門司競輪場はバックに関門海峡や巌流島が見える
古いホームスタンドと4コーナーの赤い屋根が印象的だった
開催中はコントロールタワーがレースの映像を撮っていた
現在ハイビジョンシアター門司だけが場外売り場として活用されている
熱狂的なお客さんが多かったバックスタンド
2コーナーからバックにかけて長い直線が続く
選手が入退場するバックにある 「 敢闘門 」
選手控室から検車場を通り坂道を上って出走控室まで行かねばならない
参加選手とは隔離された場所に居る先頭誘導員の自転車立て
久し振りの競輪ネタであるが、
門司競輪場は高校時代に3年間練習をしたホームバンクである。
高校1年の時に門司競輪場で国体予選があり、
ここで勝って国体出場権を得た想い出の地である。
なのにプロになってから小倉競輪場では優勝はあるが、
不思議と門司競輪場では優勝経験がないのである。
そんな門司競輪場は福岡県北九州市門司区にかつて存在した競輪場である。
2002年3月に甲子園競輪場、西宮競輪場と共に廃止となった。
門司競輪場は1950年に当時の門司市が主催する競輪場として開設された。
関門海峡を眼下に望める風光明媚な競輪場として知られ、
シンボルマークはかもめがM字型に羽を広げたもの。
毎年2月に記念競輪 ( GⅢ ) として、開設○○周年記念競輪が開催されていた。
かつては門司記念前節に関門賞、門司記念後節にレトロカップが開催されていた 。
1963年に門司市が合併して北九州市となってからは、
隣の小倉競輪場で競輪祭が毎年開催されるようになったが、
門司競輪場での特別競輪 ( GⅡ以上 ) は
1965年の全国都道府県選抜競輪を最後に開催されることはなかった。
これにより小倉競輪場との売上差が年を追って拡大していっただけでなく、
北九州工業地帯における炭鉱の閉山と鉄冷えの状況が重なってしまい、
門司競輪場は赤字に転落してしまった。