三川鉱爆発事故が起きてから、今年で50年になるそうです。
あの時、私は久留米の石橋文化センターで「松方コレクション」の展示を見に行ってました。家に帰ったら、「大牟田に大ごつが起こってるのに遊び呆けて」と両親に叱られました。卓球を教えてもらっていた人が爆発事故で亡くなられていたのです。
大牟田市民の誰もがこの爆発事故で身近な人を亡くしたと思います。
「死体は炭じんで真黒やったけん、水道からの水をホースで掛けて洗い流して、弟を見つけたたい」とある先輩が話してくれました。
更にその後の一酸化炭素中毒患者とその家族の苦しみは痛ましく続き、
今も大牟田の「発展」を告発し続けています。
そうした中、慰霊碑建立の署名活動がされているそうです。
分裂した両組合の元組合員によって会が作られ
「市民みんなが手を合わせる場としたい」と呼びかけ、
取り組まれているそうです。
この活動を西日本新聞の記事で知り、
当時の事がどっと思い出されました。
沢山の方々にこの記事を読んでほしいと思い、
以下に全文を掲載します。
*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
三川鉱 恩讐超える慰霊碑 かって対立 元組合員団結
事故から五十年 建立へ署名活動
福岡県大牟田市の市民団体が、戦後最悪の炭じん爆発事故が起きた同市西港町の三井三池炭鉱三川鉱跡に、慰霊碑を建立するよう市に求めて、署名活動を始めた。市民団体は、長年にわたり対立してきた同炭鉱の旧労組と新労組の元組合員らで構成。今年は事故から50年の節目に当たり「市民みんなが手を合わせる場にしたい」と、恩讐を超えて活動している。
市民団体は「三池大災害の慰霊碑建立を求める会」。爆発事故は1963年11月9日に発生。458人が死亡し、839人の一酸化炭素中毒患者を出した。
三川鉱跡は現在、日本コークス工業(旧三井鉱山)が所有するが、大牟田市への無償譲渡を了承している。市は譲渡を受けて保存整備する方針。求める会は、全犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑の建立等を要望しており、6月にも署名簿を提出する。
三川鉱は大牟田の町が「会社側」と「労働者側」に二分された60年の三池争議の舞台。無期限ストに突入した旧労組と、生産再開を目指す新労組が分裂し、炭鉱マン同士が憎み、傷つけ合う事態にまで発展した。感情的なしこりは続き、現在ある慰霊碑も、新労組が大牟田市、旧労組が熊本県荒尾市と「二分」されているほどだ。
旧労組の元組合長、芳川勝さん(70)は「過去のいさかいにとらわれず大牟田の礎になった人々を弔いたい」。新労組の元組合長富安祐二さん(73)も「全ての人の冥福を祈る場にしたい」と話した。
(西日本新聞 御厨尚陽 2013/05/25号より)
あの時、私は久留米の石橋文化センターで「松方コレクション」の展示を見に行ってました。家に帰ったら、「大牟田に大ごつが起こってるのに遊び呆けて」と両親に叱られました。卓球を教えてもらっていた人が爆発事故で亡くなられていたのです。
大牟田市民の誰もがこの爆発事故で身近な人を亡くしたと思います。
「死体は炭じんで真黒やったけん、水道からの水をホースで掛けて洗い流して、弟を見つけたたい」とある先輩が話してくれました。
更にその後の一酸化炭素中毒患者とその家族の苦しみは痛ましく続き、
今も大牟田の「発展」を告発し続けています。
そうした中、慰霊碑建立の署名活動がされているそうです。
分裂した両組合の元組合員によって会が作られ
「市民みんなが手を合わせる場としたい」と呼びかけ、
取り組まれているそうです。
この活動を西日本新聞の記事で知り、
当時の事がどっと思い出されました。
沢山の方々にこの記事を読んでほしいと思い、
以下に全文を掲載します。
*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
三川鉱 恩讐超える慰霊碑 かって対立 元組合員団結
事故から五十年 建立へ署名活動
福岡県大牟田市の市民団体が、戦後最悪の炭じん爆発事故が起きた同市西港町の三井三池炭鉱三川鉱跡に、慰霊碑を建立するよう市に求めて、署名活動を始めた。市民団体は、長年にわたり対立してきた同炭鉱の旧労組と新労組の元組合員らで構成。今年は事故から50年の節目に当たり「市民みんなが手を合わせる場にしたい」と、恩讐を超えて活動している。
市民団体は「三池大災害の慰霊碑建立を求める会」。爆発事故は1963年11月9日に発生。458人が死亡し、839人の一酸化炭素中毒患者を出した。
三川鉱跡は現在、日本コークス工業(旧三井鉱山)が所有するが、大牟田市への無償譲渡を了承している。市は譲渡を受けて保存整備する方針。求める会は、全犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑の建立等を要望しており、6月にも署名簿を提出する。
三川鉱は大牟田の町が「会社側」と「労働者側」に二分された60年の三池争議の舞台。無期限ストに突入した旧労組と、生産再開を目指す新労組が分裂し、炭鉱マン同士が憎み、傷つけ合う事態にまで発展した。感情的なしこりは続き、現在ある慰霊碑も、新労組が大牟田市、旧労組が熊本県荒尾市と「二分」されているほどだ。
旧労組の元組合長、芳川勝さん(70)は「過去のいさかいにとらわれず大牟田の礎になった人々を弔いたい」。新労組の元組合長富安祐二さん(73)も「全ての人の冥福を祈る場にしたい」と話した。
(西日本新聞 御厨尚陽 2013/05/25号より)