「戦時中の疎開児童に宛てた家族の手紙を集めた【手紙をで見る学童疎開】展が、小竹町の〔兵士・庶民の戦争資料館〕で開かれている」そうです。
「企画展では、東京から宮城県内に疎開した国民学校5年の男児に父母らが出した手紙22通、はがき12通のコピーを展示。1997年ごろ、この男児の娘にあたる女性(糸田町在住)から寄贈された」ものだそうです。
「父親からの手紙には、『数學(学)の試験(シケン)よく出来(デキ)ましたね。何をお年玉(トシダマ)にあげましょうか』など、息子が読みやすいよう読みがながふられている。母親は『セエターは寒い時(トキ)學校の服の下へ着なさいね』と東北の寒さを心配して」、書かれているそうで、、、涙が溢れたことでしょう。
「武富慈海館長(73)は『約1年間で30通以上を出しており、細やかな愛情を感じる。当時の庶民の暮らしについて触れて戦争について考えてもらえれば』と話」されています。「8月28日まで開催」されるそうです。
〜この学童疎開中、東京は大空襲で焼け野が原となり、学童疎開児の多くが戦争孤児となって苦境に陥ります。戦争の惨禍が続いていきます。ウクライナ侵攻もまだ続いています。
(下:2022年8月11日 朝日新聞〈戦後77年〉欄−神谷裕司「疎開児童思う家族の手紙 小竹の「資料館」28日まで展示」より)