「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

北九州市戸畑区 『 共同漁業ビル ( ニッスイパイオニア館 ) 』

2013-12-20 04:43:41 | 近代化産業遺産・土木遺産

























所在地 : 北九州市戸畑区銀座2-6-27
竣工  : 昭和11年(1936年)
構造  : 鉄筋コンクリート造4階建て
設計施工 : 竹中工務店


洞海湾口には、かつていくつかの島々が存在した。
大きなものでは中世、若松城が築かれた中之島もあったが、
現在は若戸行路の支障を来すとして浚渫され、現存していない。
そんな中に洞海湾の浚渫土によって造られた一文字島という人工島があった。
この島は昭和元年に戸畑側と陸続きになり事業用地として売りに出され、
ここに進出したのが、鮎川義介率いる共同漁業である。
共同漁業は、1911年(明治44年)に下関で設立された田村汽船漁業部を発祥とする。
同社は、トロール漁法を
倉場富三郎(トミー・グラバー、幕末期に活躍したトーマス・グラバーの一子)と前後して移入し、
当時の漁業に革命を起こした。

第一次大戦前後、漁船の軍事目的の転売が盛んになった時期も本業に専念し、
大正後期にはトロール漁をほぼ独占するまでに至った。
漁業の近代化、市場へのアクセスを考えた同社は、戸畑への工場の移設を決断する。
昭和4年に、市場・加工場・従業員宿舎等を合わせたトロール事業の一大基地を築き上げた。
これらの設備は、戦後の遠洋漁業に大きな効果を発揮し、
模範的工場として教科書にも取り上げられるほどになった。

「 共同漁業 」 という社名は、当時の取り締まり役である国司浩助が、
会社とは経営者と従業員とが手を取り合い進めて行くものであるとの思いから命名したもので、
このような理念の元、会社付属の船員養成所が設立されたのは、昭和5年のことである。
ここでは船員のための専門授業に加え、一般教養や修身も教えられていた。
さながら学校に近い教育機関 ( 実際に学校令の許可を受けていた ) であったことから、
従業員を大切に考えた国司浩助の経営姿勢を垣間見ることが出来る。



熊本県山都町 「 貫原橋 」

2013-12-20 04:42:41 | 熊本の石橋



































所在地 / 熊本県山都町貫原
架橋 / 弘化4年 ( 1847年 )
石工 / 白小野の嘉兵衛
長さ / 9.1m
幅  / 3.6m  高さ / 4.5m



貫原橋は日向往還の細い谷川に架けられているため、
アーチの上部の石組みが厚くなっている。
今も忘れ去られることなく佇む姿からは、往時の面影がしのばれる。


貫原橋へのアクセス
貫原橋へは、御船インターより国道445号線から218号線へと進み、
貫原地区を左に入って山道を1キロほど行くと左の谷の下に架かっている。
国道の入り口に案内板が設置されているのでそこから左折すればいい。
駐車は、路肩に止めたが道路が狭いので、
くれぐれも対向車の離合に注意をしていただきたい。



それぞれの海 「 福岡県行橋市 ・ 蓑島 」

2013-12-20 04:41:41 | 海 ・ 港 ・ 空 ・ 木々













寒々しい冬の海
海上を吹きすさぶ北の風
どんよりとした空に
にぶく濁った冬の海

わずかな中州に身を寄せる渡り鳥
じんわりとしみる
誰もいない
鈍色の冬の海