生月大橋が出来て県道が整備されたとはいえ、
山野入り口というバス停から標高514mの安満岳の中腹にある山野へは、
車を使わないで歩くと30分から40分かかる。
五島に住めず、文政年間 ( 1820年前後 ) の頃、
徳川幕府の禁教と迫害の時代に、西彼杵外海地区から、
五島に逃れたものの、安住の地がなく、平戸に渡って現在地に住み着いた。
1872年に長崎で洗礼を受けた住人が指導者となり、
1887年には最初の教会が建ち、
明治35年 ( 1902 ) 仮教会を建設、
大正13年 ( 1924 ) リブ・ヴォールト天井の本教会落成。
昭和54年 ( 1979 ) に増築され、八角の尖塔が付け加えられた。
平成12年 ( 2000 ) にもさらに改築され、現在に至っている。
板張りで瓦葺の小さな教会であるが、内部は円形アーチのリブ・ヴォールト天井で、
コリント風の柱頭飾りを付けた柱が並ぶ。
棟梁の川原清次が黒崎教会の建設にも携わっていたので、
聖堂の中は黒崎教会に似ているという。
地区内に居住する住民の総てがカトリック信者であり、
一般信徒の司牧が目的の教会である。
偶然に小学校の児童の下校時に居合わせたたが、
子供たちは教会の前を通るとほとんどが、手を合わせ頭を下げていた。
長崎の信仰の原点が今も残されていると感じた。
所在地 / 長崎県平戸市主師町山野
教会の保護者 / 洗礼者聖ヨハネ