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静岡だけ?

2020-05-24 | 静岡関連
葬儀のやり方はその地方によって、宗派によって様々なようですが

故郷、静岡を離れて50年、その間こちら(東京、神奈川)での葬儀に出ることのほうが多く
これが当たり前だと思っていましたから、故郷での葬儀にはもうびっくりの連続でした。

高3の時、祖母を亡くしましたが、お寺と火葬場くらいしか覚えていなくて
その後、夫の母親、つまり姑ですが、確かその時も東京と同じようにやったような
いや、やはり覚えていない・・

そして実母の葬儀です。

これはさすがに母親のことですからはっきりと覚えています。

とにかくすごい人数の参列者、長年同じ場所で商売をしてましたから、町内会の方
母方の親戚、これがすごかった・・何十年ぶりに会う人ばかり
父方の親戚も・・名前もわからない人たち・・もちろん長男夫婦は知ってましたけど

それに私たち兄弟、その連れ合い、子供たち(母の孫)その子供たち(ひ孫)
総勢何人だったのか

通夜は葬儀場に僧侶が来てくれて行われます。

その時ですが、東京や横浜で酒類や寿司などを出すような通夜ぶるまいと言うそうですが
そういったことは一切なし
わざわざ遠方から来てくださった方にも何も、お茶の一杯も出ません。

母の時なんか、東京から義姉が来てくれたのですが、正直心苦しかったです。

翌日の葬儀ですが、あさ一で僧侶が来場、出棺のための読経、焼香、これはほとんど身内だけ
そして出棺、ここで遺体と最後の対面、お別れです。

霊柩車に乗せて火葬場に・・約1時間半くらい待ちますが、助六寿司などの軽食が出ます。
ここでも親族とかなり親しかった方だけですが

骨を拾います。

その後、葬式になります。

実家は菩提寺で行いましたが、その家によっては通夜会場に戻り、そこに僧侶がみえて行う
それもあるようです。

葬式には火葬場には来なかった親しかった人たちやご近所さんも列席
葬儀のやり方はその宗派によって違いますね。

私なんかできればここで音楽葬にしてもらいたいとひそかに思っているのですが

そしてお決まりの初七日法要、実家の寺では参列者者全員がいったん山門の外に出て
再び入り、本堂に向かうと言う、なんだかよくわからないけど
そういうしきたりなんだからやらなくてはいけません。

横浜では、葬儀の読経、焼香が終わるとそのまま初七日法要に入ることが普通ですが
こうして一旦席を外すと言うのも、けじめとしてはいいことなのかもしれません。

そしてここからが驚きです。

母の時もそうでしたが、初七日法要が終わるとそのまま墓に向かいます。
そしてすぐに納骨
何が普通かわからないけど、普通はお骨を持ち帰って49日まで家の祭壇に置いて
毎日手を合わせます、が、
葬儀が終わった後自宅のほうに弔問に来てくれた方、遺骨がない状態でお参りです。

知人の中にはご主人を若くして亡くして、遺骨と別れるのが辛いと49日過ぎても自宅に置いたまま
なんて人もいました。
ほんとに人それぞれ、宗派それぞれ、なのです。

まだ終わりませんよ、ここからです。

納骨が終わると、通夜をやった斎場に戻り、精進払いを行います。(七日の払いという)
お通夜の時、その席に出る方を確認するのですが、母の時はそれはすごかった。
まるで結婚式の披露宴並みでした。

私の結婚式だってこんなにいなかったよ、ってくらいすごい人数
その全員に、これまたフルコースのような料理が出ます。
母の時はこれだけで?百万かかったって義姉が言ってました。

このために別お香典をいただくわけではないので、中には赤字になる方も多いそうで
すごく下劣なことを言わせてもらえば、通夜だけに来てくれて、高額香典をくださった方には
大変申し訳ない、信じられない習慣なのです。

そういえば、夫の兄の時はフランス料理のフルコースでした。
義姉はどうも葬儀屋の言われるまま、そういうことになったらしいです。

まあ、身内はともかく、列席者の中には「ケチだったね」などと陰口を言う人もいるらしいから
あまりケチってはいけないそうですが、大変なことです。

もちろん、その帰りには引き出物も渡します。

お通夜や葬儀の時、受付で渡してるのだからいいじゃないと思いますが
そうはいかないらしいです。

こんなことだからお葬式にはお金がかかります。

母の時は、まだ商売やってましたし、兄夫婦も健在でしたから、
その後の生活に支障があったわけじゃないからいいのですが
まだ教育費のかかるようなお子さんを残してご主人を亡くされた方などにとったら
とんでもない風習です。

今回の兄の場合ですが、大勢で集まっての酒席はだめですから
お一人お一人にそれなりのお弁当と引き出物を用意しました。

私たち横浜組は、義姉の希望で、実家に寄り、姪たちと初めての食事をしました。

義姉と姪が選んでくれたお隣のビルにあるフランス料理屋のお弁当でした。



もちろん窓は全開で、兄の思い出話が尽きませんでした。

夫は三密だ、三密だと言っては、常に一人離れておりました。
東京に電車で行くより安全だと私は思ったのですが・・

こんな感じで兄の葬儀は無事終了しました。

その後の義姉ですが、二人の姪と高校生孫のAちゃんが交代で泊っているようで
食欲もあり安心しました。
でも、本当の寂しさはこれからだと思います。
近ければねえ・・しょっちゅう話し相手に行くことができるのに

姪から49日法要の日程が知らされました。

そのころにはコロナも去って(無理かなあ)落ち着いてくれたらいいけど

いよいよ明日、残りの1都1道3県が宣言解除になるようです。
テレビを見ていても、もうすっかりコロナの存在を忘れているかのような会話
「やっぱりデパートはスーパーとは違うから」と嬉しそうな奥様
居酒屋でカンパ~イ!している若者

う~~ん心配だなあ これで第2波が来てしまったら、その時はその時
今を楽しむんだ、なのでしょうか

個人的にはまだまだ安心などできません。

本当に安全なワクチンができて、治療薬もできて、そこまでいかないと
いつのことやらですけど、
今後も、不要不急は要注意、必要緊急も細心の注意を払って行っていきましょう。

県知事、全職種で解除ってことはスポクラも再開?
いや、まだ怖いですね。
ぼちぼち新しいジムを探すことから始めたいと思います。

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