伊能忠敬が日本地図を完成したのが、江戸時代末期なので、それまでの日本地図は不正確な地図でした。
先日、インタネットニュースに「江戸時代初期のイタリア地図での日本」が掲載されていた。
この地図を見て面白いのは、この時代に、西欧諸国が、日本のどの場所に興味をもって、情報として知っていたかという事が分かるからです。
例えば、赤い線で囲ってある場所は「江戸、都(京都)、平戸、種子島」と書いてあります。
この場所に、西洋人は興味を持っていたという事です。
また、京都は大阪湾が京都まで入り組んで、海が続いているように地図は書かれている。
これは、当時の交通は、大阪から京都に行くのは船で淀川を使って行けたから、そう地図に書いたのであろうと思われる。
また、平戸も地図上は島になっている。これも、伝え聞いて書いたから、そうなったのだろうと思われる。
種子島も鹿児島近辺で唯一地名が書かれた西洋人に知られた場所になっている。
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