1955年に福岡県田川市に完成した立坑の<生涯>を記録した
『筑豊 伊加利立坑物語』(木知谷刊)が出版されたそうです。
伊加利立坑(いかりたてこう)を技術面から記録したものだそうです。
著者はテレビ西日本の元ディレクター馬場明子さん。
「伊加利立坑の生みの親」に再会したことがそのきっかけ。
何度も会って取材を重ねたそうです。
「生みの親」・武安義勝さんは91歳。
大牟田市のお隣、みやま市にお住まいだそうです。
伊加利立坑は田川閉山の翌65年に三井三池坑に炭鉱に移設され
港沖立坑となり、97年の三池閉山まで働き、
その後―解体―ーー
芸術家の川俣正さんによる
アートブロジェクト「コールマイン田川」によって
立坑部材の一部がモニュメントとなり
今、田川市美術館に残されているそうです。
(2014年1月20日 西日本新聞・井上俊作 「人物現在形」欄より)
『筑豊 伊加利立坑物語』(木知谷刊)が出版されたそうです。
伊加利立坑(いかりたてこう)を技術面から記録したものだそうです。
著者はテレビ西日本の元ディレクター馬場明子さん。
「伊加利立坑の生みの親」に再会したことがそのきっかけ。
何度も会って取材を重ねたそうです。
「生みの親」・武安義勝さんは91歳。
大牟田市のお隣、みやま市にお住まいだそうです。
伊加利立坑は田川閉山の翌65年に三井三池坑に炭鉱に移設され
港沖立坑となり、97年の三池閉山まで働き、
その後―解体―ーー
芸術家の川俣正さんによる
アートブロジェクト「コールマイン田川」によって
立坑部材の一部がモニュメントとなり
今、田川市美術館に残されているそうです。
(2014年1月20日 西日本新聞・井上俊作 「人物現在形」欄より)