「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

長崎県長崎市  2013・長崎燈會 「 中華大婚礼パレード 」

2013-02-18 00:05:08 | 日記 ・ イベント



2013長崎燈會 「 中華大婚礼 」 の新婦さん



































2013・長崎ランタンフェスティバルの中華大婚礼パレードの様子である。
丁度中央公園から新中華街会場へ向う途中のアーケード街で撮ったものであるが、
右手で動画、左手で静止画を撮ったし、
左右の機種が逆だったので上手く撮れなかったが、
雰囲気だけは味わって頂きたい。

そもそも「 中華大婚礼 」 とは何ぞや?って思っていたら、
今年でランタンフェステュバルが20周年を迎えることを記念し、
一般の応募の中から選ばれた新郎新婦をはじめ、
きらびやかな衣装を身にまとった人々によるパレードや、
メイン会場ステージで中国色豊かな結婚式を行なう行事であった。

これだけ多くの人に披露し、祝福されての婚礼だから
それだけでもシアワセなことである。
この喜びを忘れず、夫婦仲良く末永く幸せになってもらいたい。

ちなみに新郎の方は東京で、新婦は地元長崎の方だと言っていた。




沖縄県宮古島 ・ 平良綾道 ( ピサラアヤンツ ) 「 湧川マサリャ御嶽 」

2013-02-18 00:02:46 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



湧川マサリャ御嶽の全景








御嶽内部の拝所







道路側から見た御嶽





平良は ( ピサラ ) と称し、人の住むにふさわしい地。
綾道 ( アヤンツ ) は 「 美しい道 」 の意味で、それぞれ宮古コトバである。
平良五箇 ( ピサラグカ ) は、旧藩時代の間切りで、
西里、下里、荷川取、東仲宗根、西仲宗根の五村のことである。
この平良五箇の歴史を探して綾道を歩いたものを紹介して行きたいと思っている。


湧川 ( ばくぎゃー ) マサリャ御嶽は、人頭税石から約300mの場所にあり、
案内の看板がなければ見落としてしまいそうな御嶽 ( うたき ) である。
ここでの祭神は、湧川 ( ばくぎゃー ) マサリャを祀っている。
話しの内容は、「浦島太郎の琉球版」と思ってもらえればいいだろう。

 この御嶽は 「 宮古の竜宮伝説 」 を伝える貴重な御嶽である。

昔、荷川取村に湧川マサリヤという漁師がいた。
ある日、漁に出てエイという魚を釣ったが、その魚がたちまち美しい女と化したので、
マサリヤは心浮かれて女と夫婦の契りを結んだ。
その後、二・三か月たって、同じ場所で釣りをしていると、
何処からともなく三人の童が現れ 「 母の使いで父を竜宮に案内するために参った 」 と告げた。
サマリヤは不審がったが、童らがマサリヤの手を取って海に入ったかと思うと、
たちまち金銀ちりばめた楼閣の中にいた。
母は前に契りを結んだ女に間違いなく、睦まじき顔でマサリヤを迎え、
三日三夜、色々なご馳走を出して饗応した。
女は別れ際に涙を流し、 「 これをいつまでも私の形見と思って下さい 」 と瑠璃色の壷を手渡した。

 マサリヤは夢の覚めた心地で家に帰ったが、
竜宮でも三日三夜はこの世では三年三ヶ月の月日が流れていた。
瑠璃壷には神酒が入っており、呑めども神酒は尽きることなく口の渇きを癒し、
天の甘露の如き美味な酒であった。
これを呑んだ者は無病息災で長命を保ち、それ故、マサリヤは家宝として秘密にしていたが、
やがて村中の噂となり、大勢の村人が壷を見ようと家へ押しかけて来た。

 マサリヤは富貴におごり「この酒は朝晩とも同じ味でもう呑みたくない」と言ったとたん、
壷は白鳥と化して虚空に舞い上がり、東方をさして舞行きて、
宮国村スカブ屋の庭木に留まり、姿を消したという。

 また『 平良市史 』 には、少しニュアンスの違うお話となって残っている。
昔、唐から流れ着いた人がいて壷を持っていた。
島の人を娶り、暮らしていたが、畑に出ても用意した食糧を食べる事もなく持ち帰る。
不思議に思い、妻は昼時に畑に行き様子を窺うと壷から次々と取り出して食べている。
驚いて声をあげたとたんに、壷は羽が生え宮国の方へ飛んでいった。
近くには海に流れ出る水の湧き口(ばくぎゃー)あり、御嶽の名の由来とも伝わる。


所在地 : 宮古島市平良 荷川取



琉球泡盛 「 古都首里 ( 十年古酒 ) 」

2013-02-18 00:00:31 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒







古都首里は、首里末吉町にある瑞穂酒造さんの熟成十年古酒 ( クース ) である。
まろやかで品のある味わいの泡盛で、美味しいので一気に飲んでしまいそうになるが、
大事にタシナンデ飲みたい古酒である。


14世紀後半、察度が首里城を王府の拠城と定めてから、城下町として発展した首里。
沖縄本島の中でも一段と小高い丘の上に位置し、眼下に那覇の街が一望にひろがりを見せている。
城の周りには円覚寺をはじめとする寺院や龍潭池など、歴史と深いかかわりを持つ文化財が集中する。
東側には、泡盛づくりをこの地に限って許された首里三箇があり、
王府の保護の元で最高級の品を育み続けている。

南蛮渡来のラオロン酒を手本に、琉球で酒がつくられるようになったのは、約15世紀頃のこと。
高温多湿の土地の空気には、黒こうじを用いた独特の酒、泡盛誕生の素養がすでに漂っていた。
なかでも、泡盛を三年以上ねかせて熟成をすすめたものは「古酒」(クース)と呼び、
たいそう貴重な品となる。
長く置くほどに、ふくいくたる香りに深みを増し、トロリとしたまろやかな味わいが加わる。
ほんのり琥珀の色あいを持つのも特長である。
琉球王朝自らの楽しみの酒であり、冊封使をはじめ国を挙げて
大切な客のもてなしの宴でもふんだんにふるまわれた。
また、江戸幕府の献上品には、欠かすことのできない逸品のひとつであった。
杜氏と時が織り成す味わいの文化は、今でも多くの人々の歴史と伝統を語りかけてくる。