録ってあった「家康の世界地図」を見ていましたら知らなかった事ばかりで・家康って「どうする・・」ではなくて晩年は「こうするんだ」という人だったようで・・
家康が愛用していた「世界地図」です。

この本にも記録されてるようで、家康は「貿易」を進めたかったそうです。
この地図ではまだ「北海道」が描かれてません
当時の民族が42種描かれてるようです。


国王も、港も、街も正確に描かれてるようです。
「ブラウ氏」が出版したものとほとんど同じだということでした。
大河でも登場されてた「按針さん」との交流があったからですね。ここからいろんな国との交易が始まっていきます。



諸外国とのやり取りが「あちらの国と同じように・・」という、家康の差配が生きてくるのです。
久能山東照宮にある、家康が使っていた「鉛筆」
「はかり」のようです。
「香木」は信長が頂いたという「蘭奢待」とは一味違いますが・・・「銀」を作らせていたというのも初めて知りました。当時は日本で世界の3割を作っていたそうです。
貿易で苦境に・・

生糸の値段が跳ね上がり貿易赤字になってしまいます。
イギリスに「航路」を教えて「競争」をさせるという手を打ちます。



交渉条件も悩ましいことばかりです。


輸出されてるものすべて凄い調度品ですね。


禁教令が出されて家康の外交が頓挫してしまいます。
亡くなってしまってからは「秀忠の外交政策」で・・
鎖国体制となってしまうのです。
晩年の家康は精力的に外交を進めていたんですね。
できました。














































































亡くなってしまってからは「秀忠の外交政策」で・・


晩年の家康は精力的に外交を進めていたんですね。

