伊是名グスクの麓にある尚円の縁の 「 伊是名玉陵 」
ピラミッド型した伊是名グスク
伊是名グスクと伊是名グスクの路標
中腹にある物見からの眺望
東側の峰にあるイシカーと呼ばれる井泉
東側の分岐点にある「大城ナー」の拝所
山の中腹にある西側の物見
通路の脇の郭と石垣
頂上の標石付近
物見の石垣
中腹にある御嶽
伊是名グスクは、伊是名集落の東方の海に突き出た標高98mの山に築かれたグスクである。
ピラミッド型したグスクは、東・南・西の三方を海に面して絶壁をなし、
北側はひな段状に郭を配置している。
石垣は西と南側に見られ、中央部にメインとなる細い道を設け、
その左右交互に郭を貼り付けていくという、極めて合理的なグスクだといえる。
またグスクの下方には第二尚氏の始祖となる尚円王の妻と尚円の姉、
そして尚円の父母が葬られている【 伊是名玉陵 】が築造されている。
また「琉球国由来記」に雨天や旱魃の時も水の増減がないと記された
「イシカー」と呼ばれる井泉がある。
伊平屋の島主・屋蔵(やぐら)大主が伊是名島を統治していたころ、
その子の佐銘川(さめがわ)大主を伊是名島を築かせ、この島を治めさせた。と伝わっている。
佐銘川大主が伊是名グスクを築いてどのくらいの年月の期間、居城したかは伝えられていないが、
伊是名グスクの城主として人々の信望も厚かったという。
ところが、ある凶年のとき食糧難にあえぐ島民のために備蓄していた城内の米を供出する。
ところがこの好意が仇となる。配給された米だけで満足しない島民たちは衆議した結果、
城内に保管されている米を強奪し、大主を殺害することを謀る。
このような陰謀を隣に住む老人より聞き知った大主は、
わずかばかりの食料を小船に積んで島を脱出する。
この佐銘川大主が後の三山統一を成し遂げた尚巴志の祖父である。
伊是名グスクへのアクセス
伊是名グスクへは運天港よりフェリーで伊是名島へ渡り、
伊是名港より徒歩でも自転車でも行ける距離にある。
ちなみに登山口から山頂までは約15分~20分くらいで登れる。