「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

熊本県西原村と南阿蘇村

2016-04-16 06:13:45 | 日記 ・ イベント



熊本県西原村と南阿蘇村を結ぶ俵山に立つ風力発電機








阿蘇外輪山からの夜明け




昨夜また地震で揺れた。
家屋の下敷きになった人を早く救助して欲しい。
もう、揺れないで欲しい。



熊本県益城町津森 「 竹崎順子 」

2016-04-16 01:51:17 | 日記 ・ イベント



17年間この江津湖の近くに住んでいた











昨日、御船に住む弟子の田川辰二や
益城町津森に住む先輩の水口正美さんに電話を入れた。
どちらも無事だったが、家のガラスや屋根瓦がかなりヤラれているらしくて、
今夜からの雨が心配だと言っていた。

テレビで益城町の木山付近の映像が流れると、
” 木山三羽烏 ” と呼ばれた宮原かーしゃん、山村タケしゃん。
そして緒方ナオしゃん。のことを思い出した。
ボクが選手になった頃は、緒方尚明さんしか選手をしておらず、
緒方さんは居本さんと同じように日本酒をこよなく愛していた。
その晩酌によくお付き合いさせて頂いたが、
温厚でいつもニコニコ笑ってお猪口でグイッと美少年を飲んでいた。

そして先輩の水口正美さんとは、よく一緒に走った仲であるし、
お互いの家に遊びに行った仲でもある。
そんな水口正美さんが住む益城町津森の津森小学校から
西原に抜ける道をよく練習で通っていた。
その道沿いに竹崎順子の縁の地がある。

竹崎 順子( たけざき じゅんこ、1825年12月4日( 文政8年10月25日 ) -
1905年 ( 明治38年 ) 3月7日 ) は、日本の教育家で、竹崎八十雄の祖母である。

肥後国上益城郡津森村 ( 現熊本県上益城郡益城町 ) の惣庄屋矢嶋直明の三女として生まれる。
妹に徳富一敬の妻で徳富蘇峰と徳冨蘆花の母親である徳富久子、
横井小楠の妻横井つせ子、矢嶋楫子がいる。
この姉妹4人は 「 肥後の猛婦 」 「 四賢婦人 」 と呼ばれた。

1840年 ( 天保11年 ) に玉名郡伊倉の竹崎家の養子竹崎茶堂と結婚する。
酒造業を起こすが、米相場に関わり失敗した。
その後、1843年(天保14年)に阿蘇郡西村布田で開墾生活を始めた。
その傍らで竹崎塾を開いて手習いを教えた。
1860年(万延元年)に夫の兄木下初太郎が開いた干拓地の経営のために
玉名郡横島村 ( 現玉名市横島町 ) に移住する。

1870年(明治3年)に藩政改革で夫が民政局大属になったので熊本に移住する。
夫が日新堂という塾を経営し、順子も15、6名の女生徒を教えた。
1877年(明治10年)5月に夫が死去した。
1887年(明治20年)10月にキリスト教の洗礼を受ける。
1889年(明治22年)に熊本女学校の初代舎監になった。
熊本英学校事件に耐え、1897年(明治30年)に校長に就任する。
亡くなるまで8年間校長として、学校の運営を基盤を築いた。