石門の下から見たアトンマ墓
石門や石垣を上から見た
墓の横から見たもの
墓の入り口に立つアトンマ墓の説明板
仲宗根豊見親の墓の上に立つ路標
平良は ( ピサラ ) と称し、人の住むにふさわしい地。
綾道 ( アヤンツ ) は 「 美しい道 」 の意味で、それぞれ宮古コトバである。
平良五箇 ( ピサラグカ ) は、旧藩時代の間切りで、
西里、下里、荷川取、東仲宗根、西仲宗根の五村のことである。
この平良五箇の歴史を探して綾道を歩いたものを紹介して行きたいと思っている。
アトンマ墓は、仲宗根豊見親墓の南方50mに所在する。
忠導氏ゆかりの墓で同氏族の継室 ( アトンマ・後妻 ) だけを葬ったことから
俗に “ アトンマ墓 ” と称されている。
墓の様式は岩盤と切石を組み合わせた彫り込み囲い墓である。
この墓がいつの築造されたか定かでない。
「忠導氏系図家譜」によれば、12世玄似(1764~1804)、
13世玄陳(1780~1840)、14世玄安(1815~1871)、
玄盛(1824~?)らが、それぞれアトンマを迎えているが、
そのなかで14世玄安(13世玄陳とアトンマ金免嘉との子)は、
1863年から1871年まで平良の頭職を勤め、権勢を誇った人物であった。
このことから、この墓が改修・整備されたのは12世玄似~14世玄安・玄盛の頃と推定される。
忠導氏は、16世紀初期に宮古の支配者として君臨した仲宗根豊見親を元祖に数多く頭職を出し、
勢力を誇った系統である。
その勢力・財力を背景に宮古の風習として本妻と同じ墓に葬ることが出来なかったアトンマの墓を設け、
その霊をとむらったものと思われる。
所在地 : 宮古島市平良 西仲宗根真玉
国指定文化財