アメリカ横断ルート 黄色:宿泊地、 緑色:経由地
昨日は、足腰の弱った伯母さんを自宅に見舞ってきたのですが、 仏壇やTV、テーブルの置かれた居間の椅子に座り込んだまま一日の大半を過ごす伯母は、自分の身体を寝室のベッドからその居間へ移動させるのが一仕事状態になってしまったそうです。 座り込んだテーブルの上、手の届く周辺に飲料水、ティッシュBox、、薬、筆記具、使い古した乾電池、郵便物、タオル、等〃で溢れかえっている。 居間の中を平面図的に眺めたら、玄関から通じる入口の襖から、台所とつながる襖まで辛うじて人間が歩く幅の空きスペースが確保されているものの、他は全て物が置かれて、空きスペースが無い。 だから介護ヘルパーさんが来ても、部屋の掃除なんてやりようが無いだろうてな感じだ。
かく言う、僕の部屋も実態は似た様なもので、ガラクタを詰めたダンボール箱で溢れかえっています。 なかには旅先から持ち帰って地図や観光案内のパンフレットが入っているものが幾つか有ります。 いずれ整理して処分しなくちゃならないのに、なかなか捨てる気分にならず、一方的に増えていくだけなのです。 でも人生の全体の中でみたら、そんな他人にとってのガラクタ的な物は整理・処分をしなくちゃならない時期に来ている、とも感じています。 4年前(2006年)3月19日アメリカ大陸横断ドライブに旅出った日です。 その旅行資料もダンボール一箱に入れられて、押し入れの一部を占拠しています。 そんな事で、これから3週間ほど日を追って、レンタカーによるUSA大陸横断の旅の様子をこのブログに書いてみます。 書き終わったら段ボールごと関係するパンフレットなどは捨てましょう。
< アメリカ大陸横断-1 >
2003年(60歳定年の一年前)に教習所に通って普通車/マニュアルの免許を取った僕は、いつかはアメリカ大陸を運転して横断してみたい夢に取りつかれました。 2005年の9月には山の会の仲間に大陸横断ドライブを提案して、アメリカへドライブ旅行に出かけました。でもその時の参加者は「大陸横断」にこだわる人が少なくて、 ドライブルートは西海岸側の国立公園巡りに変質してしまいました。 しかし、その旅で左ハンドル車やアメリカの交通ルールにも慣れたし、旅の宿モーテルの様子も判ったし、交代で運転してくれる仲間も居たし、良い予行演習になりました。 その「予行演習効果が薄れない内に・・・」と思って、半年後のこの時期にアメリカ大陸横断ドライブを「一人でも決行する」と決めたのです。 その頃は定年後の雇用延長で働かせてもらっていましたから、長期の休みは、やはり5月のゴールデンウイークに引っ掛けざるを得ない事情もありました。 航空券の値段が4月20日以降は値上がりするので、4月19日出発の理由はそんな所にも有りました。
なにはとも有れ、成田空港を夕刻する便でロスアンゼルスに向けて出発しました。 「貴方を一人で行かせるのは危険だ!」との同行理由を付けた妻との二人旅の始まりです。
昨日は、足腰の弱った伯母さんを自宅に見舞ってきたのですが、 仏壇やTV、テーブルの置かれた居間の椅子に座り込んだまま一日の大半を過ごす伯母は、自分の身体を寝室のベッドからその居間へ移動させるのが一仕事状態になってしまったそうです。 座り込んだテーブルの上、手の届く周辺に飲料水、ティッシュBox、、薬、筆記具、使い古した乾電池、郵便物、タオル、等〃で溢れかえっている。 居間の中を平面図的に眺めたら、玄関から通じる入口の襖から、台所とつながる襖まで辛うじて人間が歩く幅の空きスペースが確保されているものの、他は全て物が置かれて、空きスペースが無い。 だから介護ヘルパーさんが来ても、部屋の掃除なんてやりようが無いだろうてな感じだ。
かく言う、僕の部屋も実態は似た様なもので、ガラクタを詰めたダンボール箱で溢れかえっています。 なかには旅先から持ち帰って地図や観光案内のパンフレットが入っているものが幾つか有ります。 いずれ整理して処分しなくちゃならないのに、なかなか捨てる気分にならず、一方的に増えていくだけなのです。 でも人生の全体の中でみたら、そんな他人にとってのガラクタ的な物は整理・処分をしなくちゃならない時期に来ている、とも感じています。 4年前(2006年)3月19日アメリカ大陸横断ドライブに旅出った日です。 その旅行資料もダンボール一箱に入れられて、押し入れの一部を占拠しています。 そんな事で、これから3週間ほど日を追って、レンタカーによるUSA大陸横断の旅の様子をこのブログに書いてみます。 書き終わったら段ボールごと関係するパンフレットなどは捨てましょう。
< アメリカ大陸横断-1 >
2003年(60歳定年の一年前)に教習所に通って普通車/マニュアルの免許を取った僕は、いつかはアメリカ大陸を運転して横断してみたい夢に取りつかれました。 2005年の9月には山の会の仲間に大陸横断ドライブを提案して、アメリカへドライブ旅行に出かけました。でもその時の参加者は「大陸横断」にこだわる人が少なくて、 ドライブルートは西海岸側の国立公園巡りに変質してしまいました。 しかし、その旅で左ハンドル車やアメリカの交通ルールにも慣れたし、旅の宿モーテルの様子も判ったし、交代で運転してくれる仲間も居たし、良い予行演習になりました。 その「予行演習効果が薄れない内に・・・」と思って、半年後のこの時期にアメリカ大陸横断ドライブを「一人でも決行する」と決めたのです。 その頃は定年後の雇用延長で働かせてもらっていましたから、長期の休みは、やはり5月のゴールデンウイークに引っ掛けざるを得ない事情もありました。 航空券の値段が4月20日以降は値上がりするので、4月19日出発の理由はそんな所にも有りました。
なにはとも有れ、成田空港を夕刻する便でロスアンゼルスに向けて出発しました。 「貴方を一人で行かせるのは危険だ!」との同行理由を付けた妻との二人旅の始まりです。