「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県浦添市 「 浦添グスク 」

2014-07-09 04:59:41 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



宜野湾市の嘉数高台公園から見た浦添グスク ( 上部 ) と浦添ようどれ( 下部 )


※ 「 ようどれ 」 とは永遠に静かなところという意味である。

浦添ようどれは、沖縄県浦添市にある琉球王国の陵墓。
西室(英祖王陵)と東室(尚寧王陵)の二つの墓室を中心に墓庭、
門、石牆(石垣囲い)からなる。
国の史跡・浦添城跡の一部で、浦添城跡北側崖下中腹に設けられた掘込墓である






グスク入り口にある看板







「 浦添ようどれ 」 の上に築かれた浦添グスクの城壁







グスク内に残る石積み








グスク頂部広場








グスクから普天間基地がある宜野湾市方面を望む





浦添城は沖縄本島中部地方の南、首里の北数キロの所に位置し、
標高130mの東西に長く伸びた琉球石灰岩丘陵上にあり、
城域は、東西380m、南北60~80mで、
主郭・二の郭・三の郭の三つの郭からなる連郭式の大きなグスクである。

舜天 ( しゅんてん ) 王統  1187年~1259年
英祖 ( えいそ )  王統  1260年~1349年
察度 ( さっと )   王統  1350年~1406年


浦添グスクは王府が首里へ移されるまでの約220年間、
中山王の舜天(しゅんてん)王統・英祖(えいそ)王統・察度(さっと)王統の
三王統の王城として栄えたが、首里城へ首都が移ると利用されずに廃墟と化した。
また、1609年には薩摩軍侵攻によって城は島津方に焼き払われ、
その後も第二次世界大戦において、グスク内に日本軍の陣地があったことから、
アメリカ軍の執拗な攻撃を受け、姿形も無いくらいの壊滅状態で、
わずかに残っている城壁だけが当時を偲ばせている。


福岡県行橋市 ・ 海辺のパン工房 「 風 ( ふう ) 」

2014-07-09 04:58:41 | パン ・ ケーキ ・ お菓子






























































パンを求めて開店前からズラリと並ぶ





そのパン屋は海辺にあった。
偶然見ていた地元テレビで紹介されて初めて知ったのだが、
「 こんな田舎にそんなにパンを買いに来ることはないだろう 」 と高をくくっていたら、
なんと開店前から行列が出来ているではないか!
それをひとりで捌くのは、
この店のオーナーであり、パン職人であり、レジ打ちであり、店員である。
なんとひとり四役の忙しさ。
それでもそのパンの美味しさを求めて、県外からも買いに来るほどだから、
作り甲斐、働き甲斐があるのだろうな。


「 パン工房 ・ 風 ( ふう ) 」


所在地 : 福岡県行橋市蓑島863-3
蓑島小学校の横を入って約200m右側

営業日  :  金・土・日・月 ( 不定休あり )
営業時間 :  11:00~17:00
電話  :  0930-25-1010
前日まで電話予約可能