大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

「石炭今昔三池かるた」 の三井化学

2014年02月11日 13時32分23秒 | 日記
「石炭今昔三池かるた」にも「三井化学」があります。
かるたの最後「ん」の札です。「ん」で始まる言葉はないはず。
何で?「ん!?」とうまく使われています。

「ん!? 空気も原料 三井化学」です。

 解説には――「かって三井化学は、空気中の窒素(ちっそ)を原料に尿素を作っていました。つくられた尿素は肥料として販売され、日本の食糧増産期に大きく寄与しました。
かるたに描かれている機械はアンモニア合成機です。40キロ入り硫安の袋に描かれている東洋高圧と言う名前は、三井化学の前身の一つです。
 現在(平成18年当時)も工場敷地にある九州工業ガスという会社が液体窒素や液体酸素を作っています。」とあります。
ーーー染料→肥料~~「XDI大型プラント」への道筋はまだ見えてきません。
液化やガス化という技術はすごいです。
大牟田川の事を思えば、自然汚染公害の課題への取り組みも大きいと思います。
 

 三井化学のホームページには、三井化学大牟田工場の100年歴史が整理されています。写真やラベル等の紹介もあります。

<三井化学大牟田工場の100年の歴史>
    1945-1955年の一部より

「日本の戦後復興の柱は石炭及び鉄鋼の増産であったが、食料危機打開のために化学肥料の増産も国策として打ち出されていた。
硫安の増産工事中に空襲を受けた大牟田工場は、被災を免れた資材を活用しながら懸命に努力して、1945(昭和20)年11月には早くも生産再開にこぎつけた。
その後も原料不足や特殊機器の入手難などの様々な困難に直面したが、労使一体となって可能な限りの増産に傾注した。
 しかし硫安増産には原料の硫酸が不足していたため限界があり、アンモニアと炭酸ガスを合成して製造する化学肥料「尿素」の量産が望まれていた。
東洋高圧工業は国の勧奨のもと、1948(昭和23)年に世界初の尿素の大量生産工場を北海道に完成させ国内外から注目を浴びた。
その後さらに機器の材質や構造、製造プロセスなどを改善し、1950(昭和25)年に改良法による尿素製造設備を大牟田(横須)に建設した。
増産と普及に成功した尿素は国内に留まらず、1951(昭和26)年以後、ハワイ、北アメリカ、台湾、中国、韓国などに市場を開拓し、輸出量も急増していった。」