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https://news.goo.ne.jp/article/dot/nation/dot-2020052600037
残念ながら,この記事を書くに十分な番組検証も,木村さんたる人物の詳細は知らない。だがしかし,「何がそこまで彼女を追い詰めたのか」になりがちな風潮とは別に「なんでそこまで深刻に」という視点も必要ではなかろうか。
たとえば,米国のトランプ。厚顔無恥のように見えるが,実は繊細なのだろう。なぜなら自分の名誉を毀損する人間を片っ端から処分しているからだ。
たとえば,金正恩。いうまでもなく,処分しまくっている。いや,粛清だ。
彼らは権力者である。しかし,米国と北朝鮮で根本的に違うのは「一応,民主主義かどうか」である。しかし,朝鮮も「民主主義」は謳っている。誰も信じないけれども。
さて,木村さんはなぜ「自分を追い詰めた」のだろう。一笑に付す,という言葉がある通り,もしこれが三遊亭円楽師匠ならば「見事交わして」しまっただろう...。
SNSの攻撃性については,僕も当然「発信する側」なのでよくわかる。何人ものブロガー達が更新を停止した。釣りなんていうマイナー趣味なのに,「お前の釣り方がどうの」「場所がどうの」と,コメント側は言いたい放題。
僕はそんな人たちに付き合っている暇はないので,コメント停止。
SNSはそうはいかないのか。
僕がちょっとかじったFBは完全消去まで1ヶ月かかったが,要はそれまで「触らない・いじらない」だけだった。別に自分は非難されてもいなかったが,単純に向いていなかった。めんどくさい割にいいたい放題ができないところというか,まあ,カスタマイズできにくいというかね。
さて,斯様に割り切ることができないほどに「追い詰めた」というけれど,ホリエモンなんかしょっちゅう炎上させて嬉々としている。そういう連中と何が異なるのだろう
僕の会社でいえば,自分は「人の意見に左右されない」という,とても社会人とはいえない傲慢さがある。それは認める。しかし,気を遣いすぎて「自分のことでもないのに」雰囲気が気になってお腹が痛くなる...なんていうのを聞くと,僕としては「繊細なのだろう」としか理解できないのだ。
木村さんの件もその通り「繊細なのだな」としか感じられない。申し訳ないがこれが自分の偽らざる心境である。
だがしかし,「人が死ぬと法律が変わる」という持論通り,いよいよSNSでの情報開示も現実味を帯びてきた。これは,やっとという感じだ。
意見を発している人・出演している人は大きなリスクを背負っているのに,コメントだけは自由で野放図。そんな馬鹿げた話はないだろう。
木村さんは繊細だった。したがって,そこを思い測れない「コメント嵐」には鉄槌あるのみ,とも思うのである。
人を間接的にでも殺してよいことなんてあるもんか。