこで注目されているのが伝統製法の味噌や梅干し、醤油、漬物といった発酵食品です。それらの食品には塩気とアミノ酸、クエン酸などの酸の両方が含まれるので、放射線対策にぴったりの食品です。実際、味噌のジコピリン酸に放射性物質を排泄する働きが強いことが報告されています。チェルノブイリ原発で事故が発生した当時、ヨーロッパの自然食愛好家の間で味噌を食べようという運動がおこり、日本から大量の味噌が援助物資として送られたそうです。

さらに、海藻のヨードにも放射線の害から身を守る働きがあることが知られており、

原子力発電所でもヨード剤が配備されているそうです。ですから昆布でダシをとり、ワカメやフノリを入れた味噌汁であれば、放射線対策に抜群の威力を発揮できるはずです。昆布の黒焼きもよいでしょう。放射線治療やレントゲン検査を受ける前は味噌汁や梅醤番茶、鉄火味噌、梅干し、ごま塩等を、飲んだり食べたりしておくとその害から身体を守ることができます。

玄米を火で焼きしめて陽性化した黒炒り玄米に少しの塩か梅干しを入れて煮だした黒炒り玄米スープにも、陰性な放射線を吸着する働きがあります。コバルトを照射して芽が出ないように加工された玉ねぎやじゃがいもなどの照射食品に対抗するためには、時々、このようなスープを飲んで身体を浄化しておくとよいでしょう。また梅干しを焼きしめて作った梅干しの黒焼きも常備しておくと、放射能漏れ事故が起きた時などに役に立つと思います。

このような伝統食品を活用して放射線に負けない身体づくりをしていきましょう。

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かつて長崎原爆投下の際、秋月辰一郎先生の玄米菜食の病院では塩気の強い玄米ごはんと塩気の強いみそ汁の食事で、原爆症が出ない、または軽いといったことになりました。それで、チェルノブイリの際は、その経験からオーサワジャパンのみそが日本にほとんどなくなったのです。

食に関しては、それぞれのこだわりがあると思いますが、響くところがある方は、ぜひ食をととのえてください

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野口整体コミュより・放射線被爆の心配がある方は、 盲腸のあるあたり(右下腹部)の上から愉気を行ってください。 放射能の身体への影響を軽減できます。 盲腸を切除してしまった方には、残念ながら効果がありません。




ブログ友のじゅんさんのところにも写真があります。
チェルノブイリにお味噌を送った事が八丁味噌資料館に書いてあったそうですよ。



放射能に負けない食生活の知恵

2011-03-25 | 食生活
息子のブログから転載します。


先日、放射能に負けない食生活の知恵について記事を書きました
http://blogs.yahoo.co.jp/taquitochan/64244952.html
被災地域に近い方々、そして関係ないと思われる方々にもぜひ読んで頂きたい記事の紹介です。ミクシィのほうから転載させていただきました。
ご参考ください。




原爆で被爆しても原爆症の出なかった人たち
*****
8月9日に長崎に原爆が投下され、
その爆心地から1.8kmしか離れていない場所で被爆したにも関わらず、
原爆症が出なかった人たちがいる事実について、
何が被爆した彼らを原爆症から守ったのか、
ということについての説明になると思いますので、以下、引用いたします。
 
1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。
その爆心地から、たった1.8kmのところで、
当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と
病院関係者は全員被爆した。

博士は焼けただれて痛がる人々に、
「水を飲んではいかんぞ!」と大声でどなった 。
おそらく直観的に、血液の濃度を保ち、
血液を水でうすめることなくガードしようとしたのだろう。
((注)たしかに戦地で、傷の深い重傷の兵士に水を飲ませると、
 すぐに死んでしまうという記録がある)

さらに博士は、次のように職員に命令したという。
「爆弾をうけた人には塩がいい。
 玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。
 塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。
 そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ 」
(秋月辰一郎著「死の同心円-長崎被爆医師の記録」講談社刊・絶版)

「放射線宿酔」と呼ばれる、
レントゲンを受けたあとに起こることがある全身の倦怠や筒宇などの症状には、
体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよい
ということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、
塩が有効であることを推理したのだ。
みそ汁の具は、カボチャであった。
のちにわかめのみそ汁も多くとったらしい。
砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり 、
塩のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、
彼自身の食養医学によってである。

すると、どうであろう。そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、
原爆症の症状が出なかったのである。
ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、
彼らはそれからのち、ずっと現実に生き延びているのである。

このことは、私にとって大きなショックであった。
食というものによる、見かけからはなかなかわからない
「体質的な強さ」というものの思い価値を知り驚嘆した。
ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。

博士は人間の体質にとって、みそが実に大切であることを説き、
のちにこう語っている。

「この一部の防禦が人間の生死の境において極めて重要なのである」
(秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊)

博士の書いた「長崎原爆体験記」
(日本図書刊行センター刊「日本の原爆記録」第9巻に所収)
という本の英訳版が欧米で出まわり、
チェルノブイリ原発事故のあと、ヨーロッパで
日本の「みそ」がとぶように売れたということはあまり知られていない。

 (中略)

秋月博士は、「体質医学」の大切さを主張し、次のようにいっている。
 
「それは、人間の体質を作り変えることが
 医学の本然の姿であるという信念による 。
 人間の体質を作り変えて、病気にかからなくてすむ身体、
 また病気にかかっても軽くて治る身体になることである。
 また、慢性疾患に罹患していても、
 体質を変えていつの間にか病気が離れる身体になる、この医学である。」
(「体質と食物」)

世界保健機関WHOでも、
日本の伝統食や伝統的発酵食品は高く評価されています。

玄米、塩、味噌、梅干し、海藻、糠漬けなどの漬け物、
などの日本の伝統食が自分の身を守ることになります。
 
日本の智恵を今こそ思い出して取り戻していく時です。
ご存知ない方にぜひ転送下さい。





以上です。
転載可にしておりますのでよろしかったらどうぞ。
不安は不安を呼ぶだけですが万一のことを考えて備えておくのは大事だと思います。 転載元: 今日のrevelationに感謝 !


医は仁術なり

2011-03-06 | 日記
真冬に逆戻りの大荒れ金曜日。乳(冬)離れできずにいるわたしに「これっきりだよ」
と、冬が乳房を含ませてくれた。「うん」とコブシで涙をぬぐう。胸の奥がツンとした。
かあちゃんが本気で吹き荒れる様は、ホントウーに力強いな。
冬から勇気を手渡されて、また今年も春を迎える決心をする。
薪小屋もガラガラになってきた。 ほんとうに、冬が終わる。

「最近、横腹が痛い。肺の状態が悪化したのかも・・札幌の病院に連れて行ってほしい」
静さんから要請がきて、昨年9月に肺のカメラを飲んだ総合病院に行き検査を受けた。
町内唯一送迎付きの病院の先生は、忙しすぎて患者の顔をみる余裕無く、
カルテの数値だけ見て、極論言ったり、不安を訴えても取り合ってもらえなかったりのピントはずれで、
とうとう愛想をつかした静さんが担当医の判断を無視して、紹介状持たずに予約を取り付け直談判。
札幌の病院の若いN坂先生は、結局静さんに押し切られて苦笑いしつつCT検査をしてくれた。
「あれーーーー 永野さん、9月の検査で潰れて白くなってたところ、きれいに治ってるよ!驚いたなーー!!」
「ほんとだ!」 パソコンの画面に写し出された肺の映像を見ながら 静さん拍子抜け。でも、安堵。
N坂先生も本当にびっくりした様子で喜んでくれ、「永野さんこんどは長沼の先生に相談してから来てくださいね」
「実は・・」と静さん、ひとしきり不満を赤裸々に告白し、ようするに「あそこはもうヤダ」ってこと一同心底納得。
N坂先生と二人の看護師さんにも、腹の中をきれいに聞ききってもらい、静さんの肺も心もすっきりしゃっきり。
「一人でいると、暇だから余計なことばっかり考える。ああ 今日来てほんとーーーによかった 安心した、うれしい  」
ひとの健康って、からだばっかりじゃないってわかっていたけど、あらためて実感した。
もっともっと、相手に寄り添わないとなかなか見えてこない、底にある悩み、苦しみ 喜び。。。。。。
 ふと、(あの夫にも悩みとか苦しみ あるのかな?) と はじめて思う自分を確認し 己の成長を感じた。


僕の名前をつけて 

大分 なずなの塩 塩場


海水の塩分濃度は約3%
これを 15%位まで 濃縮したものが 冠水で
冠水作りの装置で 風と熱で水分を飛ばします



冠水を釜で炊いて 塩にします



出来た塩を釜からでします


こちらは 冠水をハウスの中で 濃縮します
真夏で 約1~2ヶ月くらいで出来ます


出来た塩から 不純物を取り除きます
根気のいる仕事 (私には勤まりません)

らしくないっすよー。

2011-03-02 | 日記
雨と風と太陽があれだけ降り積もった雪をぐんぐん消してゆく。
まだ真っ白な畑の表面から、もわもわと湯気が立ち上るのをみればもう春だ。
胸の奥が ツーーーンキューーーンとするのはなぜだう。
この時期はいつだってこの気持ちに支配される。 まだ春になってほしくない。
つくづく自分なら、南の国には棲めないと思う。暑いのはダメだ。雪が降らないとやだ。

 「カダフイ大佐、恥ずかしくないのかね。あんなことして。。。。」
かずちゃんがめずらしく世界情勢に触れてきた。
「結婚したばかりのころ、近所のスーパーで買った夕飯の材料を自転車のカゴに
置いてちょっと目を放した隙にそっくり持っていかれた・・・その人、それ食べるとき恥ずかしくなかったのかな・・」
  ・・・え・・・それがカダフイとどう関係あるのさ。。。
「きのうのお通夜の坊さんの説教も、まったく心が無かったね。恥ずかしくないのかな、あんな仕事して。。。」
  ああ、そこに来たのか、、そうだね、まったく、、、
30代の木村君、現場監督してて自分よりも年上の人たちまとめるのすごく大変らしいけど、殺し文句あるらしい。
昨今のおじさん、心弱いらしく、めげたりすねたり威張ったり、彼らの勤労意欲持続には現場監督の器がかかる。
 で、木村君   『○○さん、らしくないっすよー。』  この一言でおじさんたちは部屋から現場に向かうらしい。
「木村君あっぱれ。きみにこのニッポン国を率いてもらいたい」 かずちゃんとわたしは感動した。
ひとは背中に、自分自身をまっとうに立ち上げるボタンをしょっているんだな。。。
自分の手ではなかなか押せないが、誰かが押してくれれば起動する。
カダフイも、夕飯の材料ネコババした誰かも、こころを失った坊さんも、木村君にボタンを押してもらえばどうか・・

ひっそりと静かにたたずむ 大分なずなの塩、塩場
赤峰問答塾での 昼食
なずなの塩 釜場
今週の恵庭岳

今週のおおかぶ界隈