大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

稲作 いよいよ始動!!

2012-04-30 | 日記
真冬の2月に長沼を発ち、4月の半ばに戻ったらすっかり春だった。
早速今年のモミの消毒が待っていた。
稲の苗を立てる前段階で種となる「籾」を通常は60℃のお湯で10分間消毒する。
しかし今年は、夫が札幌で木村秋則さんに聞いてきたやり方「泥消毒」に決定。
田圃の土を水で溶き、種籾をその中でよーく揉み込む。
そのあと井戸水でその泥を洗い流してから15℃の水に一週間浸水。
今「籾」は水の中で暮らしている。
それからまたあれこれした後ようやく苗ポットに蒔き、ハウスで育苗する。
葉が5.5枚になるまでにだいたい40日、6月10日頃めやすで田植えとなる。
長い間自分のやり方で米つくりを続けてきた80歳の山崎さんが
反対もせず「やってみよう」と言って積極的に私たちのやり方を受け入れてくれたことに勇気湧く。
山崎さんが試行錯誤を続けながら稲を作ってきた過程には「苗が全滅したこともある」という。
「その年の米は一切無しか・・と思ったが周りの農家の余った苗を分けてもらって植えたよ」と笑って話してくれた。
山崎さんがニコニコ笑っていると自分も不安を感じない。なんとなく大丈夫なんだなって気になってくる。
ほんとうはとんでもないことをし始めているのかもしれないが、みんなで笑っていると怖くない。
健太郎の脳挫傷騒動でも、結局は毎日みんなで笑っていたな。私たちも、見舞いに来る人も。
けいこさんとホテルで毎晩ビール飲みながら、きょうはオムツがとれたとか、自分で歩いたとか
ぐっすり寝てた、歌を歌った、えんぴつで絵を書いた、ご飯全部食べた、あのことを思い出した、このことが出来た・・・・・・
些細なことに喜んで乾杯して、なんだかんだ笑って笑って喜んで・・・・気づいたら治ってた。
稲の力信じて笑っていよう。
  自然農法の田圃の土を採取
   井戸水に土を溶かし、その水を30分ほど静止させ、澄ませる。
    4kg毎に網に詰めた種籾を 泥の中で丁寧にもみ洗いする

 もみ洗い後、泥水に15~30分ほど漬ける
  漬け終わった籾は、泥水をよく水気を切る
流水か 奇麗な溜め水の中で よく泥を落とした後 浸水槽に入れる



「ああーーーーーおもしろかったねーーーー」

2012-04-23 | 日記
4月13日、息子はリハビリ病院を退院した。
その二日前にけいこさんと私は浅草のホテルを引き払い岡山に向かう。
途中大阪でけいこさんのお母さんに挨拶し、犬のココとフエレットのももとぷぷを
面倒見てもらったお礼を言って、3匹を連れ弟の隆司さんの車で雨の高速を一目散。
大阪から三時間走って瀬戸内の島々が目の前に浮かぶ広島県境の笠岡市に到着。

二十年近く人が住んでいなかったという古い大きな家の玄関を開けて
「ただいまーーーー!よろしく~~~!!」と挨拶した。
まずは隆司さんが雨戸を開けて風を通してくれた。けいこさんが畳を拭いて寝る場所確保。
暗黙の了解でわたしは台所磨きと山のような食器が詰まった棚の整理。
骨董屋でよくみかける古い皿に(早く料理を盛付けて食べたい)とぴかぴかに磨く。
食器や箪笥やテーブルや、「使えるものは何でも好きに使ってー」と言われているが
「蚊帳発見!大瓶発見!○○発見!△△発見!」うれしい悲鳴と同時に古畳の埃に悲鳴。
けいこさんの引越し荷物も到着して、翌日も三人で片付け三昧。
南向きの縁側に座ると目の前に瀬戸内海が広がる。漁に出る船が往く。島と島を結ぶ船が往く。
こんな景色、テレビで見たことあったな・・・・ほんものだ・・・・・・・
翌日は隆司さんが風呂場をピカピカにして「さっぱり系、癒し系 どっちがいい?」と私に入浴剤を用意してくれた。
「い・や・しにする!サンキュー!!!」と一番風呂に入り、三人でビールを飲んでコロッと寝る。

わずか二日間、風を通し埃を払い、床とガラスを磨いただけでも古い家はなんだか透明な感じになった。
13日の早朝、大阪に帰る隆司さんに笠岡駅まで送ってもらってけいこさんは東京に健太郎を迎えに行く。
犬のココは後追いして不安そうだったが自分で庭に出ておしっこをして、用も足して手間要らずだった。
夕方大きな身体の健太郎と、小さなけい子さんがうれしそうに帰ってきた。
「おかえりーーーー」「ただいまーーーー」   健太郎の引越し荷物も到着した。
そしてまた3人でいやというほど部屋を片付けて、翌日「かあちゃん今日帰るわ!じゃあね」と海辺の町を後にした。
別れ際  「ああーーーーーおもしろかったねーーーー」 けいこさんとゲラゲラ笑いながら抱き合った。












アトピー性皮膚炎

2012-04-15 | 食生活
 アトピーのない子供のほうが珍しいといわれるくらい アレルギー体質の子供がふえています。
大体が生後数ヶ月後から発症して、その後は自然に治っていったものですが、今はいつまで
経っても治らない子供が多く、なかには青年期になってから発症するケースもあります。
 乳児では胸やお腹、背中の皮膚が赤くなり、ジクジクしてひっかくとかさぶたになり、ひどい
かゆみに悩まされます。乳児期になると口のまわり、まぶた、首、ひじ、膝の裏側などに
かゆみの強いブツブツが出ます。
 治療はまず、かゆみを止めることです。ステロイド系の副腎皮質ホルモン剤を使う人が
多いようですが、これは神経を麻痺させ痛みやかゆみを感じさせなくするだけです。
 かゆみや発疹の正体は、内臓に溜まった毒素です。この毒素を溜める酸性体質を改善していかないと、根本治療に
はつまがりません。
 また、異種タンパクである動物性タンパク質がからだに合わないことも大きな原因となっていますから、食べ物で治して
いくしか方法はないのです。ステロイド剤は肝臓障害などの副作用も出ることもありますので、なるべく使わないように
しましょう。
 アトピーの症状には、次の3つがあります。
同じ人でも同時に複数の症状が出ることがありますが、これは、その表皮が作られたときに食べものが関係している
からです。アトピー体質を予防したり改善する食べものや食べ方の基本関しては別に述べます。

① 患部がカサカサしてかゆいとき
  肉、卵、魚の食べすぎが原因です。
  背中やからだの右側に症状かでることが多く、かくと粉をふいたようになって皮膚が割れてきます。 (陽性)
  ● 内用手当て食  果汁や野菜ジュース、どくだみの煎じ汁などを飲みます。食事は陰性のものを多めに。
              あっさりした果物や夏野菜などもおすすめです。
  ● 外用手当て法 患部にしょうが油やどくだみ・よもぎの煎じ汁をぬります。

② 患部がジクジクしてかゆいとき
  砂糖と魚、この両方の食べすぎが原因です。
  ひざの裏、腕の内側、わきなど皮膚の柔らかいところにうみがでて、乾くと黄色くなります。 (陰性)
  ● 内用手当て食  大根おろし汁入り玄米スープやしいたけスープを飲みます。
              食事は陽性食に。塩けのきいたものがよいでしょう。
  ● 外用手当て法 表皮が水っぽいので、栗や松葉を濃く煮出した汁で締めてやります。
              よもぎの煎じ汁もおすすめです

③ 赤い発疹が出るとき
  大豆や卵、牛乳がアレルゲンとなっています
  かいても化膿しませんが、乾くと赤黒くなり、最後に白くなります
  ● 内用手当て食  大根おろし汁入り玄米スープやしいたけスープを。
              食事は中庸食にします。
  ● 外用手当て法 栗や松葉の煮汁を薄めてぬります。
              大根干葉湯、生姜湯も効果的です。大根やきゅうりの輪切りで患部をふいてもよい
                            大森一慧著「からだの自然治癒力をひきだす食事と手当て」より

「食のちから」

2012-04-09 | 食生活
食にかかわる仕事をし、食の何たるかは自分なりに充分実感していたつもりだった。
息子の事故を通し、生きるために切り離すことのできない「食」が
ひとにどのような作用をもたらすかということを、今回は窮地の自分で体感した。
無農薬だとか無添加だとか、それこそそんな当たり前なことが、意識しないと
手に入りにくい社会で、特にこだわりも無くはつらつと、心豊かに、幸福に生き通す人
は沢山いる。だから無農薬野菜を食べたからといって幸福の保証はない。
「食」はただふつーに食べているだけでも、それなりの満足、喜びを得るが、
ほんの少し何かを意識して食べると扉が開く。その扉はとてつもない世界に続く。
 阿弥陀くじを辿るように、はたまたサイコロ振ってすごろくを楽しむように
つぎの場面に移動して行くのが人生だとしたら・・・・たぶん”上がりはすべてよし”だ。
サイコロ振ってどんな目が出てもその場を楽しむ力が出るか出ないかは「食」にかかっている。

『すごい弁当力』佐藤剛史著を読んだら、更に「食」が鮮明に浮かび上がった。
○『弁当をつくる』 竹下和男(元香川県滝宮小学校校長、現・綾上小学校校長)
あなたたちは「弁当の日」を二年間経験した最初の卒業生です。
「親は決して手伝わないでください」で始めた「弁当の日」でしたが、どうでしたか。
食事を作ることの大変さが分かり、家族を有難く思った人は優しい人です。
手順良くできたひとは、給料を貰える仕事についたときにも、仕事の段取りのいい人です。
食材が揃わなかったり、調理を失敗した時に献立の変更が出来た人は工夫できる人です。
友達や家族の調理のようすを見て、技を一つでも盗めた人は、自ら学ぶ人です。
こまやかな味の違いに調味料や隠し味を見抜いた人は、自分の感性を磨ける人です。
旬の野菜や魚の、色彩・香り・感触・味わいを楽しめた人は、心豊かな人です。
一粒の米・一個の白菜・一本の大根の中にも「命」を感じた人は、思いやりのある人です。
スーパーの棚に並んだ食材の値段や賞味期限や原材料や産地を確認できた人は、賢い人です。
食材が弁当箱に納まるまでの道のりに、たくさんの働く人を思い描けた人は、想像力のある人です。
自分の弁当を「おいしい」と感じ「うれしい」と思った人は、幸せな人生が送れる人です。
シャケの切り身に、生きていた姿を想像して「ごめん」が言えた人は、情け深い人です。
登下校の道すがら、稲や野菜が育っていくのを嬉しく感じた人は、慈しむ心のある人です。
「あるもので作る」「できたものを食べる」ことができた人は、たくましい人です。
「弁当の日」で仲間がふえた人、友だちを見直した人は、人と共に生きていける人です。
調理をしながら、トレイやパックのごみの多さに驚いた人は、社会を良くしていける人です。
中国野菜の値段の安さを不思議に思った人は世界を良くしていける人です。
自分が作った料理を喜んで食べる家族を見るのが好きな人は、人に好かれる人です。
家族が手伝ってくれそうになるのを断れた人は、独り立ちしていく力のある人です。
「いただきます」「ごちそうさま」が言えた人は、感謝の気持ちを忘れない人です。
家族が揃って食事をすることを楽しいと感じた人は、家族の愛に包まれた人です。
滝宮小学校の先生たちは、こんな人たちに成長してほしくて二年間取り組んできました。
おめでとう。これであなたたちは、「弁当の日」をりっぱに卒業できました。
(『弁当の日がやってきた-子ども・親・地域が育つ香川・滝宮小の「食育」実践記』より引用)


    
冬も終わりかけ、鳥たちが「春がもうすくそこに」とつげまわり 

    
白鳥たちも シベリアに向けての旅の途中に立ち寄り しばし休憩を楽しむ

    
だが 彼岸が明けての 久しぶりの大荒れに ”男爵”も味わうかのように嵐の中で・・・・


        
大きな”かぶ”ではなく おおきな月に吸い込まれるように 飛行機が 
お月様の前でダンスをするがごとく 飛行機たちは 舞っています

「病気を治すな、体を治せ」

2012-04-05 | 食生活
   

 現代の生命
  体には先祖から受け継いだものに加え、個人として誕生以来の体験や感情が全て記憶されているものです。

  体にとって強い衝撃となる薬物、農薬等の化学物質、病気、怪我、精神的なストレスなどは全て、体内に
  物質となって残ります。

  硬結と呼ばれるこの物質は、体の特定の部位で塊りとなり、その個体の生命の質を低下させ続けることに
  なります。

  日本鍼術の歴史は、硬結との格闘の歴史と言ってもよいものです。

  硬結は古代から近代まで極柔らかいものでしたが、高度成長期を境に農薬や添加物、治療薬などの
  化学物質と結合し、鉱物状の塊りとなり体内に潜んでいます。

  現代人の体内に入った化学物質の集積物である硬結が、人体に与える影響は計り知れないものが
  あり、生命の質を高めるには硬結の排出が不可欠です。

  いのちの階段
  体のレベルには階段のように、いくつもの団塊があるものです。
  そのレベルが変化する際、体は一時に不安定な状態になることがあり、その時に全体のバランスを
  取るために現れる調整作用が病気でありその症状です。

  したがってこの調整作用を、体にダメージを与える薬物などで止めた場合、体のレベルは下の段階に
  落ちることになります。

  望まれるのは体のレベルが上がり、結果として病気も治る治療です。 

  古来より「病気治すな体を治せ」と言われる由縁です。

  治療が進み体の段階が高まるにつれ、空洞と硬結は縮小し、良性のものに変化していきます。

  その過程で硬結内の化学物質が排出される時には、一時的に症状の悪化や思いもよらぬ症状が
  現れることがありますが、いずれも体の段階が上がるときの調整作用ですから、体が良くなっていく
  指針として歓迎される現象です。

  この調整作用は反応と呼ばれ、体の段階が上がるためには不可欠であり、鍼では特に重視するものです。

                                          日本鍼術より

今年も冬よ さようなら








「高次機能障害」?

2012-04-05 | 食生活

息子の脳は『高次機能障害』という障害を負っているとカルテには記載されている。
事故から2週間経った頃からすぐにリハビリが始まった。
7階の病室から13階の晴れた日は富士山が見えるリハビリルームに行く。
「名前は?生年月日は?ここはどこですか?」毎日まず同じことを聞かれるが
墨東病院の名前はちっとも覚えられず「すごくいい病院です」と毎回言っていた。
日常会話の中では「スケボーで転んで頭打ってボクトー病院に運ばれたんだよ」
と繰り返し話しをするが「あ、そっかー。ふーん。覚えてないな・・・」大真面目に他人事。
けいこさんと私は、自分たちのことを思い出しただけで充分なので「病院の名前分からなくてもいいよね」と楽観視。
また、リハビリで簡単な数の暗算や文章を作るという問題には毎回ほとんど滅茶苦茶だったが
傍で見ているけいこさんも私もけっこう分からないことが多く、「こんなの分からなくても今まで生きて来れた」と楽観視。
だが自分のことは棚に上げ「ここまでアホか?この際もう少し何とかならないものか・・」と爪の灯ほどの希望を託す。
しかし、ここ半年一緒にすごす時間が多かったけいこさんが「すっかり元に戻った!もう退院できる」
と太鼓判を押すので「ま、あんたがよければ、、、」ということで、あとは野となれ山となれ。
さらに、「自分の質問の仕方がおかしいのか?」と反省までしてくれたリハビリの先生も、
「このひと、こういうひとなんです、このまんまのひとなんです、これでふつーなんです」とけいこさんの必死のフォローに
かしげていた首を起こし「ま、今後会社に就職するっていうのならもう少しって思いますが・・・」と自分自身を納得させる。
ちなみに、「畑、田んぼ」という言葉で何を連想しますか?」 の質問に
「まいにち声をかけると稲や野菜が大きく育ちます」と答えた。  先生の目は点だった。 母は「ハッハッハー!!」