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宜野湾市の嘉数高台公園から見た浦添グスク ( 上部 ) と浦添ようどれ( 下部 )
※ 「 ようどれ 」 とは永遠に静かなところという意味である。
浦添ようどれは、沖縄県浦添市にある琉球王国の陵墓。
西室(英祖王陵)と東室(尚寧王陵)の二つの墓室を中心に墓庭、
門、石牆(石垣囲い)からなる。
国の史跡・浦添城跡の一部で、浦添城跡北側崖下中腹に設けられた掘込墓である
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グスク入り口にある看板
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「 浦添ようどれ 」 の上に築かれた浦添グスクの城壁
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グスク内に残る石積み
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グスク頂部広場
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グスクから普天間基地がある宜野湾市方面を望む
浦添城は沖縄本島中部地方の南、首里の北数キロの所に位置し、
標高130mの東西に長く伸びた琉球石灰岩丘陵上にあり、
城域は、東西380m、南北60~80mで、
主郭・二の郭・三の郭の三つの郭からなる連郭式の大きなグスクである。
舜天 ( しゅんてん ) 王統 1187年~1259年
英祖 ( えいそ ) 王統 1260年~1349年
察度 ( さっと ) 王統 1350年~1406年
浦添グスクは王府が首里へ移されるまでの約220年間、
中山王の舜天(しゅんてん)王統・英祖(えいそ)王統・察度(さっと)王統の
三王統の王城として栄えたが、首里城へ首都が移ると利用されずに廃墟と化した。
また、1609年には薩摩軍侵攻によって城は島津方に焼き払われ、
その後も第二次世界大戦において、グスク内に日本軍の陣地があったことから、
アメリカ軍の執拗な攻撃を受け、姿形も無いくらいの壊滅状態で、
わずかに残っている城壁だけが当時を偲ばせている。