「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

第5位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 下駄 」

2016-07-30 07:00:00 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

    昨日まで宇久や寺島などに行っていた。
    どこの島に行っても、
    「 暑いですね 」 が当たり前の挨拶になっていたが、
    このうだるような暑さはどうにかならないものだろうか?
    その暑さに忙しく鳴く蝉の声が拍車をかける。
    そんな今日の順位は5位で、
    ラッキーポイントは、
     「 下駄 」 である。

    スケジュール調整に成功!
    たまった作業を一気に消化しよう。


福岡県久留米市田主丸町 ・ 『 月光菩薩 』 火野葦平

2016-07-30 03:39:59 | 文学・文化・映画作品



筑後川堤防の道路沿いに建つ 「 月光菩薩 」









台座には火野葦平が自ら書いた碑文が刻まれている








月光菩薩の後方に耳納連山が見える







月光菩薩から赤い筑後川橋が見える







北九州市若松区にある火野葦平の旧宅 「 河伯洞 」








現在も葦平の本名「玉井勝則」の表札が掛かっている












『 月光菩薩 』 を書いた火野葦平は、北九州市が生んだ芥川賞作家で、
戦後は 「 花と龍 」 、 「 ただいま零匹 」 などの新聞連載小説で
人気作家としての座を不動のものにした。
一方、河童を題材とした河童物といわれる短編小説を数多く残し、
独自の文学を形成している。

田主丸を舞台とした河童物のひとつが、
昭和32年 ( 1957年 ) 7月の 「 別冊小説新潮 」 に発表された 『 月光菩薩 』 である。

「 九千坊頭目のいる筑後川は、また、カッパの伝説の豊富なところ。
特に最近は方々から水神の祠や、カッパの神様が新しく発見されて、
私の用件もふえたというものだ 」 と 『 月光菩薩 』 の中で述べているが、
「 カッパの遺跡 」 をたずねた火野が、田主丸で見た月光菩薩の由来を書いた小説である。

物語は、柴山旦那と女中おツネとの悲恋物語で、
昭和28年 ( 1953年 ) の大水害で亡くなったおツネの死を悼み、
筑後川堤防の道路沿いに菩薩像が建立されている。
その台座には、後に火野自らが書いた碑文が刻まれている。

月光菩薩は、久留米市田主丸町片の瀬温泉近くの筑後川堤防の道路沿いに建っている。


火野葦平は、 ( 現・北九州市若松区 ) で、
沖仲仕「玉井組」を営んだ玉井金五郎の三男二女の長男として生まれる。
自伝的作品 『 花と龍 』 などに書かれているように、
父・金五郎は現在の愛媛県松山市の出身、母・マンは現在の広島県庄原市の出身である。

旧制小倉中学校 ( 現福岡県立小倉高等学校 ) 卒業、早稲田大学英文科中退。
『 糞尿譚 』 で芥川賞を受賞。その後の『麦と兵隊』は大きな評判をよび、
『 土と兵隊 』 『 花と兵隊 』 とあわせた 「 兵隊3部作 」 は、
300万部を超えるベストセラーとなった。
東京と福岡に本拠を二分し、東西を往復しての執筆活動で多忙を極めた。
著述業と共に 「 玉井組 」 二代目も務める。

『 麦と兵隊 』 など兵隊小説作家として知られるが、
一方で河童の登場する作品が多く残る。
その数、小説、随筆、童話などで100点を超えるという。
芥川龍之介を敬愛しているが、芥川が 「 フィクションによってしか語れぬ事実がある 」 と、
河童を通して社会を風刺したのに対し、
葦平は 「 私の描く河童が理屈っぽく、
風刺的に、教訓的になることを警戒していた 」と書いている。
また、 「 河童が私の文学の支柱であることになんの疑いもない 」 と書いている。

三男・史太郎は、旧宅を利用した記念館 「 河伯洞 」 の館長を務める。



長崎県佐世保市 ・ 佐世保風景 「 五番街界隈 」

2016-07-30 00:41:49 | 写真







ジリジリと肌を焦がす太陽を避けて
人は わずかな影でも
それを探し選るように歩く

夏の日差しを全身に受けた
樹も暑いだろう

その樹の緑葉がつくる影が
人や路面を癒やしてくれる