・・・日本の古代史のエッセイ本を読んでいて、表記の主題のエッセイを紹介する。
日本列島の人口は12000年前の氷河期の後、増加していった。
4500年前の縄文時代中期に、全国人口30万人越えのピークに達し、その後急速に減少していったらしい。
当然ではあるが、人が生きていくためには、常にその人口を支える、食料の生産量が関係している。
縄文時代中期に人口が一つのピークを迎えた理由は、気候が温暖で安定したいたこと、そして、重要なことは縄文人が、土器を使ったことにより、ドングリを煮沸して、アクをとって食料にしたことである。
主に、秋、冬、初夏まで樹木が葉を落とし食物が繁茂し、動物が増えたことが、人口増の原因だった。
それは、中部・関東を中心とした東北地方が人口の95パーセントを占めた。
しかし、西日本は常緑樹が茂っていて、そんなに動植物が住んでいなかった。
しかし、紀元前6000年ころから、温暖から、寒冷化に気候が向い、縄文人の生活に打撃を与えたらしい。
弥生時代が始まるのは紀元前700年くらい前くらいからで、海洋技術の発達により、西日本に、稲作と商業という新しい社会形態が起こり、東日本の縄文社会と、列島を二分化し、稲作により、列島の人口は西日本を中心にいっぺんに爆発的に増加した。
古代史の研究によると、縄文時代に一度減った列島の人口は、弥生から、奈良時代の千年の間に、爆発的に増えたが、その多くは大陸からの、移民で、その数、約百万人であったと云われている。
この時代に、体格、人相などの弥生系と縄文系の二系統の現代日本人の形質が形成されたと云われている。
今、新しい移民を外国から、大量に受け入れると、世界的に見て、体力的に、非力な現代の日本人の形質が改善されるのかもしれない。