小倉大賞典の 「 ハクサンホマレ 」
久保一秋を背にゲート前に来た 「 ハクサンホマレ 」
橋口弘次郎は、1945年、宮崎県北諸県郡三股町に生まれる。
実家はサラブレッドやアラブの生産・育成を手がけており、
橋口も小学校中学年の時分から競馬会の広報誌、
『 優駿 』 を小遣いで購読するなどしていた。
一方で家族からは競馬社会に入ることを望まれず、
都城泉ヶ丘高校を経て九州産業大学商学部へ進んだ。
しかし大学在学中に中央競馬の小倉競馬場へはじめて赴いた際、
見知った地方競馬とは全く異なる、
整然とした美しい競馬場の様子に感銘を受けて騎手を志す。
当初は大学中退も考えたが、
両親から高額な私学の学費を出してもらったという義理から、
大学には卒業まで籍を置いた。
地方騎手から中央競馬へ
当時23歳で中央競馬の騎手養成所には入れなかったことから、
公営・佐賀競馬場で騎手見習いとなる。
1年の下積みを経て騎手としてデビューしたが、
減量に苦しんだうえ、調教で怪我も負い、1年ほどで騎手を断念。
1971年3月より兄が厩務員を務めていた中央競馬へ移り、吉永猛厩舎の一員となった。
なお、騎手としての腕は 「 いちばん下手 」 で、
「 左手でステッキも持てないぐらい 」 だったというが、
「 16くらい 」 の勝利も挙げたという。
吉永厩舎に移り半年後には調教助手資格を取得。
厩務員兼調教助手として、金杯 ( 西 ) の優勝馬ハクサンホマレを担当している。
ハクサンホマレは重賞戦線で堅実に入着を続けつつ6 ( 旧齢7 ) 歳まで走り、
後に橋口は調教師になるに当たり 「 ああいう頑丈な馬を育てたい 」 と考えたという。