まずは「定義」をしておこう。定義とは,言葉で定めることである。
[定義]
事象P⇒(ならば)Qが成り立つとき,
・PはQの十分条件である
・QはPの必要条件である
また,事象P⇔Qが成り立つとき,
・PとQは必要十分条件の関係にある
・PとQは同値である
という。
これは,高校数学の話である。
さて,複雑な問題を考えるときに,この考え方は“それなりに”(絶対ではないのがさらに重要)有効である。
たとえば,オズマの釣りレポート。これは,必要条件しか証明できていないと言い切れるだろう。
つまり,「釣れた」と「ルアーと条件を読みきった」のが同値ではないということだ。「釣れた」ら「ルアーがこれだった」というもの,すなわち,釣れた事象Pとルアーなどという事象Qには,P⇒Qという関係しか成立していない。Q⇒Pではないのだ。
バスプロも一流になると,これがQ⇒Pになり,結果P⇔Qになる。
つまり,いつも「結果オーライ」と書いているが,本当にそうなのである。
あれこれ試して結果が出た。それだけのことである。
なお,オズマの文章が基本的に「である調」なのは,数学的表記に慣れてしまっているせいもある。いまは異動で離れているが,実に20年近く,数学と仕事でも学生時代にもつきあってしまったのだ。
そういうわけで,オズマのレポート,特に釣りに関しては必要条件のみの話がほとんどなので,軽く読み飛ばしてもらえれば幸いである。
[定義]
事象P⇒(ならば)Qが成り立つとき,
・PはQの十分条件である
・QはPの必要条件である
また,事象P⇔Qが成り立つとき,
・PとQは必要十分条件の関係にある
・PとQは同値である
という。
これは,高校数学の話である。
さて,複雑な問題を考えるときに,この考え方は“それなりに”(絶対ではないのがさらに重要)有効である。
たとえば,オズマの釣りレポート。これは,必要条件しか証明できていないと言い切れるだろう。
つまり,「釣れた」と「ルアーと条件を読みきった」のが同値ではないということだ。「釣れた」ら「ルアーがこれだった」というもの,すなわち,釣れた事象Pとルアーなどという事象Qには,P⇒Qという関係しか成立していない。Q⇒Pではないのだ。
バスプロも一流になると,これがQ⇒Pになり,結果P⇔Qになる。
つまり,いつも「結果オーライ」と書いているが,本当にそうなのである。
あれこれ試して結果が出た。それだけのことである。
なお,オズマの文章が基本的に「である調」なのは,数学的表記に慣れてしまっているせいもある。いまは異動で離れているが,実に20年近く,数学と仕事でも学生時代にもつきあってしまったのだ。
そういうわけで,オズマのレポート,特に釣りに関しては必要条件のみの話がほとんどなので,軽く読み飛ばしてもらえれば幸いである。