先日放送された「どうする家康 伊賀越え」回はネットが沸いたようですね。
録ってあった「・・・・京都旅」の中から「伊賀越え」の回を昨日見てましたら、ちょっと面白い解釈や、知らなかったことをカルチャーできましたので、ご存じの方も多いと思いますがご紹介しますね。
「明智に狙われる」というのも大河でもありましたが・・
大河ではちょっとわかりにくかった地理がここでやっとわかりました。ほぼ直線200㌔ですね。
「なぜ、陸路を選んだのか・・」というのは数々の歴史関連番組で解説(海路は紀州の僧兵、四国の長曾我部等反信長勢力がいる)されてますが、 陸路も南側に明智の友人「筒井」がいますし、奈良と京都の境をひたすら、ほぼ直線の隙間を逃避したんですね。
そして「穴山」(大河で描かれてた「瀬名」と交流していた人って武田を裏切っていたんですね)が首を落とされたということでしたが、直木賞作家の「今村翔吾氏」は・・
家康と息子だったら二手に分かれるだろうけど・・武田を裏切った「穴山」だから・・と前から考えてたのでは?ということでした。(あの窮地が、いい機会と思ったならあるかもですね)
このお城で「休息2時間」されたようです。
「城主」も「運命の二択」をしないといけなかったのですね。
この短刀も拝領した家に代々あって、戦時中どこかに隠したとか‥という話も出てきました。
あの「煎茶の製法」を発明、広めた「永谷宗円」の5代前の方が警護をなされたんですね~~。
ちょっとカルチャーでした。
録ってあった「・・・・京都旅」の中から「伊賀越え」の回を昨日見てましたら、ちょっと面白い解釈や、知らなかったことをカルチャーできましたので、ご存じの方も多いと思いますがご紹介しますね。
「明智に狙われる」というのも大河でもありましたが・・
大河ではちょっとわかりにくかった地理がここでやっとわかりました。ほぼ直線200㌔ですね。
「なぜ、陸路を選んだのか・・」というのは数々の歴史関連番組で解説(海路は紀州の僧兵、四国の長曾我部等反信長勢力がいる)されてますが、 陸路も南側に明智の友人「筒井」がいますし、奈良と京都の境をひたすら、ほぼ直線の隙間を逃避したんですね。
そして「穴山」(大河で描かれてた「瀬名」と交流していた人って武田を裏切っていたんですね)が首を落とされたということでしたが、直木賞作家の「今村翔吾氏」は・・
家康と息子だったら二手に分かれるだろうけど・・武田を裏切った「穴山」だから・・と前から考えてたのでは?ということでした。(あの窮地が、いい機会と思ったならあるかもですね)
このお城で「休息2時間」されたようです。
「城主」も「運命の二択」をしないといけなかったのですね。
この短刀も拝領した家に代々あって、戦時中どこかに隠したとか‥という話も出てきました。
あの「煎茶の製法」を発明、広めた「永谷宗円」の5代前の方が警護をなされたんですね~~。
ちょっとカルチャーでした。