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所在地 / 大分県竹田市大字九重野百木
竣工 / 1934年 ( 昭和9年 )
■ Cランク近代土木遺産
ゆるやかな傾斜地の頂上部に水を引くことで、
この地を豊かな水田にすることは江戸時代初期から計画されていた。
しかし、急峻な山地に隧道を掘ることは容易ではなく、
1715年に始まった井路工事では工事中断の憂き目に遭い、
岡藩の家臣・須賀勘助は責任を負って切腹している。
明治9年に藩士であった井上藤蔵と宮砥村に住んでいた熊谷桃三郎は勘助の意志を引き継ぎ、
計画を練り直して開削工事に着手する。
しかし工事は困難を極め、藤蔵は破産してこの地を追われる。
残った桃三郎と地元の力で遂に完成したのが音無井路である。
しかし通水すると同時に今度は新たな悩みが生じた。
それは幹線水路への導水量をめぐって争いが絶えず、お互いに反目する日々が続いた。
そこで水を平等に分配するための施設として円形分水が作られたということである。
昭和9年に完成し、昭和59年の改修を経て今も地元の人々に貢献している。
音無井路十二号分水へのアクセス
音無井路十二号分水へは、白水堰堤の宮砥集落を過ぎて、
そのまま10分ほど走り、田原交差点を右折して約1キロほど行って橋を渡って
すぐに左へ入った上りの突き当たりの右下にある。
駐車場は突き当たりの広場に駐車場(無料)がある。