「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県みやこ町 ・ 永井龍雲コンサート 「 ルリカケス 」

2016-03-20 04:06:52 | 音楽 ・ 映画



永井龍雲が母を想って、母の生まれ故郷の奄美と母のことを唄った 「 ルリカケス 」








夕べコンサートの帰りに買ったCD 「 11 」







開演前のステージ







白浜から見た瀬戸内町の久慈湾





昨夜、福岡県みやこ町 ( 豊津・犀川・勝山 ) が合併して10年を記念して
犀川体育館で、旧豊津町出身の 「 永井龍雲コンサート 」 が行われた。
この犀川の伊良原地区は伊良原ダムの建設で集落や学校がダム湖に沈むため、
新しく小中一貫校として安藤忠雄氏の設計で 「 伊良原学園 」 が落成した。
その校歌を担当したのが永井龍雲である。

今度生まれて来るとしたら・道標ない旅・風のように ( 会津藩士 ・ 郡 長正に捧ぐ )
拝啓ヒーロー・暖簾・ルリカケス・先人たちの遺産・お遍路
FROMここから ( 伊良原学園校歌 )などを唄った。
このなかでもルリカケスは何度聴いても涙をさそう。

奄美大島の瀬戸内町の古仁屋から西古見に向かう途中に左手に久慈湾が見える。
アルバム 「 風樹 」 に入っていた 「 ルリカケス 」 の歌を聴いて、
龍雲のお母さんが生まれ育った久慈の海を見ようと立ち寄ったものである。

生涯、島から出ることがなかった西郷隆盛の奄美妻 「 愛加那 」 の悲しい物語と
奄美の美しい海が 「 ルリカケス 」 の歌と重なって、魂が震えた。


福岡県みやこ町豊津 ・ 会津藩士 「 郡 長正の墓 」

2016-03-20 02:53:26 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )
























育徳館高校 ( 豊津高校 ) の黒門





毎年、5月1日に郡 長正の墓がある甲塚の墓地で法要が行われている。
昨日、みやこ町犀川で行われた永井龍雲のコンサートで、
郡 長正の歌 「 風のように / 会津藩士 郡 長正に捧ぐ 」 という歌が唄われた。
その曲のタイトルと同じように風のように16歳という若さで逝った
会津藩士・郡 長正のことを想い唄った歌である。


郡 長正 ( こおり ながまさ ) は、
会津藩の家老萱野権兵衛長修の次男として生まれ、
明治元年の会津戦争の敗北により会津藩二十八万石は、
青森県下北半島の斗南藩に移された。
長正の父、長修は責任をとって自刃。
そのため萱野家は断絶し、遺族は 「 郡 」 の姓を名乗ることとなった。

藩の再興を託した斗南藩は、
長正ほか六名の若者を同じ佐幕派として官軍と戦った小笠原藩の
藩校育徳館 ( 現在の県立育徳館高校 ) に留学させた。
留学生たちは熱心に勉強に励んだが、
その中でも長正は文武にわたって特に優れていた。

明治四年五月一日、長正は育徳館寮南の一室で切腹し、
十六年の短い生涯を閉じることになる。
一説によると、あるとき彼が故郷にあてた手紙の中に
寮の食事に関することが書かれてあり、
それをたまたま他の生徒の目に触れて問題になった。
ついには会津武士の精神をなじられるまでになり、
長正はその精神を守るため切腹に及んだとも言われている。

この墓は、誇り高く若い魂を抱き、
遠く四百里離れた故郷会津へ正面を向けて建っている。