ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

ボタ餅

2020年09月14日 06時11分24秒 | グルメ

・・・子供の頃、おいしかった食べ物はというと「ボタ餅」を思い出す。

  私は、三人男兄弟がいたので、おふくろさんは大きなパレット一杯のボタ餅を作ってくれて、それを腹いっぱい食べた覚えがある。

  さて、私は、今も、マンジュ屋さんや、スーパーで、ボタ餅を見つけると無性に食べたくなる。

  

  ボタ餅にも、餡子の種類、餡子の着け方、甘さ、そして、中でも一番大事なのはもちごはんの状態、少し餅ぽっくなったのがおいしい。
  そして、一日置いて、餅が少し硬くなったくらいのがおいしい。

  今、いつも買ってきて、食べているのは、上の写真のぼた餅です。
  近くのスーパーのお菓子売り場に置いてあって、一週間に一度くらいの割合で買ってきて、食べている。

  ただ、このボタ餅で不満な点は、母親が作ったボタ餅に比べて、あまりに大きさが小さいことです。

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子供の頃に見た老人の話

2020年09月13日 11時32分10秒 | 周りの人

・・・昨日、「人生、100歳時代」の話を書いたが、その折、子供の頃に見た年寄り老人の様子を思い出した。

   育ったのは、大阪の昔からの町で、小学校低学年の頃、学校から家まで、寄り道をしながら帰っていったときに、道の脇で、椅子に座って通りを通る子供と話をする老人がたくさんいた。
   その一人が、「私は慶応生まれで、日露戦争に従軍した」という男性がいた。
   その老人は、我々子供に、右手の人差し指が欠けていて、戦争で亡くしたと話しながら見せてくれた。

   また、我が家の場所が京都~大阪の幹線道路近くだったので、「私は鳥羽伏見の戦いで、兵士が通るのを見た」という、高齢の老人の体験談も聞いたことがあった。
   昨年は戊辰戦争から150年というイベントがあったので、当時90歳近い老人が生きていたら、その話は、嘘ではないように思う。

   私の祖母も、明治初年の生まれで、私が小学生のころ亡くなった、
   しかとは記憶は多くないが、父が三男だったので、年に数回、我が家に遊びに来て、一か月くらいは滞在していた。
   毎朝、起きると、南向きの縁側に出て、彼女は、太陽に向かって、手を合わせていた。
   家のだれもやらない作法なので、幼なかった、私に強く記憶に残っている。

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「センテナリアン」

2020年09月12日 11時02分53秒 | 新聞・ラジオ・テレビ

・・・標記の「センテナリアン」という言葉は「一世紀を生きた人」という意味だそうです。

   最近、報道などで、よく「人生100年時代」と言われていますが、ちょっと大げさなと思っていましたが、日本人の寿命は「2007年生まれの日本人の半数は107歳まで生きる」という予測があるそうです。
   「人生100年時代」はまんざら嘘ではなさそうなのです。

   自分の子供のころ、近所に住んでいて、1日中、何もしないで座っていた高齢の老人の記憶と、その老人とほぼ同じ年の自分を含めた今の老人が元気に出歩いている現実と比べると、そのギャップ年齢が、なぜなのか不思議で仕方がなく気になります。
   それは、子供の頃の不確かな記憶と、現実に自分を見つめる目とのギャップによる為かなと、推測してみたりしていました。

   そこで、実際のデーターを調べてみました。
   1957年の日本の平均寿命を調べると、女性が67.7歳、男性が、63.2歳でした。
   2019年の日本の平均寿命を調べると、女性が87.4歳、男性が、81.4歳で、この62年の間に、約20才平均寿命が延びていました。
   平均寿命が延びたのは、医療技術の進歩だけでなく、上の数字の60年、日本には戦争がない、平和で豊かな時代が続いたことが平均寿命が延びた理由らしい。

   自分の子供の頃の老人の記憶(多分、その人は70歳くらいだったと思うが、今の周りの人の感覚でいうと90歳くらいの外見)と現状の平均寿命のギャップ年齢とは、数字的にも、よく合っているように思います。

   

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コロナも落ち着いてきたようです

2020年09月11日 18時48分44秒 | 新聞・ラジオ・テレビ

・・・毎日、新聞の朝刊の新型コロナウィルス感染者数を新聞ランで確認している。

   昨日の報道では、新しい感染者数は、全国で281人、東京で77人、大阪で45人、京都で8人、愛知で21人でした。
   一時に比べると、格段に少なくなっているようです。名古屋市のデーターで、感染者別発生個所では、7月では飲食店が多かったのが、8月では、家庭内が一番多くなっています。

   経済活動との両立を考えるれば、コロナウィールスを治療する薬ができないと、今以上の水準に、コロナ感染者数を抑え込むのは大変だろうと思います。
   そうなると、薬の開発が実現するまで、今年中はこの調子が続くと思わなくてはならないようです。

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自転車の修理

2020年09月10日 05時53分32秒 | 自転車

・・・家には自転車が三台あります。一台は娘が通学で乗っていたママチャリ、これは畑への行きと帰りの荷物運びに乗っています、
  もう一台は一番新しい高級クロスバイクで、なじめなく、ほとんど乗っていません。

  そして三台目は、昨日、修理していた長年愛用の古いクロスバイクです。
  
   

   この自転車が一番気に入っています。
   廃車にしても良さそうな自転車ですが、乗りなれていて、とても気に入っています。

   最近、よく後輪がパンクするので、チューブを取り換え、全体を掃除し、汚くなったところを色を塗りなおしました。
   しばらくは、乗れそうです。

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纏向遺跡は邪馬台国だと思う

2020年09月09日 16時05分04秒 | 日本古代史

・・・先日、ここで紹介した邪馬台国九州説というのは、「ヒミコという女王の国、邪馬台国は北九州にあって、魏の国に朝貢していた。 そして、偶然、同じころ、邪馬台国とは関係なく、三世紀から四世紀初めにかけて奈良の巻向に、その時代にあっては、全国最大規模の大きな国があった、そして、後に大和朝廷になっていった」という考え方です。

   魏志倭人伝に書かれている卑弥呼は北九州にあった小国、邪馬台国の女王の事で、奈良の纏向は魏の国には詳しく知られていなかった、という話も、ひょっとしてあるのかのもと思ってしまいます。

   今日一日、自宅にあった纏向遺跡の資料を改めて見直していて、改めてやっぱり邪馬台国は奈良の、纏向にあったのだと思いました。

   

   纏向遺跡を人という字の形に縦断した運河(上図の赤線)が作られていた。

   古墳の工事は、この運河によって資材が運ばれたことが、平面図で想像できる。

   

   上の写真は発掘時のものです、実際に発掘で確認された大溝運河の交差点から、箸墓古墳に向かっている(推定)のが分かる。

   
   大溝は板で岸を補強した護岸工事がされていた。

   纏向遺跡の最近の考古学の新しい知見で、100メートル近い前方後円墳が、邪馬台国が存在した三世紀中ごろに五基以上も作られています。 
   また、物資や資材の運搬等に使われた大規模な運河が三世紀初めころ造られている、など、これらの土木工事は、日本の奈良で発生したクニが単独の土木技術で作られるものではないと思った、きっと中国や朝鮮半島から来た技術者の影響が考えられる。
   と言う事は、纏向遺跡と中国の魏や、朝鮮半島の国と無交渉ではなかったと思う。

   やはり、邪馬台国はどう考えても、奈良纏向遺跡だったと考えざるを得ない。

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台風の影響

2020年09月08日 07時04分55秒 | 果樹栽培

・・・自宅は、台風の暴風県から外れていましたが、
  台風の中心が朝鮮半島に行った頃からが、自宅近くでは、風が強くなった。

  風の影響でリンゴが落ちてないか心配で、後で、見に行った。
  数個、木の下に、落ちていただけで、強風の影響はなかったが、リンゴにかけてあった袋がかなりの数、飛ばされていた。

  

  上の写真は台風が来る前であるが。
  飛ばされた袋をひらって、また、袋掛けをしておいた。

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台風予報精度について

2020年09月07日 07時52分13秒 | 新聞・ラジオ・テレビ

・・・台風予報はむつかしい。
  素人ながら、色々と考えてみた。

  台風が来るので、風と雨が史上最大の台風が来るとテレビで騒いでいる時は、厳重に対策していると、テレビの台風予報で言っていたほど、ひどくなかったりすることはよくある事です。

   一つはシミュレーション対象としては、台風は、時系列的にとても早く変化するので、少しの計算誤差が、予報時点よりずれると、すぐ誤差が大量に蓄積して、大きな予報の変化となってしまう。

  もう一つは予報を利用する立場から言うと、観測者が距離が離れた、予報呼称地点と少し違う場所にいると、台風から受ける印象が大きく違う。
  つまり、予報の呼称計算区画と観測者の場所が少しづれると、雨が降るはずが降らなかったりする。

  この問題はコンピューターがさらに、今より、大容量・かつ速く、処理できれば解決できるはずですが、これも求める精度次第で、いつまでも永遠に続く問題のように思う。

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市民大学講座に行ってきました

2020年09月06日 08時24分12秒 | 暮らしの出来事

・・・市民大学講座に行ってきました。
   出席している人の年齢層は60から80歳くらいです。

   内容は英会話です、今更、と思いますが、人と交わることと、定期的に、外に出かける生活のリズムも欲しくて出席しています。

   先生は40歳半ばの女性で、講師の雑談の中から、違う年代の世界を垣間見れるのも刺激にはなります。

   今回は半年ぶりに出席しましたが、コロナ対策で、とても広い教室にまばらに座って、聞いているだけなので、授業そのものは、あくびが出るだけですが、雰囲気や雑談の中で、久しぶりの刺激を受けました。

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週末の朝食用のパン

2020年09月05日 08時34分13秒 | パンつくり

・・・週末の朝食用にパンを焼きました。

   私が育てているリンゴの王林は収穫期が近いのか、台風の風の影響によって実が落ちていた、
   その中で、使えそうなものを5個くらい使って、細かく切って、砂糖とレモン汁とで煮込み、
   パン生地に層状に挟み焼いた。
   パンは家にある、薄い鉄板のケースを使って、焼き上げました。
   設定温度は電気オーブンで、180度18分で焼きました。

   

   

   土曜日の朝食で食べましたが、美味しかったです。

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日本の首相を選ぶ方法

2020年09月04日 05時56分00秒 | 新聞・ラジオ・テレビ

・・・ここのところ、新聞を開いたり、テレビを見たりすると、見たくもない自民党の総裁選を見せられている。

  国民の知らない、訳の分からないところで、総裁に立候補していない人が、なぜか出てきて、
  その人が、自民幹部に都合がよかったので、首相になることが確実視されているという政治茶番劇は、見ている人には腑に落ちないと思う。
  実質、今の日本では、首相を選ぶと言う事は、自民党の総裁を選ぶと言う事になっている。
  したがって、この時点で、国民の選択願望と選ばれる首相とは、結果が離れてしまう。

  自民党の総裁を選ぶ方法を決めるのは、自民党の幹部会である。
  したがって、自民党の幹部会で、日本の首相を選んでいることになる。

  これは少しおかしくないだろうか。
  日本の首相を選ぶ権利があるのは国民だと思うが、自民党の幹部会にその権利があるのですか。
  従って、国民が自民党に多数を与えることは、自民党の良く分からない一部の幹部会に首相を選ぶことを白紙委任していることになるのです。

  これは何とかしなくては、日本の首相を選ぶ仕組みに、選ぶ時点で、国民の意思が入るような、仕組みにするべきです。

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俳句

2020年09月03日 06時10分22秒 | 新聞・ラジオ・テレビ

・・・新聞文化欄に俳句を英語に訳したものを対比して解説付きで月一回くらいの割合で掲載されているのを、毎回楽しみにしている。

   

   上に載っているのは先回掲載の芭蕉の句で、解説を読むとこの句に含まれる平家物語の悲しい物語の逸話や俳句が読まれた明石という土地の風景が見えてくるが、英語に訳するだけでは、直訳だけに、元の句より情報が少なく、何とも、そのバックを読み取る手立てがない事が分かる
   英語翻訳はむつかしいことがよく理解できた。

   さて、芭蕉はこの句の前書きに明石に泊まって詠んだ歌と書いているらしい、しかし、解説によると、本当は芭蕉は泊まっていなくて、平家物語の中で書かれている、明石での建礼門院の逸話を連想させるために、彼が明石に泊まったと前書きしたらしい。
   建礼門院が壇ノ浦から、京都に罪人として、運ばれる途中、明石で、泊まった時に、まどろみ中で、壇ノ浦で亡くなった平家一門の人々や、我が子の安徳天皇を思い出している光景を、この句の副題にするために、芭蕉は泊まりもしない明石に泊まったと前書きに書いたそうだ。

   そして、建礼門院が明石でのまどろみの中での平家一門の栄華のハカナサをこの俳句の下敷きに置き、句の中では、明日の命がない、タコがタコつぼの中で月を見る光景を書くことより、ユーモラスと巧みな情景描写が素晴らしいという句だそうです。

   英語の翻訳の拙さに比較して、なおさら芭蕉が俳句にたくさんのことを盛り込んだ技巧の巧みさがよく理解できました。

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形の良い雲

2020年09月02日 05時42分31秒 | 暮らしの出来事

・・・夕方の散歩は厳しい暑さを考えると、どうしても日没直前になる。

  今のような良い天気が続くと、形の良い雲が毎日のように見られる。

  

  最初は雲の形が、何か人の顔に似ているのではと眺めていました。

  

  色もそうですが、雲の形がくっきりとして美しい。

  

  形の良い雲を見ると、10年ほど前に訪れたローマのシスティーナ礼拝堂に描かれていた壁画(👆)を思い出します。

  

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「邪馬台国と大和朝廷」

2020年09月01日 16時25分35秒 | 日本古代史

・・・最近、「邪馬台国と大和朝廷」という題の本を読んでいた。

   著者は古代史を史学の立場から研究される方なので、私の様な、考古学的な考え方の人間とは味付けの違う古代史論を知った。
   内容が面白くて、最後まで、読んだ。
   今の古代史関連の学問をする人は、目覚ましい考古学の成果を無視して論を立てる人はいないから、史学の立場であっても、考古学の立場と、そう変わらないようだ。

   この本を読んで、頭に残ったのは、【中国の正史、魏志倭人伝に書いてあった、「邪馬台国、卑弥呼」という単語が、日本の正史である「日本書紀」には一度も出てこないということはおかしい】と著者が書いていたことです。
   もし、邪馬台国が奈良にあったのなら、時代的に、大和朝廷につながるので、必ず、日本書紀の神話の中なり、天皇家の祖先の著述の中になにか書かれるはずである。
   したがって、日本の正史である「日本書紀」には一度も出てこないということは、邪馬台国と大和朝廷とのつながりを考えることがおかしく、著者が主張する邪馬台国が九州の小国でにあったというほうが、論にかなっているという、邪馬台国九州説の根拠のひとつに挙げておられることです。

   日本書紀の著者たちは魏志倭人伝に書かれた邪馬台国、卑弥呼についての記述内容を知らないのではなく、本文ではなく、注、に「3世紀中ごろに、魏に使者を送った女王が倭国にいた」という記述が倭人伝に書かれていると紹介している。
   完全に無視したわけではないが、「女王、倭国」という単語で紹介し、「邪馬台国、卑弥呼」という単語は確かに一度も出てこないようだ。
   このことについて、江戸時代の学者は、日本書紀の編者達が、天皇の祖先が中国に朝貢したと言う事は触れたくなかったからと書いているが、それも考えられる。

  古代史には面白い謎がいっぱいあって、毎日、古代史関連の本を読んでいても飽きない。
  

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